第237話 名誉トルコ人

 2022年6月1日(水曜日)。

 イルハン以外の祖国平和協議会残党は、降伏、或いは逃亡した事で、トルコ政府は、勝利宣言を出す。

 大統領広場の前では、新月旗を振り回す大統領支持者達が居た。

 ♪

 深夜にも関わらず、国歌である『独立行進曲イスティクラル・マルシュ』を大声で歌いに歌う。

 同時にトルコのイルハン捜索も激しい。

 西クルディスタンや北キプロスと、情報があった場所に捜査員を派遣し、徹底的に追っている。

 その様は、ナチスの残党を捜すモサドの如く。

「……」

 そのイルハンは10日間で20㎏減量する程、激やせしていた。

・不眠

・下痢

・食欲減退

 が理由で。

 大抵の逃亡犯は、いつ、自分が拘束されるか、不安の中、日々を過ごす。

 捕まった時、それから解放され、逆に警察に感謝する犯人も居る程だ。

 イルハンも、その恐怖に怯えていた。

 ネット上ではトルコが行った、とされる祖国平和協議会残党への拷問が流出している。

・全裸で体のありとあらゆる場所に電気ショックを与えられるもの

・水責め

・殴る蹴る

 等だ。

 トルコ政府はそれを認めておらず、証拠も無い為、真偽は定かではないが、それでも戦時下、人間が憎悪の感情や異常性を抑制する事は難しい。

 大規模な例だと、WWII中、ソ連が行ったカティンの森事件が挙げられるだろう。

 ソ連軍が約2万2千人のポーランド軍将校や聖職者等を虐殺した事件だ。

 その後、隠蔽工作が行われたが後に独ソ戦勃発時、ドイツはこの情報を入手し、捜索の末、遺体を発見。

 反蘇宣伝の為に大いに利用した。

 ソ連は、逆に「ドイツの仕業」と発表し、冷戦期も自分達の犯行である事を否定し続けたが、1980年代、ゴルバチョフの情報公開グラスノスチの中、1987年、ソ連とポーランドによる合同歴史調査委員会が設置され、再調査が行われた結果、1990年、NKVDソ連内務人民委員部のベリヤ長官が提案し、スターリンと政治局の決定により行われた事が判明した(*1)。

 現在は、国際社会の厳しい目がある為、トルコもその様な危険な手段を選ぶとは考え難いが、表に出なければ判らないものだ。

「……畜生」

 北キプロスの粗末な掘っ立て小屋に居たイルハンは、恨めし気にイスラエルのある方を見た。

 協力してくれたのに、計画が露見した結果、即座に手を引き、掃討作戦に協力しているのは、非常に悔しい。

 当初、枢軸国の一員でありながら、巧みな外交力で、その後、連合国に鞍替えし、御咎めが無かったタイの様な変わり身の早さだ。

 アメリカもトルコもそれぞれ気付いている筈だが、アメリカは大票田に配慮して、トルコは、国際問題を避けてか、それ程厳しい目ではない。

 なので、イスラエルを罰したり、非難する者は居ないのだ。

 働かない頭で何とか活路を見出すべく、フル回転させる。

(いっそシリアに亡命してみるか?)

 シリアには、前科がある。

 ナチスのSS親衛隊大尉、アロイス・ブルンナー(1912~2001/2010?)を過去に受け入れたのだ。

 シリアがナチスの戦犯を保護したのは、彼を総合情報部に招聘し、情報機関のレベルアップに利用したかった、とされている。

 その結果がどうかは分からないが、総合情報部は、シリアの独裁体制を支える重要な組織に成長している。

 戦後、ドイツ等、多くの国々がシリアにブルンナーの引き渡しを要請するも、シリアは一貫して、「その様な人物は居ない」の一点張りで通し、結局、彼が、裁判で裁かれる事は無かった(*2)。

 その最期は、AP通信によれば、悲惨な最期(*3)だったとされているが、被害者や遺族からすれば、裁判を受けさせたかったであろう。

(……手土産にトルコ国内の米軍基地の情報を渡せば)

 シリアには、ロシア軍の基地もある為、この手土産には、ロシアも大喜びだろう。

 もしかすると、ブルンナーの様な最期には、ならないかもしれない。

 幸運にも、今は新冷戦の時代。

・2008年 ロシアのジョージア(旧「グルジア」)侵攻

・2011~ シリア内戦

・2014年 ロシアのクリミア併合

 と、事あるごとに米ロの対立は深まり、最近では外交官を追放したり、相手の大統領を「人殺し」と罵ったり等、小さな火種も起きている。

 そんな状態なので、この手土産は、ロシアには好都合だろう。

 新型ウィルス対策でもロシアは、失敗し、国民の間で政治不信が起きているもの、時機が良い。

 ここで1発、アメリカに軍事的に優位に立つ事が出来れば、ロシア国民も政府への不信感を払拭する大逆転になる可能性もある。

(ここから1番近いロシアの基地は……タルトゥース海軍補給処かフメイミム空軍基地だな)

 深夜。

 掘っ立て小屋から出ていくと、イルハンは、人気ひとけの無い漁港に行き、そこで、漁船を1隻手際よく盗む。

 そして、妨害電波を発しつつ、シリアに向けて出港するのであった。


 イルハンの動きは、イギリスとイスラエルが把握していた。

 何せMI6とモサドが共同で追っていたのだから、どんな超人でも逃げおおせる事は出来ない。

 キプロスの英軍基地で、両者は、ドローンによる空撮映像を見つめていた。

「では、攻撃者は、イスラム過激派、という事で?」

「そうですね。その方が無難でしょう」

 漁船にイスラム過激派に扮した、モサドの精鋭部隊の船団が近づいていく。

 両者が描いた脚本は以下のものであった。

 

