第239話 夢と現実

「少佐、有難う御座います♡」

 煉の胸元に顎を乗せたライカは、笑顔であった。

「何の話だ?」

「先程の―――」

「あー……気にするな」

 ライカの露わになった背中を撫でつつ、煉は続ける。

「それよりも、ライカ、最近、また綺麗になったな?」

「本当ですか?」

 照れ臭そうに笑う。

「ああ、赤抜けた感じだよ」

「……有難う御座います♡」

 男性と誤解されるくらい、ボーイッシュなライカが、初めて女性扱いされたのは、煉が初めてであった。

 キリスト教の思想が一部で強いトランシルヴァニア王国では、ボーイッシュな女性は、男性には、余り人気が無い。

 ボーイッシュな彼女(又は妻)と居ると、彼氏(又は夫)は、同性愛者と誤解される場合がある。

 ―――

『偶像崇拝や婚前性交渉、魔術や占いをする者と共に『男色する者』は神の国を相続しない』(*1)

 ……

同性愛嫌悪ホモフォビアは人間性に対する罪であり、分離アパルトヘイト政策と同じく、いかなる意味においても正当化されえない』(*2)

『黒人は本人にはいかんともしようのない肌の色によって追い責められたが、性的指向によって差別される人々も同じ目に遭っている』(*2)

