第268話 アイヒマン連行作戦
2022年7月9日(土曜日)。
アドルフが告白してから、その衝撃は癒えてはいないが、同時にその後継者候補に注目が集まっていた。
次点でディートリッヒであるが、その差は、100倍もある。
ディートリッヒは、第1王子であり、オリビアは末席中の末席。
前者は、柔道の
イギリスでも、ダイアナ妃が英国民から愛され、その息子の兄弟の一挙手一投足に国民が注目した様に、こればかりは、仕方の無い事だろう。
容姿の方も、若しかしたら関係しているのかもしれない。
柔道経験者であるディートリッヒは、その所為で耳が潰れている。
所謂、『柔道耳』(正式名称『耳介血腫《じかいけっしゅ』)だ。
柔道耳は格闘家の勲章なのだが、見慣れない人は、そこを注目し、ディートリッヒは、怖がってしまう。
ただでさえ、体格が良いのに、これなのだ。
国民が怖がるのも無理無いだろう。
一方、オリビアは文字通り、《民衆を導く自由の女神》と称された革命軍の花であるシルヴィアの血を引く美しい女性である。
男尊女卑が激しかった時代ならば、無投票でディートリッヒが国民から支持を得たかもしれないが、現在は男女同権の時代だけあって、強面な王子より、美しい王女が人気になるのは、無くは無い話だ。
移行期間となったが、正式に退位するまでは、アドルフが国家元首だ。
重荷から開放されたアドルフは、国営放送のインタビューを受けていた。
「陛下、普段はどんなテレビを御覧になられていますか?」
「昨今は、各局、視聴率争いが激しいですからね。特定の番組は言えませんよ」
ドッと、会場は笑いに包まれる。
回答の模範は、昭和天皇だ。
同じ様な質問をされ、同じ様な回答をされた。
御自身の影響力を考慮しての事である。
ただ、そのまま答えても、それはカンニングなので、独自色も出さなければならない。
「ジャンルでしたら、スポーツ、ドラマ、コメディ、動物ですかね」
「幅広いですね?」
お堅いイメージがある為、王族=報道番組専門、という固定観念が国民の間に流布していた。
司会者が驚くのも当然であった。
「報道一辺倒かと?」
「流石にそれは無いですね。国営紙もありますので」
やんわりと否定する。
アドルフの国民からの人気は高い。
それは国王にも関わらず、物腰が柔らかく、又、常に菩薩の様な柔和な笑みを浮かべ、常に国民の健康と国家の繁栄を願っているからであろう。
司会者は、突っ込んだ質問を行う。
「後継ぎは、どのようにお考えで?」
国民の関心が高い件だ。
在位中に直接、聞くのは不敬罪とも解釈出来る危険な行為である。
然し、アドルフは、笑顔だ。
「そうですね。僕同様、有能な人が良いな」
再び会場に笑いが起きた。
多くの人々には、皇帝、国王クラスになると、一人称は「朕」の心象があるだろうが、公私では、使い分ける場合がある。
実際、昭和天皇も玉音放送では、「朕」を使用しているが、私的な場面では「僕」を使っていた。
大正15(1926)年5月、戦艦長門の甲板で、
『僕は煙草はのまないからタバコ盆は煙草呑みにやろう』(*1)
と御発言されたのを居合わせた兵士が聞いている(正確には、当時は皇太子であるが)。
アドルフが冗談交じりではあるが、はっきりと後継者について条件を出した為、今後の後継者争いに影響が出るのは、言わずもがなだ。
その頃、
真っ赤なスーツを着た女子アナが、強張った表情で伝える。
『―――ええ、たった今、入って来た情報です。マウレ州リナレス県パラルにあるドイツ系移民入植地で爆発事故が起きた模様です。現場からどうぞ』
『はい、こちら
ヘリコプターに乗った記者が伝え、カメラマンが現地をズームする。
