第315話 アーサー・アッシュの冷戦

 2022年9月11日(日曜日)。

 深夜。

 全米オープンの決勝戦が行われる。

 決勝戦に進出したのは、アメリカとロシアの選手であった。

 ロシアがウクライナに侵攻してから199日後の事だ。

 両国の関係は最悪であり、当然、観客のロシア人選手に対する視線も厳しい。

 試合前に恒例の国旗掲揚と国歌斉唱も、星条旗と『星条旗』のみ。

 これは、ITF国際テニス連盟が個人資格での出場は認めたものの、先の二つは禁じた為である。

 異様な雰囲気の中、試合が始まった。


「凄いね」

「そうだね」

 シャロンとエレーナは、ソファに座って言い合う。

 アメリカ人とロシア系日本人であるが、2人の間にわだかまりは無い。

 2人が注目したのは、ロシア人選手だ。

 観客の白眼視の下、プレーするのは、並大抵の精神力では難しい。

 野次やブーイングは少ないものの、アウェーなのは誰にでも分かるだろう。

 2人の間に挟まった煉は、欠伸あくびを噛み殺しつつ言う。

「審判も大変だな。一つの誤審次第で袋叩きに遭うぞ」

「やっぱり?」

「だから引きってるんだね?」

貧乏籤びんぼうくじだよな。こういう時のは」

 大金を積まれても、自信満々にこの手の試合の操作コントロールを快諾する審判は、少ないだろう。

 誤審対策に審判補助システムが存在するが、それでも選手が異議申立て出来る回数には限度がある。

 際どい判定が相次けば、直ぐにその回数は0になり、後は人の目による判定に委ねられる。

 煉の予想通り、トップ選手同士の試合の為、一方がリードすれば、もう一方がすぐに追いつく。

 大量リードする事は殆ど無い。

(場合によっては、『メルボルンの流血戦』にもなりかねんな)


 1956年12月6日。

 オーストラリアで行われた、メルボルン五輪の水球競技のハンガリー対ソ連で、事件が起きた。

 当時は、ハンガリー動乱(1956年10月23日~11月10日)直後という事もあり、両国関係は最悪。

 試合開始直後、乱闘に発展し、遂にはハンガリーの代表選手が流血するほどの事態に陥った。

 試合は観客による暴動対策の為に残り時間1分を残して打ち切られ、4-0とハンガリーの勝利に終わり、その後、ハンガリーは決勝戦もユーゴスラビアを接戦の末に破り、金メダルを獲得した。


 よく「スポーツと政治は別」と主張する人々が居るが、この様な事例があると、やはり主催者は対戦した場合の事を考えて対策を採る必要があるだろう。

 水球の場合は接触プレーがある分、乱闘に発展しやすいが、他競技でも同じとは言い難い。

 国際問題にもなりかねない為、主催者判断で、戦争中等のの国同士の直接対決は、最大限の配慮が必要だろう。

「シャルロット、最長時間ってどのくらい?」

「11時間5分ですね。全英オープン1回戦の」

 打てば響く、とはまさにこの事だ。

 煉が知りたいであろう、情報を事前に調べているのは、シャルロットが優秀な秘書官である証拠である。

 これは、2010年6月22~24日に行われたアメリカ人選手とフランス人選手の試合で出た世界最長記録だ(*1)。

 それまでの記録は、2004年の全仏オープンで記録された6時間33分を大幅に上回る約2倍の記録である(*1)。

 2019年にウィンブルドンでは、規則改正により、この様な試合は規則上、不可能になった(*1)。

 その為、今後、更新不可能な記録アンタッチャブル・レコードと思われる。

「パパ、試合時間が8時間超えたら、労働基準法違反?」

「さぁ? トリプルヘッダーは、そうらしいがな」

 ドーム球場が少なかった20世紀の日本の野球は、1日2試合ダブルヘッダーは、よくある話であった。

 NPBでは1998年を最後に検討された事はあっても、実際に開催に至った事は2021年現在無い。

 MLBでも選手の疲労を考えて極力開催しないのだが、天候不順等によっては162試合もある為、開催せざるを得ない為、21世紀以降も度々、ダブルヘッダーは見受けられる。

 そして過去、3回しか事例が無いのが、1日3試合トリプルヘッダーだ(*2)。


 1、1890年9月1日

 2、1896年9月7日

 3、1920年10月2日


 1920年を最後にMLBでは、一度も組まれていない。

 それ所か、労働基準法でトリプルヘッダーが禁じられている(*2)為、開催自体が、法的に不可能だ。

 2019年のMLBの延長戦を含めた試合時間が平均3時間10分(*3)なので単純計算で3試合行うと、9時間半。

 デイゲームで午後1時に試合を始めても、午後10時半までかかる事になる。

 当然、1試合終わった後に15~20分の間隔インターバルが必要なので、更に時間がかかる事が予想される。

 そういった事から、労働基準法で禁じられるのは、当然だろう。

 話は戻ってテニスの件へ。

「……」

「……」

 シャロンは星条旗を、エレーナはロシアの三色旗を振ってそれぞれの自国を静かに推す。

 2人とも帰化申請中なので、場合によっては祖国を応援するのが、これが最後の機会になるかもしれない。

 政治的には、険悪な米露であるが、北大路家内部では、煉がチトーのような緩衝材の為、仲が良い。

「……ふぁ」

 最後まで観たいが、何分、時差の関係上、既に睡魔が押し寄せてきている煉は、そろそろ限界だ。

「寝室に―――」

「良いよ。ここで寝るから」

 シャロンとエレーナに挟撃に遭っている以上、煉は動くに動けない。

 2人の温もりを感じつつ、目を閉じるのであった。

「御休み。シャルロット」

「御休みなさいませ」

 シャルロットと挨拶を交わした後、煉は静かに寝息を立てるのであった。


[参考文献・出典]

*1:スポジョバ HP

*2:ウィキペディア

*3:Activel 2021年12月16日

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