第231話 マーク・フェルトの微笑み

 愛妻を利用された事で、表には出さないが、煉は激怒していた。

 2022年5月24日(火曜日)。

 イスラエル参謀本部諜報局とトルコの国家情報調整委員会に情報提供。

 それぞれ、ウルスラの調書を送ったのだ。

 内部告発者ディープ・スロートになった彼女は、上官・煉を襲った罪は、彼のしもあって不問にされ、証人保護プログラムの指定を受けた。

「ウルスラは大変ね」

 皐月は愛息兼夫を誘拐されかけたにも関わらず、ウルスラの頭を撫でる。

 事前に煉からの説明があった為、彼女を含めた女性陣は、只管ひたすらに優しい。

 昨晩、刃を交えたスヴェンでさえも、攻撃的ではない。

 正妻・司も同情的だ。

「大丈夫? 昨日は、よく眠れた?」

「はい。何とか……」

 昨晩の事があった為、学校組は、全員、欠席し、現在、大使館と武家屋敷の両方に北大路家と親衛隊が勢揃いしている。

「申し訳御座いません」

 大使館の執務室では、ライカが五体投地で謝っていた。

「昨晩、熟睡していまして」

「気にするな」

 仕事終わりで、ソファでくつろぐ煉は、膝にレベッカ、シャロンを乗せて、左右には、シーラ、ナタリー。

 斜向かいには、シャルロット、エレーナという布陣であった。

 オリビアは、公務で居ない。

 ライカの真横には、キーガンも居る。

 今回の事件での功労者だ。

 彼女抜きに話は出来ない。

「その……責任を取って、辞職を―――」

「ならん。仕事上のミスは仕事上で貢献しろ。以上だ」

 言い切った後、煉は、レベッカとシャロンを抱き締める。

『だそうよ』

 ナタリーは、そんな煉の頭を叩いた後、ライカを見た。

『少佐は不問と考えている。辞職するほどではないわ』

「ですが―――」

『少佐に逆らう気?』

 冷たい視線を向ける。

「う……」

 公では、煉に冷たく当たる場合が多いナタリーだが、最近では、態度が軟化。

 煉の味方をする事もある。

 レベッカ、シャロンの頬にキスした後、

「ライカ、もし辞めたいならば、配置転換ということで、キーガン」

」は!」

「君が次期隊長だ」

「!」

 ライカは、目を剝く。

 階級的には、それが妥当だ。

 然し、自分のミスで、部下を昇格させるのは、忍びない。

「配置転換、というのは?」

「侍従長だよ。シーラのお世話係だ」

「! それは……」

 親友ではあるが、シーラは厳しく言えば、組織のお荷物だ。

 煉が寛容でなければ、今では解雇されている事だろう。

 そのお世話係というのは、最悪、ライカも又、シーラと同類項に見られる可能性がある。

 それは、自尊心としてやりたくはない。

「……据え置きでお願いします」

「分かった。それで良い」

 大きく首肯とした煉は、満足気であった事は言うまでもない。


 その後は、公務が終わったオリビアを交えた昼食会だ。

 キーガンも同席を許されている。

「おいちゃん、ふーして」

「あいよ」

 味噌汁をふぅふぅしてから煉は、お椀を渡す。

「おいちゃん、いそがしい?」

 啜った後、無邪気にレベッカは、尋ねた。

「今日はそんなにだよ」

「じゃあ、おそといける?」

「ちょっと待ってな。―――シャルロット」

「3時以降なら休みです」

「分かった。有難う―――だそうだ」

「でーと♡ でーと♡」

 いつもよりテンション高めなのは、平日なのに相手してくれるからであろう。

 平日にも関わらず、家に親が居ると、幼児は嬉しいものではなかろうか。

 学校を休んだ癖にデートに出るのは、良心の呵責に苛まれるが、最上級生である。

 然も、煉は外交官。

 いつでも外交官特権を使う事が出来る。

「勇者様、私も参加しても?」

「勿論」

「やった♡」

 ガッツポーズを決めるオリビア。

「パパ、私も良い?」

「自由参加だよ。スヴェン、ライカ、ウルスラ、キーガン」

「「「「は」」」」

「君達は、強制参加だ」

「本当ですか?」

 スヴェンは喜び、対照的に残りの3人は、

「え?」