・学校
・菜園
・ホテル
・刑務所
……入植地の近くにあるその殆どに、硝子が割れたり、建物にひびが入る等の被害が出ていた。
『
・機関銃
・自動小銃
・ロケットランチャー
・戦車
等が発見されており、爆発の規模から、恐らく不発弾の可能性もあるでしょう』
入植地の広さは、1万3千
入植地自体は公的には捜査対象の為、関係者以外の立入が禁止されている。
その為、人的被害はあっても少数、と思われた。
爆発事故を報じるテレビに、チリ国民の視線が奪われる中、アルトゥーロ・メリノ・ベニテス国際空港(旧サンティアゴ国際空港)では、
「「「……」」」
外交官旅券を持ったイスラエルの外交官が、搭乗手続きの為、出国を待っていた。
税関職員が、違和感を抱く。
「済みませんが、彼等は?」
「ああ、昨日、宴会で酔い潰れたんですよ。ほら、酒臭いでしょ?」
ぐったりと意識が無い外交官達の顔を、税関職員は凝視した。
次に、答えた外交官を見る。
「もし、必要でしたら、氷を持って来ましょうか?」
「いえいえ。お気遣いなく、有難う御座います」
外交官が視線を送ると、屈強な体格をした軍人が現れ、眠っている外交官達を担ぐ。
「は、はぁ……」
税関職員が見送る中、彼等は、
搭乗した外交官は、
「おい」
と軍人に目配せ。
すると、彼等は、眠っている外交官達に手錠をし、座席に縛り付けた。
逮捕者は全員、バイエルン州ビラで拘束した元ナチスやネオナチだ。
1960年5月21日。
アイヒマンをアルゼンチンから出国させた時以来の秘密作戦である。
外交官役と軍人は、モサドの工作員であった。
62年振りの事なので、彼等も緊張の糸が緩む。
後は出国し、イスラエルの地に降り立てば、任務完了だ。
モサドがオデッサ壊滅に動いたのは、ドイツの報道機関が、バイエルン州風
もし報道されたら、逃げられる可能性があった為、止む無く動いた形である。
又、焦った理由は、他にもある。
元ナチスの高齢化問題だ。
今年で終戦から77年。
1945年当時、20歳だった者が生きていれば、97歳だ。
着実に死期が近づいている。
あの世に逃げられたら、流石のモサドもそこまでは、追う事が出来ない。
なので、早急に拘束し、出廷させる必要があった。
今回、拘束したメンバーの内、100歳近い者も居る。
彼等は、ハリウッド映画顔負けの特殊メイクで、外見を若くさせ、出国に漕ぎ着けたのだ。
こんな苦労をかけて拘束したのだから、何としてでも成功させたい、と思うのが人間だろう。
「……」
外交官役の工作員は、殺したい気持ちを必死に抑える為に煙草に火をつけるのであった。
モサドが暗躍する中、煉も独自に調査を続けていた。
「皐月、新生児の予防接種の記録、手に入れる事が出来る?」
「何に使うの?」
「国家機密で言えないけど……言った方が良いよな?」
「まぁね。個人情報だし」
仕事で疲れた皐月を、煉は、浴槽で抱き締め、その頭を撫でていた。
司が羨ましそうに見ているが、今は、皐月優先だ。
「遣日潜水艦作戦でヒトラーの子供と思しき赤子が来日していた。その足取りを追っている」
「はぁ……その話ね?」
「出来る?」
「善処するわ」
皐月は、相当、疲れている様で、今にも船を漕ぎ出しそうなほどの睡魔に襲われている。
「たっくん、今日はお母さんと寝てあげて」
「良いけど、何で?」
「最近、学会と診療で忙しくて、たっくんと全然、触れ合えなかったから、心身ともに不調なんだよ」
「……そうか」
司とは学校でも会えているが、皐月とはとことん時機が合わなかった。