 ―――

 のが、キリスト教の現状であり、2009年には、

・福音派

・カトリック教会

・北米聖公会

・正教会

 等の指導者152人が同性婚等の反対を訴えるマンハッタン宣言に署名している(*3)。

 但し、キリスト教全体が同性愛嫌悪という訳ではなく、LGBTの教会もあり、9・11で殉職し、後に聖人となったマイカル・ジャッジの例もある。

 その為、一概にキリスト教=同性愛嫌悪ではないのだが、やはり、保守派には、中々、受け入れ難いのが現状だ。

 尤も、カトリック教会では、しばしば、児童への暴行事件が起きている為、保守派の中にも、同性愛者が居てもおかしくは無い。

 そんなトランシルヴァニア王国出身のライカが、こうして、男性と同衾しているのは、敬虔なキリスト教徒の王侯貴族には、耐えられない話だ。

 ライカを抱き締めつつ、囁く。

「キーガンは、危険か?」

「野心家でしょうね。想像以上の」

「有能な軍人だ。余り敵対したくはない」

御尤ごとっともです。然し―――」

「分かってるよ」

 頷いた煉は、見上げた。

「ウルスラ、居るんだろ?」

「はい♡」

 名指しされたウルスラは、天井裏からひょっこりはん。

 このドイツ系トルコ人は、初対面の時から隠密行動に特化している。

 若しかしたら、前世は、くノ一なのかもしれない。

「キーガンは、どうだ?」

「野心家で、忠誠心が篤く、愛国心の塊です」

「……上出来だ」

 煉の意見と一致した。

 手招きすると、ウルスラは、飛び降りて、宙返り1回転。

 突き刺す様に、ベッドに着地した。

 その洗練された動きは、ここがプールだと最高点の10点であっただろう。

 東京五輪(2020年)現在、ドイツ人の飛込競技メダリストは居ても、トルコ人のそれは、男女共に生まれていない。

 トルコ人の水泳選手として活動していた世界線があれば、ウルスラは、それでも五輪で大活躍し、国家の英雄として高名を轟かせていただろう。

 ウルスラに遅れて、スヴェンも顔を出す。

「あ、負けた……」

 急いで来たのだろう。

 髪の毛が乱れ、汗も搔いている。

 が、煉は気にする事無く手招き。

御出おいで」

「はい♡」

 完全に毒されているスヴェンは、煉のどんな指示にも従う。

 ウルスラ同様、綺麗な1回転を披露し、煉に飛び込んだ。

「師匠♡ 師匠♡」

 汗も一瞬で引く。

「少佐……」

「済まんな。ライカ。出歯亀ピーピング・トムが居る前で愉しむ趣味は無いんだよ」

「……はい」

 渋々、納得するライカ。

 ウルスラやスヴェンに見られながら抱かれるより、いっその事ならば、一緒に楽しんだ方が羞恥心は軽減されるかもしれない。

「宜しく……お願いします」

 緊張した面持ちで改めて、三つ指を突くのであった。


 明け方。

 ウルスラは、煉に抱き着いてた。

 周囲には、スヴェンとライカも居るが、2人は、疲労困憊で熟睡中だ。

「(……少佐)」

「(うん?)」

 煉にキスし、ウルスラは、改めて礼を言う。

「(有難う御座います。助けて頂いて)」

「(全然)」

 何処までも偉ぶらない。

 全力で愛妻に尽くす。

 それが、煉という男だ。

「(今後は、少佐の忠臣としても尽くさせて頂きます)」

「(有難う)」

 2人は、何度もキスを交わす。

 無神論者とイスラム教徒。

 日本人とドイツ系トルコ人。

 2人の間には、様々な距離があるが、2人には、関係が無い。

「(お慕い申し上げます)」

「(ああ)」

 2人は、もう一度キスした後、そっとベッドから出ていく。

 そして、ウルスラの部屋に向かうのであった。


 寝室でもう何戦か行った後、2人は眠る。

 抱き合ったままで。

 夢の中でもウルスラは、煉と愛し合っていた。

 ―――

 男性イスラム教徒ムスリムの特徴である髭を生やした煉は、7歳位の男の子を抱っこしていた。

「モハメド、『聖典コーラン、暗唱出来る様になった?」

「まだ」

「そうか。頑張って覚えるんだぞ?」

「うん!」

 元気よく返事する我が子。

 ウルスラも微笑んで、その頭を撫でる。

「将来は、イスラム法学者ウラマーになって欲しいわ?」

「うん! がんばる! でも、サッカー選手にもなりたい」

 イスラム圏では、サッカーが人気だ。

 イランやサウジアラビア、ナイジェリア等、W杯の予選や本選等、世界大会でよく見る常連国も、イスラム教を国教としていたり、国民の多数派がイスラム教徒である。

 十字軍等、歴史的な事情で反欧米感情が強い国々であってもイングランド生まれのサッカーは、最早、国技の様なスポーツであり、国内リーグも盛り上がっている事が多い。

 欧州のトップリーグで活躍しているイスラム教徒も数多く居る。

 子供のモハメドが、早くからイスラム法学者よりもサッカーに興味津々なのは、無理からぬ事であろう。

「そう……」

 イスラム法学者になって欲しいウルスラは、複雑だ。

 子供の夢は応援したいが、サッカーを始めとするスポーツは、成功すれば良いが、失敗した場合、貴重な若い時間を消費するだけなので、出来れば、イスラム法学者の様なお偉いさんになって、人々から尊敬の対象になって欲しい所だ。

「ウルスラ、子供の前でそんな顔をするな」

 子供を膝から下ろし、代わりに煉はウルスラを抱き寄せる。

「待って―――モハメドが見てる―――」

「良いんだよ。鴛鴦おしどり夫婦、見せ付けてやろうぜ?」

「あ♡」

 煉に体を触られ、ウルスラは甘い声を出す。

 ―――

(……夢か)

 目覚めたウルスラは、子供が居ない事にショックを覚えつつも、煉の顔を撫でた。

「zzz……」

 滅多に見られない寝顔だ。

 同衾した者しか見られない貴重な経験だ。

 煉の腰部に足を絡ませて、彼に口づけ。

 それから、首に腕を回し、呼吸困難になる位、濃厚なキスを見舞うのであった。


 ウルスラ等の帰化の準備は、着々と進む。

 令和4(2022)年6月3日(金曜日)。

 夜、ライカも加わり、何とか書類の確認を終えた煉は、それを電子化したものを、本国に送る。

 土日を挟む為、審査を開始するのは、最速で6日(月曜日)から。

 移民局が審査基準を発表していない為、5人が合格するかは、分からない。

「ライカ、有難う」

「いえ」

「残業代、後で振り込んでおくよ」

「有難う御座います」

 執務室を出て、大広間に入る。

 夕食を済ませた司達は、それぞれリラックス・モードであった。

 司と皐月は医学書を、オリビア、シャルロット、レベッカは、漫画をそれぞれ、寝そべって読んでいた。

 ナタリーは、今日の報告書だろうか。

 ノートパソコンで何か書いている。

 シーラ、シャロン、スヴェンは並んでアニメ映画を観ていた。 

 午後9時から放送が始まるこの時間は、昭和60(1985)年から続く日本の伝統的な行事イベントだ。

 昭和、平成を経て、令和と現時点で今まで三つの時代を間近で見詰めている生き証人である。

 泣ける映画らしく、既に3人は、号泣していた。

 感情を失ったヒロインを、主人公が誠心誠意支える物語は、煉も観た事がある。

 流石に泣きはしなかったが、良い映画である事は間違いない。

「勇者様?」

 真っ先にオリビアが気付き、漫画を投げ捨て、駆け寄ってきた。

「お疲れ様ですわ」

「待ってたのか?」

「はい♡」

「有難う」

 オリビアとキスし、椅子に座る。

 その間、シャルロットが炊飯器から御飯を継ぎ、鍋に残してあった味噌汁を温め直しに行く。

 我が子の深夜残業に反対派の皐月だが、今回は、帰化の手続き、という事もあって、どちらかというと理解を示している。

「お疲れ様♡」

 皐月が左に座った。

 向かい側には、ウルスラ、ライカが陣取る。

 皐月は、煉に抱き着いて尋ねる。

「上手くいきそう?」

「移民局次第だよ」

「そう?」

 息子であり事実婚の夫が、側室の為に仕事しているのは、非常に気持ちが良い事だ。

 孝行息子と愛妻家を同時に持った感じである。

 やがて、シャルロットが温かい味噌汁と御飯を持ってきて、煉の前に置いた。

 そして、自分は、右隣に座る。

「旦那様、今日、減薬出来ましたの」

「おお、そいつは凄いな」

 精神疾患を持つ患者でよくある話なのが、症状が治まってきた所で完治した、と勘違いし、自己判断で減薬、或いは弾薬する事だ。

 当然、自己判断なのに病状が悪化してしまう例が殆どである。

 これが精神疾患=薬漬け、という偏見を生む要因の一つにもなっている。

「皐月の判断?」

「そうよ。見た所、精神的には安定しているし、検査項目も良かったからね」

「良かったな」

「はいです♡」

 怒らず褒めるのみ。

 重病なシャルロットには、非常に都合が良い夫だ。

 味噌汁を啜りつつ、煉は向かい側のウルスラ、ライカのコンビに熱視線を送る。

「「……♡」」

 2人は、それに気付くと、嬉しそうに赤らめるのであった。


[参考文献・出典]

 *1:新約聖書のパウロ書簡 第一コリント6章9-10節

 *2:『性と愛と同性愛嫌悪セックス、ラブ&ホモフォビア

    英アムネスティインターナショナル 南アフリカ聖公会ツツ元大司教の序文

 *3:CHRISTIAN TODAY 2009年1月26日

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