第267話 88の隠し子
煉からの情報提供に、フリッツは、感心した。
(成程な。虚偽情報で惑わすのか)
リモートの相手である煉は、強面だが、歴戦の軍人感が画面越しでも伝わってくる。
「今回の情報提供は、ドイツを代表して感謝します」
『いえいえ』
「然し、何故、私に直接なんです?」
国家間の情報共有である。
もう少し、高いレベルが相応しい筈だ。
その疑問に、煉は笑顔で答えた。
『長官が検事総長だった時のドキュメンタリー番組を拝見させて頂く機会が御座いまして、その際、長官の人柄と手腕に感銘を受けまして、この度、御協力をお願いした次第です』
「……はぁ」
記憶の片隅にあった思い出を掘り返す。
(ああ……そう言う事か)
煉が自分を信頼したであろう、理由が推測出来た。
検事総長時代、ネオナチや共鳴者から命を狙われたり、買収を持ちかけられたりしても、フリッツは毅然とした態度で臨み、退けた。
それが御眼鏡に適ったのだろう。
『……長官、確認なんですが、陛下のドイツでの影響力は、どうでしょうか?』
「残念ながら、ネオナチが象徴とし、各地で勢いをつけています」
『長官が実践されている戦う民主主義で弾圧する事は出来ないでしょうか?』
「気持ちは分かりますが、我が国は、法治国家ですので……」
強権的なロシアでさえ、ネオナチが居るのだ。
最大の被害者であるイスラエルでも存在している。
国家VS.ネオナチは、永遠の戦いになるだろう。
「それよりも貴国の方は、大丈夫なのですか?」
『ええ。大丈夫です。既に手は打ってあります』
それ以上、煉は何も言わない。
ディートリッヒ排斥の為の秘密工作を行っているのだろう。
オットー・スコルツェニー(1908~1975)以来、《欧州で最も危険な男》であるのは、間違いない。
幸運な事に、煉はナチズムには否定的で、反ナチス派だ。
情報によれば、前世がユダヤ系である事も関係しているのかもしれない。
『我が国は、幸か不幸か、絶対王政です。ですので、何事にも迅速な対応が出来ますので』
皮肉にも聞こえるが、事実だ。
絶対王政や独裁国家では、上意下達がはっきりしている。
一方、民主主義国家では、その間に手続きや許可取りがある為、どうしても時間がかかってしまう。
この為、天災や戦災の時は民主主義国家より、絶対王政或いは、独裁国家の方が有利と言えるだろう。
日本の場合は天災が多い為、その分に関しては、諸外国と比べると、対応が速い。
『長官、貴国には、我が国以上にまだまだ沢山の共鳴者が居ます。戦う民主主義を標榜しているのであれば、もう少し、強めに取り組んだ方が宜しいかと思います』
「有難う御座います」
煉とフリッツの会談は、約30分で終わった。
フリッツの下には時々、
完全なるネオナチからの脅しだ。
検事総長時代、若手検事はこれに委縮して、被害者の訴えを無視し、不起訴をする等、問題行為があったが、フリッツは、愛国者である。
決して、悪には屈しはしない。
その部屋には、黒い楽団の構成員の1人である、ヴィルヘルム・カナリス(1887~1945)海軍大将の写真が飾られていた。
彼は、ナチスへの不信感から、反体制派に転じ、黒い楽団に貢献していたのだが、戦争が終わる約1か月前に黒い楽団の構成員である事が露見し、絞首刑に処された。
あと1か月、生き長らえていたら、戦後のドイツを支える重要な人物になっていたかもしれない。
海軍大将に問いかける。
「海軍大将、貴方なら、自分の手が汚れてでも、ネオナチを弾圧しますか?」
『……』
言わずもがな、海軍大将は、答えない。
カナリスも周囲が敵だらけの中、ヒトラーに反旗を翻した。
その勇気と行動力は、賞賛に値するだろう。
「……」
送られてきた鉤十字と弾丸を見下ろす。
この二つが、戦後のドイツの民主主義を妨げた要因の一つだ。
憲法の番人として、許す事は出来ない。
(……少々、荒っぽいが、少佐の策に乗るか)
煉の下にドイツ政府側の人間である、フリッツから計画の賛成と参加の依頼が来た。
「有難う御座います。御決断して下さり有難う御座います……はい、それではまた」
電話を切った後、煉は、大きく息を吐いた。
「
「お疲れ様です」
シャルロットが、時機を見て、お茶を置いた。
「有難う」
「お仕事は、順調ですか?」
「今の所はな。長官がこちら側に寝返ってくれて良かったよ」
「あちらに残留する可能性があったと?」
「言うても、役職上、政府側だからな。賭けだったよ」
「もし、残留していた場合は?」
「そりゃあ醜聞をちらつかせて無理矢理黙らせるか、ネオナチのテロに見せかけて殺すだろうな」
