第307話 英ト会談

 2022年8月31日(水曜日)。

 本来は、帰国日なのだが、朝から全ての予定が解約キャンセルされ、ブラウンシュヴァイク城は慌ただしい。

 早朝にも関わらず、執事と侍女メイドは、駆けずり回り、最終確認に忙しい。

 侍従長が無線で問う。

「おい、ユニオンジャックは大丈夫か?」

『こちら、大広間。小旗、1801本、設置完了しました』

 1801という数字は、グレートブリテン及びアイルランド連合王国成立年に由来する。

 同年、日本では海商で後のゴローニン事件(1811年)で解決に貢献する高田屋嘉兵衛たかたやかへえ(1769~1827)が、国後航路を発見し、択捉島を開拓した年である。


 午前8時半。

 トランシルヴァニア王国王宮警察の軍楽隊による、国歌『女王陛下万歳』を奏でる。

 ♪

 オリビアが無理を押して予定を解約キャンセルし、これほど、イギリスを厚遇するのは冷戦期、王室や王党派をイギリス政府が保護した為である。

 イギリスは、亡命者を受け入れる環境が整った国の一つだ。

 歴史的には、


・チェコスロバキア亡命政府(受入期間:1940~1945)

・ポーランド亡命政府   (受入期間:1940~1990)

・オランダ亡命政府    (受入期間:1940~1944)

・ベルギー亡命政府    (受入期間:1940~1944)


 と、特に第二次世界大戦中が有名であろう。

 自国もナチスの大空襲の被害に遭ったのだが、それでも、他国の亡命政府を受け入れたのは、なんと度量が深い国であるだろうか。

 ポーランドに至っては、本土が共産化した以降も支援し続け、その期間は実に半世紀にも及んだ。

 これらの国々と共にトランシルヴァニア王国亡命政府は、第二次世界大戦~東欧革命までイギリスで活動し続けた訳である。

 そういった事情からトランシルヴァニア王国では親英感情が強く、オリビアがわざわざ、例外的に会談を認めるのは、当然の話であった。

 リムジンから降りて来たのは、縮れ毛に立派な口髭をたくわえたボールドウィン。

 政治家になる前は、フォークランド紛争(西スペイン名:マルビナス戦争)で大活躍した軍人である。

 今ではその面影も無いほど肥満化したが、それでもその眼光の鋭さは、死んでいない。

 前日に入国し、ウラソフと形式的な会談をした後、『女王陛下万歳』の下、ブラウンシュヴァイク城に入った。


「皆、綺麗になったな?」

「「「「有難う御座います」」」」

 シャンデリアの下の大広間で、ボールドウィンはBIG4と会った。

 4人は、綺麗に着飾っている。

 抱擁も行うくらい親しい仲なのだったのだが、新型ウィルス以降、社会的距離ソーシャルディスタンスの御蔭で、その文化が廃れつつあり、煉が嫉妬深い事もある為、両者は行わない。

 BIG4の後は、オリビアだ。

 BIG4が左右に分かれ、オリビアと目が合う。

「首相、初めまして。戴冠式前では御座いますが、新女王のオリビアですわ」

「陛下、お初にお目にかかりまして光栄で御座います。ジャック・ボールドウィンです」

「失礼ですが、首相。スタンリー様とは、御親族で?」

 オリビアが言及したのは、スタンリー・ボールドウィン(1867~1947)。

 第二次世界大戦前に3期、

(1期目:1923~1924、2期目:1924~1929、3期目:1935~1937)

 勤め、1937年、退任直後に連合王国貴族(伯爵)になった人物である。

 日本で言えば、


・戦前

・3度首相を歴任(1901~1906、1908~1911、1912~1913)