学会も一段落し、漸くゆっくり出来るようになった今、皐月には、煉が必要不可欠であった。
「……煉」
「うん?」
「ベッドまで宜しく」
それが最期の言葉かの様に、皐月は、遂に船を漕ぎだした。
「……」
「ね? お母さん、お疲れでしょ?」
「……分かった。でも司」
「へ?」
「君も一緒だ」
司に手を伸ばし、彼女も浴槽に誘う。
公爵になる前後、仕事でオリビアやBIGを優先する事が多かった煉だが、1番愛しているのは、司である。
皐月の隣に座らせると、煉は、司を抱き締める。
「……何?」
「御免。放置してて」
「あー。そのこと?」
全然、気にした様子は無く、司は微笑む。
「たっくんは、お仕事。私は、夢の為に忙しい。御互い仕方の無いことだよ」
司の夢は、医者。
煉の夢は、現時点で未定であるが、軍人だろう。
もう高校3年生。
同級生の多くは、既に進路を決め、受験勉強、或いは、就職の準備を行っている。
恐らく、高校3年生の中で何もしていないのは、煉くらいだろう。
ただ、煉の場合は、既に駐在武官として働いている為、既に内定状態であるが。
正妻として余裕がある分、司は割り切っているのだが、煉は必要以上に気にしていた。
「時間作るよ」
「良いよ。忙しいんでしょ?」
「いや、一緒に居たい」
珍しく
「……分かった」
その愛の深さに司は苦笑いしつつ、振り返って、濃厚なキスを行うのであった。
入浴後、煉は、皐月をベッドまで連れて行き、添い寝。
「んん……煉♡」
寝惚けた皐月は、煉を抱き枕にして離さない。
ついてきた司は、その様子に微笑むと、逆側から抱き着いた。
母娘に挟まれたが、煉は脱出しない。
2人を愛しているから。
「……たっくん♡」
「司」
司とキスし合っていると……
じー。
襖から視線を感じた。
目をやると、隙間から、八つの目が縦に並んでいた。
「……バレてるぞ?」
「……だってぇ」
襖が開き、今にも泣きだしそうな顔で、レベッカが入って来た。
そのままベッドに侵入する。
次にオリビア、シーラ、シャロンと続く。
「勇者様、御愉しみの所、申し訳御座いませんが、今日は勇者様の成分が足りなかった為、こうして夜這いに来た次第ですわ」
夜這いを、
「おいちゃんのうわきもの~……」
恨めし気にそう言うと、レベッカは、左足に抱き着いた。
「うふふふふ♡」
オリビアは、レベッカの頭を撫でつつ、右足を枕にする。
「……!」
居場所が無い事を悟ったシーラは、煉から枕を奪い、逆に自分が枕と化す。
「もう出遅れちゃった」
シャロンは、唇を尖らせると、帰ろうとするも、
「行くな」
煉がその腕を掴み、引き寄せる。
そして、抱擁される。
位置としては、煉と司の間だ。
若しかしたら最良の場所かもしれない。
「パパ?」
「愛してるよ」
「!」
耳元で囁かれ、シャロンの顔は真っ赤になる。
「……うん」
俯いたまま、固まった。
シャロンが優遇されるのは、前世で実の父娘だった為だ。
妻(シャロンの母)が亡くなって以降、2人はこの世界で、唯一の家族となる。
その煉も輪廻転生し、違った人物になった為、事実上、シャロンの血縁関係はこの世に居ない。
その為、煉が必要以上にシャロンを孤立させないのは、当然の流れであった。
「……パパ♡」
「ああ」
シャロンが振り返って、煉に抱き着く。
「可愛い♡」
年下なのに、司はそんなシャロンを愛おしく感じ、彼女も背後から抱擁するのであった。
[参考文献・出典]
*1:阿川弘之『軍艦長門の生涯』(新潮社 上・下 1975年 文庫 上・中・下)
*2:ウィキペディア
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