第258話 Braunschweig

 アイルランド系住民とスコットランド系住民の武力衝突が予想されたが、政府の素早い対応により、小競り合い程度に済んだ。

 それでも火種が出来たのは、言うまでもない。

「……」

 王室が用意したホテルで、フェリシアは、過ごしていた。

 キーガン以外の2人は、一旦、実家に戻っている。

 犯人のケネディと同郷のキーガンは、憎悪表現ヘイトクライムに遭う可能性が考えられ、フェリシア等、スコットランド系とは弔問以来、顔を合わせていない。

 煉の話では、皐月と共に別室に居るという。

「……」

 泣き腫らした目でフェリシアは、婚約者フィアンセを見た。

 離れた所で新聞を読んでいる。

 本当は1人で居たいのだが、珍しく煉は女性の願いを聞き入れず、殆ど一緒に居る。

(……後追い自殺、防止の為ね)

 煉の真意にフェリシアは、汲み取った。

 当然、自殺はキリスト教等で禁じられている。


『獄吏は目を覚まし、獄の戸が開いてしまっているのを見て、囚人達が逃げ出したものと思い、剣を抜いて自殺しかけた。

 そこでパウロは大声を上げて言った、

「自害してはいけない。我々は皆1人残らず、ここに居る」

 すると、獄吏は、あかりを手に入れた上、獄に駆け込んできて、おののきながらパウロとシラスの前に平伏した。

 それから、2人を外に連れ出して言った、

「先生方、私は救われる為に、何をすべきでしょうか』(*1)

 

 フェリシアも分かっているのだが、やはり、それがちらついてしまう。

「……」

 頭を振っていると、煉が、前を向いたまま、口を開く。

「辛かったら何でも良いから相談してくれ。乗るから」

「!」

 新聞を閉じて、立ち上がった。

 そして、フェリシアに向かって歩き出す。

「……少佐?」

「困っているなら頼ってくれよ。仮面夫婦じゃないんだから」

「!」

 フェリシアの予想以上に煉は、想っている様だ。

 それが義理堅さなのか、純粋な好意なのかは、分からないが。

 汗と涙で汚れたフェリシアを抱き締める。

「……少佐」

「うん?」

「私は……嘘を吐きました」

「嘘?」

「……はい。少佐の前で空元気を装ったのです」

「……」

 誰が見ても、演技にはなっていないのだが、煉は修正しない。

「……もう少し、このままで良いですか?」

「良いよ」

 優しい婚約者の胸の中でフェリシアは、大いに泣く。

 泣き疲れて頭が痛くなってもずっと。


 数時間泣いた後、フェリシアは煉と混浴していた。

 水分の補給、そして気分転換の為だ。

「……申し訳御座いません」

「何が?」

「その……混浴をお願いしてしまって」

「全然」

 愛妻家の煉の事である。

 オリビアや他の妻の事も気にしている筈なのだが、今回は、ずーっと、つきっきりだ。

「……荷が重いです」

「後継者?」

「はい……」

 当主のクロフォードとその息子であるショーンが一緒に亡くなったのだ。

 彼女の父親や他の親族の多くは、病死や事故死等で既に鬼籍に入っている為、順番的には、現当主は、フェリシアになる。

「俺が支えるから気にするな」

「! 良いんですか?」

「夫婦だからな。支え合わなきゃいかんだろ?」

「……」

 政略結婚であり、煉はそれ程乗り気では無かったのだが、今では、非常に協力的だ。

「……何から何まで申し訳御座いません」

「全然」

 オリビア等が、どっぷりその優しさに肩まで浸かる気持ちが、心底、理解したフェリシアであった。


 フェリシアが落ち着きを取り戻した後、煉は、彼女と夕食を済ませる。

「少佐、いつ、帰国を?」

「決めてないよ」

「少佐の学業が気になりますので、早めに帰国を―――」

「1人では帰らんよ。帰りも一緒だ」

「……はい♡」

 1番辛い時期に1番支えてくれる婚約者。

 フェリシアは、本気で煉に好意を覚えていた事を悟った。

(殿下が正室で、私は側室で……)