①イルハンがキプロスから出国し、ロシアに向かう。

 →規則破りの密猟者とする。

②そこで、航行していたイスラム過激派の船団に鉢合わせし、殺される。

③遺体は海の藻屑。

④「密猟者」が「イスラム過激派」に殺された、と発表。


 馬鹿正直に発表しないのは、この地域の安定化の為である。

 もし、そのまま発表した場合、亡命者を英以は殺害した事になる。

 そうなると、世界中の人権団体や反英、反以の国々から、非難され、国際的イメージが低下しかねない。

 ただでさえ、両国は、イスラム過激派のテロに悩まされているのだ。

 馬鹿正直だとイスラム過激派に攻撃の理由を与えかねない。

 又、犯行を彼等に偽装させるのは、彼等の異常性を世界中にアピールする事が出来、逆に大義名分になる。

 遺体は発見されないし、漁船は徹底的に破壊するので、証拠は殆ど残らない筈だ。

『!』

 船団に気づいたイルハンは、急旋回させるが、遅かった。

 RPGやAK-47で十字砲火され、船体にはすぐに穴が開き、浸水。

 操舵していたイルハンもRPGをまともに食らい、体を爆散させていた。

 遺体は、鮫等が食べてくれる為、その一部が海岸に漂着しても、身元の特定は困難である。

「……これで一件落着ですね?」

「ですね」

 モサドとMI6の責任者同士は固い握手を交わす。

 両者が殺害、という選択に思い立った最大の理由はトルコの為―――ではなく、自国の防衛の為だ。

 イルハンがシリアに渡航し、ロシア側にトルコの米軍基地の情報がもたらされた場合、アメリカは、この地域で軍事的に不利になる可能性がある。

 そうなった時、イスラム過激派が勢いを盛り返し、イスラエルやここの英軍基地も攻撃に遭いかねかった。

 結果的には、トルコに恩を売る事になったが、国益重視の為には、仕方がない。

 これで多くのイスラエル人や英兵の命が救われるのだから。

「では、これより英軍に報道発表プレスリリースさせます」

「期待していますよ」

 こうして、人々の知らない間に大義名分が作られていくのであった。


『―――キプロスの英軍の報道官によりますと、北キプロスのトルコ人漁師が、深夜、密漁中にイスラム過激派と遭遇し、殺害された模様です。

 近年、この海域では、イスラム過激派が漁船を標的にする事件が相次いでおり、トルコ及び北キプロス政府は、テロとの戦争を掲げ―――』

 最後の大物の死によって、トルコの内戦は、終わった。

 約半月の戦闘で国内各地は、荒廃化したが、シリア内戦と比べらたら、微々たる被害だろう。

 2016年以来、国家存亡の危機であったが、乗り越える事が出来たが、ギュルセルの支持率は、鰻上り。

 国営紙の世論調査では、ほぼ100%と独裁国家並の高い数字が叩き出された。

 これで翌年の総選挙では、与党の大勝が決まったも同然だろう。

 勝利宣言の夜、ギュルセルは、ある人物に電話していた。

 影の功労者・北大路煉に。


『大統領、勝利おめでとうございます』


 大統領が他国の一外交官に直々に電話するのは、当然、殆ど例は無い話だ。

 それでもギュルセルは、今回の情報提供が無ければ、体制が危うかった事を承知している。

 トルコが弱体化すれば、ギリシャやアルメニア、クルド人と言った外国勢力が脅かす事は自明の理。

 この点、日本はアメリカの傘の下だから、在日米軍が撤退しない限り、現状は安泰だ。

 それでも、仮想敵国が存在している以上、油断大敵であるが。

「少佐、勲章を贈ったが、どうだ?」

『はい。非常に光栄であります。ただ、いきなり送って下さるのは、その……』

「そうだな。悪かった。サプライズだったんだが」

 杓子定規に胡麻をするより、煉の様に、配慮しつつ、自分の意見をしっかり言ってくれるのは、ギュルセルにとっても有難い。

 傀儡イエスマンで固めたら、それこそ自分を見失い、独裁者になりかねない。

「少佐、君は、名誉トルコ人だ。いずれ大統領府に招待したい」

『光栄ですが、丁重にお断りさせて頂きます』

「何?」

は、貴国の内政には、干渉しない方針です』

「そうだな。だから、私的にだな」

『それも嬉しいのですが、が入国出来ない以上、貴国に自分が行くのは、気が引けます』

「む……」

 正妻というには、本来、司を指す。

 だが、それは、での話であって、トルコでは、事情が違う。

 トルコでの正妻は、ウルスラだ。

「愛妻家だな?」

『良い事でしょう』

 妻の事に関すると、煉は強気だ。

 例え、大統領が相手であっても。

「愛妻家だな」

 呆れた様に続けるギュルセル。

『はい』

 電話口の名誉トルコ人は、にこやかに答えるのであった。


[参考文献・出典]

 *1:「カチンの森 戦後70年歴史を歩く」『読売新聞』2015年11月13日付夕刊

 *2:Windows

 *3:AP通信 2017年1月11日


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