清廉潔白なフリッツだ。
脅迫には屈しない可能性が高い可能性が高い為、現実的には、後者の方が、実行する可能性があっただろう。
「まぁ、怖い♡」
シャルロットは、膝に座ると、煉の頬にキスをした。
「仕事中だが?」
「惚れ直したんですよ。その
「よく言われるよ」
シャルロットに唇にキスをし返すと、煉は彼女を抱っこする。
あくまでも愛人であるが、煉は女性に待遇の差をつける事は良しとしない為、愛人でもこの家は、過ごし易い。
無論、正妻に配慮する必要はあるのだが、正妻が殆ど立ち入る事が無いここではシャルロットの独壇場であった。
「旦那様、お願いがあります」
「なんだ?」
「私も正式に軍人になりたいのですが?」
公私共に支えたい。
そんな意思をシャルロットの瞳が訴えていた。
「……気持ちは有難いが、持病の事があるだろう? 皐月の許可が出たらな?」
「え? 良いんですか?」
前向きな発言に提案したシャルロットの方が戸惑う。
「チームだからな。出来るだけ人が多い方が良い」
少数精鋭を好む煉にしては、珍しい発言だ。
シャルロットの想いを極力、叶えたい、という気持ちの結果だろう。
「有難う御座います♡」
配慮に嬉しくなり、シャルロットはその胸板に頭を埋める。
「御礼に一つ、昔話をしても良いですか?」
「良いよ」
煉はその頭を撫でて頷く。
「
「古い話だな?」
―——第二次世界大戦中、独伊は同盟国である日本に軍事協力の為に潜水艦を派遣した。
その関係で1942年11月30日、横浜港ドイツ軍艦爆発事件(死者102人)が起きている。
前触れも無く話し出したシャルロットに、煉は違和感を覚えた。
「……おい、嘘だろ?」
震える煉を無視し、シャルロットは、続ける。
「
「……その子の素性は?」
「何も分かりません。同盟国の大日本帝国にさえ、その記録が残されていない為、若しかすると……ですが」
「……」
フランスの情報機関の一つである
相応の、信憑性のある情報があった為、動いたのだろう。
「……つまり、日本にも子孫が居る可能性があると」
「恐らくは……」
「……その話はいつ頃、聞いた?」
「幼少期の事ですので、時期は……済みません」
「いや、良いよ。しつこいようで悪いが、本当にDGSEなんだよな?」
「はい。発言者は、初代長官ですから」
「……」
煉は、玄人の表情になり、考える。
DGSEが設立したのは、1982年4月2日の事。
そして、初代長官は同年6月17日から翌年の11月10日までの任期であった。
可能性としては、この間の調査であろう。
その時期と仮定した場合、遣日潜水艦作戦から約40年後の事である。
(……噂が事実ならば、GHQをも隠し通せた、という事か?)
熟考に入った煉を、シャルロットは、欲情した顔で見詰める。
(可愛い♡)
そして、煉の頬をぺたぺたと触り、彼を感じるのであった。
煉の要請により、外事警察が動く。
日本でもヒトラーの子孫の報道は、盛んに報道されていた為、公安警察は、過敏になっていた。
ドイツから遠距離な日本であるが、ナチズムに共感を示す者も多い。
―――
・アンネの日記破損事件(2014年2月)
犯人:心神喪失状態で不起訴(*2)。
東京地検「人種差別的な思想に基づくとは認められなかった」(*3)
・相模原障害者施設殺傷事件(2016年7月26日 死者19 負傷者26)
犯人:T4作戦に感化(*4)。
但し、家宅捜索ではその関連性は見受けられず(*5)。
―――
この為、警察庁はイスラエル大使館の警戒を最大限にする等、強化に努めている。
一介の警察官よりも駐在武官の方が、目に見えて強いのは、自明の理である。
極論、無警戒且つ、門扉を全て開放していても、侵入者を返り討ちにする事くらい、造作も無い話だろう。
(対岸の火事が飛んできたか)
首相の伊藤は、不快感を示す。
改憲以降、国内では、ナチズムを掲げた政治団体が乱立している。
(本人に悪気が無くとも、その血統がなぁ)
もし、日本国籍を取得していれば、一国民だ。
それによっては、国民感情が左右される可能性もある。
改憲後、様々な公約を実行に移している伊藤にとっては、重大な
選択を誤れば、泥船である。
(関わりたくないんだがなぁ。仕方ないか)
伊藤は重い腰を上げ、
[参考文献・出典]
*1:AFP 2013年5月6日
*2:共同通信 2014年6月20日
*3:毎日新聞 2014年6月20日
*4:産経新聞 2016年8月8日
*5:産経新聞 2016年8月16日
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