 そんな事を考える。

 オリビアに悪い為、正室は目指さない。

 それでも側室の中で1番を目指したい。

 その為には、沢山の恋敵と今後も激しい競争レースに勝ち続ける必要があるが。

「隣に座っても?」

「良いよ」

 煉が横移動し、フェリシアは、空いた部分に座る。

「もし、少佐に継承権があれば、次期大公に御推挙したいです」

男爵バロンで十分だよ」

 爵位に関心が無い煉は、昇進も好んでいない。

「でも、陛下は、そうとは限りませんかもよ?」

「何?」

 噂をすれば影が差す。

 部屋の黒電話が鳴り、煉は出た。

「はい?」

少佐マヨーア。済まんな。いきなり呼んで』

「陛下?」

 聴き慣れた声に、煉は直立不動になる。

『今回も急で済まんが、貴殿に爵位を授けたい』

「! 急ですね?」

『ああ、流血沙汰を防ぐ為だ。大公と元護国卿が一度に失ったスコットランド系が、アイルランド系への報復措置を願い出ている』

「……」

 精神的指導者を失ったスコットランド系の憎悪は分からないではない。

 然し、アイルランド系もケネディの個人的な行為で、民族全体が敵視されるのは、迷惑千万だ。

 アイルランド系は、自衛に動く筈である。

『幸いというべきか。少佐は、両方を同時に娶っている。両派の対立を防ぐ為には、少佐の協力が必要なんだ。分かってくれ』

「その為の爵位、ですか?」

『そういう事だ。英雄が2人の意思を継げば、事は丸く収まる。ヒンデンブルクを嫌うナチス以外のドイツ人が居たか?』

「……居ませんね」

 アドルフが引き合いに出したのは、第一次世界大戦の初期にあったタンネンベルクの戦い(1914年8月17日~9月2日)におけるドイツの英雄、パウル・フォン・ヒンデンブルク(1847~1934)の事だ。

 第一次世界大戦には負けたものの、ドイツ国民からは英雄視され、共和制のワイマール共和国(1919~1933)の後半、大統領を務めた。

 存命中、ナチスは自制していたが、彼の死後、ストッパーが無くなった事で暴走していく。

 もう少し長寿であれば、又、違った未来があったかもしれない。

 彼の死は、ドイツは勿論の事、ヨーロッパの分岐点であった。

「……御言葉ですが、陛下。自分は元帥とは比べ物にはなりませんよ?」

『そう言うな。民族紛争を避ける為では、少佐の力が必要なんだ』

「はぁ……」

 乗り気では無いが、ほぼ決定事項な様なので、煉に拒否権は無い。

『爵位は、公爵ヘルツォークだ。今後は、『ブラウンシュヴァイク公』と名乗ってくれ』

「!」

 ブラウンシュヴァイク公は、ドイツに嘗てあった爵位で、公国としては、1815~1818年まで存在していた。

 家名としては、『ブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン家』としてその名を轟かせていたのだが、1884年(日本で秩父事件があった年)に家長のヴィルヘルム8世(1806~1884)の死去に伴い断絶した。

 国が違うが、名前だけなら、138年振りの復活である。

「……陛下、おそれながら何故、ドイツの爵位なのですか?」

 当然の話だ。

 クロフォード、ショーンの後継者ならば、スコットランド系の爵位が妥当であるから。

『本当は、それで進みたかったが、他の三つの家からは、反対意見が出たんだ。影響力が大きい少佐がスコットランドの爵位を継げば、そこに権力が集中しかねん。少佐が無欲であってもな?』

「……」

『あの家の爵位は、いずれ、フェリシアが継ぐ。今は緩衝材として新たな爵位を設け、君にチトーの役割を担って欲しいんだ。それならば、BIG4も納得してくれる。理解してくれ』

「……は」

 公爵は、5種類ある爵位の内、最上位だ。

 一気に成り上がった、と言える。

「謹んで御受け致します」

 うして、ブラウンシュヴァイク公・北大路煉が誕生した。


「ブラウンシュヴァイク公、陞爵しょうしゃくおめでとうございます」

 フェリシアが祝意を述べる。

「有難う」

 返礼するが、煉には、余り実感が無い様で、それ程笑顔は無い。

 まるで2021年のMLBのアメリカンリーグMVPを満票で受賞した日本人選手の様な無表情ポーカーフェイスだ。

「……爵位に御興味は無いのですか?」

「偉くなれば成る程、注目されるからな。影に徹したいんだよ。拒否はしないけどさ」

「……」

 本当に欲しい人に授けて欲しい。

 そんな想いなのだろうか。

 爵位等を欲する多くの王侯貴族と比較すると、関心が余りにも低い。

(ひいおじい様が御認めになるのはこれか)

 自分や自分の派閥に敵対する可能性が低い者を厚遇し、将来の禍根の対策を行う。

 そう言った意味でクロフォードは、煉を気に入っていたのだろう。

 フェリシアも、夫が野心家だと苦労する事は目に見えている為、この位の無欲の方が良い。

「……ブラウンシュヴァイク公」

「ん?」

「私は、ブラウンシュヴァイク公に永遠の愛と忠誠を誓います」

 そして跪き、その手の甲にキスをするのであった。


 煉の献身的なサポートにより、フェリシアは曾祖父、祖父を同時に失いながらも、何とか持ちこたえる。

「……」

 二つの棺が土葬されるのを彼女は、無言で見送る。

 隣の煉の腕を取って。

 オリビアやチェルシー達も参列している。

 気を遣っていたキーガンも流石に今回は、一緒だ。

 もっとも、フェリシアとは、距離を作っているが。

「英雄に、敬礼!」

 国軍による弔砲ちょうほう弔銃ちょうじゅう二重奏デュエットの下、2人は送られる。

 対象者や軍によってその数は、異なるのだが、国軍が発射したのは、21発。

 これは、陸上自衛隊が大喪の礼の際、昭和天皇の為に行った回数と同じ数字だ(*2)。

 天皇エンペラーと大公、元護国卿では比較にならないが、それ程、2人が敬愛されていた証拠だろう。

 弔砲、弔銃後には、王立スコットランド民族管弦楽団ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル・オーケストラが『スコットランドの花フラワー・オブ・スコットランド』と『勇敢なるスコットランドスコットランド・ザ・ブレーヴ・アルバ・アン・アイ』が演奏される。