・貴族


 の3点の共通項から、桂太郎(1848~1913 爵位に関しては、公爵)が1番近しいかもしれない。

 その名宰相と同じ苗字ならば、オリビアのように思うのは、当然かもしれない。

 ボールドウィンは、笑って否定する。

「よく間違われますが、ただの偶然ですよ。彼のように、

KGガーター勲章

JP治安判事

FRS王立協会フェロー

 等も歴任出来るほど有能ではありませんし」

「これは失礼しました。貴国とは友好の印に、ささやかながら、茶会を御用意致しました」

「これはこれは。有難う御座います」

 今日が帰国日であり、残り時間が少ない事は、ボールドウィンも知っている為、長い茶会は余り乗り気ではないのだが、オリビアの厚意を無碍むげにする事も出来ない。

 ボールドウィンと5人は、茶会を始めるのであった。


 1時間ほど過ぎた後、ようやく、ボールドウィンは切り出す。

「それで、王配殿下は何処へ?」

「ああ、今は別件で、城を離れています。もうすぐ来る頃かと」

「陛下」

 ライカがオリビアに耳打ち。

「……首相、噂をすれば影が差す。王配が来ましたわ」

「そうですか」

 ボールドウィンは、身が引き締まる思いだ。

(さてと、お手並み拝見だな)

 大広間の扉が開き、煉が入って来る。

 シャルロット、シャロンと共に。

 3人共、軍服だ。

 別件というのは軍関連の行事だったようだ。

 3人は、ボールドウィンを視認すると、軽く会釈した。

 そして、煉がオリビアに言う。

「申し訳御座いません、陛下。急遽、軍学校の視察の行事が入り、そちらの方に伺っていました」

「いえいえ。公務ですから。ささ、首相にも」

「は。王配の煉です。首相、初めまして」

「王配殿下、初めまして。ジャック・ボールドウィンです」

 2人は、固い握手を交わした。

黒澤クロサワの映画に出てきそうな、日本人だな)

 10代でありながら、自分同様、鋭い眼光。

 細い線ながらも、近くで見ると意外にもがっちりした体格に、ボールドウィンは、そのように評した。

「申し訳御座いません。予定より長くなってしまい」

「いえいえ。来て下さるだけで有難い事です」

 取り留めの無い会話だが、ボールドウィンは、徐々に気付く。

 煉の後方に控える、男装の麗人と、ドイツ系トルコ人の存在に。

(あれがスヴェンとウルスラか)

 MI6の情報では、2人とも、煉の愛人兼用心棒ボディーガードの事だ。

 2人は、ボールドウィンの後方に控えるSAS特殊空挺部隊と睨み合っていた。

 万が一に備えての行動だろう。

(美人なのに刺々しい……まるで薔薇だな)

 ボールドウィンは、SAS相手に一歩も怯まない2人に感心しきりであった。


 ボールドウィンは、元々、首相になる気は更々無かった。

 あくまでも政治家止まり。

 それ以上は、望んでいなかったのだが、運命の歯車が狂いだしたのは、新型ウィルスが猛威を振るい始めた2020年からであった。

 その時に議員として英国疾病予防センターCDSCの対策案を逸早く世間に訴えた事で、その名を高め、とんとん拍子に出世。

 翌年までには、一介の議員から保健・社会介護大臣(=厚生労働大臣に相当)にまでなった。

 そして、今年に入っても幸運は続く。

 今年の初め、都市閉鎖ロックダウン中に、政府機関で上司である首相の誕生日会を含めた宴会が行われたことが報道され(*1)、首相の支持率は低下。

 あれよあれよと言う間に、自分がその後任者になった、という訳である。

 棚から牡丹餅、とはまさにこのような場合に使うのだろう。

 着席し、暫く話した時機で本題に入る。

「殿下、申し訳御座いませんが、ウクライナに来て頂けますでしょうか?」

「な!?」

「……!」

 オリビアは言葉を失い、シャルロットは息を飲み、打診された煉はというと。

「……」

 何処までも無表情を貫くのであった。


[参考文献・出典]

*1:BBC 2022年1月25日

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