 両曲は、スコットランドの非公式国歌だ。

 ラグビーやサッカー等の大会で演奏される為、日本人にも聴き馴染みがあるかもしれない。

 世論調査では、『スコットランドの花』の方が人気である(*3)。


『【スコットランド国歌に相応しい曲】投票率(*3)

 1位 スコットランドの花      41%

 2位 勇敢なるスコットランド    29%


 この資料は、

 2006年と古い為、2022年現在とは別の結果の可能性もあるが、スコットランドが独立した場合、少なくともこの2曲の内、どちらかが国歌に採用されるだろう。

 それ程、スコットランドの人々には、愛されているのだ。

 キルトを着た軍楽隊ミリタリー・バンドもグレート・ハイランド・バグパイプを奏でている。

 グレート・ハイランド・バグパイプは18世紀中頃、約50年間、政治的な理由から演奏が禁止されていたが、楽器だ。

 それでもスコットランド人は、手放す事はせず、現在では、

あざみ

・『久しき昔オールド・ラング・サイン』(準国歌。『蛍の光』の原曲)

 等と共にスコットランドを象徴する物の一つとなっている。

均衡バランス感覚は、チトー並だな)

 その光景を眺めつつ、煉は考えた。

 余りにも政治色が強い為、本来だと独立運動に発展してもおかしくはないのだが、政府は、弾圧せず寛容する事で、人心を掌握している。

 弾圧しても依然、独立運動が盛んな地域がある様に、寛容さを見せる所で国際社会にアピールするのも理由の一つなのだろう。

 無論、国を分裂させかねない独立運動を、トランシルヴァニア王国は黙認している訳ではない。

 独立運動を王室批判と拡大解釈する事で、抑え込む事もあるのだ。

 もっとも、独立主義者も現実主義者リアリストである。

 20世紀以降、世界では長い歴史の中で、多くの独立国家が誕生しているのだが、その多くが経済的に先進国とは言い難いのが、現状だ。

 1960年、アフリカ大陸では、17か国もの新国家が誕生した。


 元日  :カメルーン   (仏から。翌年、英領カメルーン南部と合併)

 4月27日:トーゴ     (仏から)

 6月20日:マリ      (仏から。正式な独立は9月22日)

 6月26日:マダガスカル  (仏から)

 6月26日:ソマリランド  (英から)

 6月30日:コンゴ民主共和国(ベルギーから)

 7月1日:ソマリア     (伊から。その後、ソマリランドと合併)

 8月1日:ベナン      (仏から。当時の国号は、「ダホメ」)

 8月3日:ニジェール    (仏から)

 8月5日:ブルキナファソ  (仏から。当時の国号は、「オートボルタ」)

 8月7日:コートジボワール (仏から)

 8月11日:チャド      (仏から)

 8月13日:中央アフリカ共和国(仏から)

 8月15日:コンゴ共和国   (仏から)

 8月17日:ガボン      (仏から)

 10月1日:ナイジェリア   (英から)

 11月28日:モーリタニア   (仏から)

 

 所謂、『アフリカの年』である。

 然し、独立後、多くの国々では不安定だ(*4)。


 カメルーン   →政変未遂事件(1983)等

 トーゴ     →大統領の独裁化

 マリ      →北部紛争(2012年1月17日~)

 マダガスカル  →政変(2009年1月初頭~3月)

 ソマリランド  →プントランド・ソマリランド紛争(2007~2008)

 コンゴ共和国  →コンゴ動乱(1960年7月5日~1965年11月25日)

 ソマリア    →内戦(1988~)

 ベナン     →1963~1972年の間に5回の政変

 ニジェール   →政変(1974、1996、1999)

 ブルキナファソ →政変(1966、1980、1982、1983、1987、2015)

 コートジボワール→政変(1999、2002)、内戦(2002~2005、2010~2011)

 チャド     →内戦(1965)、政変(1975)、大統領の独裁化

 中央アフリカ共和国→「中央アフリカ帝国」

 コンゴ共和国  →政変(1968)、内戦(1993~1994、1997~1999)

 ガボン     →政変未遂(1964)、政変(2019)

 ナイジェリア  →ビアフラ戦争(1967~1970)

 モーリタニア  →政変(1978、1984、2005、2008)


 独立を達成出来ても、これ程の前例がある以上、独立後は前途多難だ。

 それならば、「北海油田の旨味を共有出来る為、現状を維持する」というのが独立主義者の方針だ。

 それを政府は、理解し、上手く操作コントロールしているのである。

(俺よりも政府の方がチトーの名に相応しいんじゃないかねぇ)

 そんな事を考えながら、煉はしっかりとフェリシアの手を握っているのであった。


[参考文献・出典]

 *1:『新約聖書』使徒行伝16章27~30節

 *2:『防衛白書』平成元(1989)年

 *3:王立スコットランド民族管弦楽団ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル・オーケストラによるオンライン世論調査 2006年6月

 *4:ウィキペディア

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