「強制参加?」

「私もですか?」

 と、戸惑いを隠せない。

 百歩譲って、ウルスラまでは分かる。

 それでもキーガンも一緒なのは、異例だ。

「少佐、お言葉ですが、納得出来る理由をお教え下さい」

 99%の軍隊では、上官に理由を求める部下は、居ない。

 これは、会社や公的機関でも同じだろう。

 然し、煉は、交流コミュニケーションを第一に考え、出来る限り、質問に答えようと努めている。

 それが部下には、納得出来ない場合は、長時間、話し合う。

 当然、100人が100人納得する事は難しいが、ちゃんと向き合ってくれる為、親衛隊からの評価は、非常に高い。

 キーガンが問うても、少なくとも親衛隊内では、不思議な事ではない。

「そりゃあ、将来的な最側近にしたいからだよ」

「! 昇進ですか?」

「有能な事が判ったし、ウルスラよりも強いんだ。厚遇しない意味はない」

 シーラのような縁故採用的な厚遇はあれど、殆どの場合、親衛隊は、超実力社会だ。

 実力がある者は、どんどん昇進していく。

 何も問題無い筈だ。

「……最側近、というのは?」

「そのままの意味だよ。司令官も夢じゃない、ということだ」

「!」

 ライカがコップを倒した。

 司令官は、親衛隊に入隊したら誰しもが目指したい頂点である。

 創設してからまだ日が浅い為、現時点では、誰も就任した事は無いのだが、国王直属の煉の推薦ならば、容易に道が出来るだろう。

 因みに煉自身は、司令官推挙の話があったが、「前線に出れなくなる」との理由で断っている。

 この様な無欲な所が、逆にアドルフや王室の信頼を高めている事は言うまでもない。

「そ、そんな。私は……?」

「言いたくはないが、銃声があっても眠っている平和主義者には、不適当だよ。現時点で出世レースは、キーガンの方が上だ」

「うぐ……」

「パパ、私は?」

 シャロンが身を寄せた。

「推薦したいけど、軍属だし、米国籍を放棄しないと」

「やっぱり?」

「当たり前だよ」

 シャロンの腰に手を伸ばし、合法的にセクハラを行う。

「パパのH♡」

 キス魔になったシャロンをあやしつつ、煉は、愛人2号を見た。

「あ、スヴェン。情報提供の件は、キーガンと戦功、山分けな?」

「え? 良いんですか?」

 スヴェンは、ウルスラを事情聴取したのみ。

 役立った、とは言い難い。

「ああ、キーガンも誇れ。女王陛下、首相が共に褒めて下さったぞ?」

「本当ですか?」

 感極まり、キーガンは、涙を流す。

 対照的に煉は、何処までも冷静な表情を浮かべているのであった。


 日本からもたらされた情報に、土以両国の政府は、大いに揺れた。

 両国共、自国の情報機関が隠蔽していた事を知らなかったのだ。

 この様な事は、現代日本では、考え難い事だが、文民統制に応じない組織或いは機関が問題視されるのは、よく見られる話だ。

 例

・大日本帝国 関東軍

・ナチス  親衛隊

・レバノン PLOパレスチナ解放機構、ヒズボラ

・ソ連   KGB

・イラン  イスラム革命防衛隊パスダラン

 等が挙げられる。

 特にトルコ、イスラエルは地理的に戦争に巻き込まれ易い立地の為、情報機関や軍に権力が集中し易い。

 それが、ちゃんと機能すれば良いが、人間は、権力を持つと、自分が偉く感じてしまう場合がある。

 その為、政府を構成する一機関でありながら、自分の有利になるように、情報を隠蔽したくなってしまうのかもしれない。

 両国のトップは、早急に電話会談を行い、お互いに戦争をする意思が無い事を確認し合うと、直ぐに行動を起こした。

 イスラエルでは、テルアビブにあるモサドの庁舎にイスラエルの防諜機関である公安庁シャバックが突入し、次々と関係者を拘束していく。

「糞!」

 異変を察知したイルハンは、巨漢にも関わらず、素早い動きで、鉄格子を外し、部屋から脱出。

 所謂、動けるデブな彼は、混乱の最中、庁舎の外に出た。

 そのまま、行方をくらます。

「探せ!探せ!」

「糞ったれ!」

 シャバックが血眼になって探しても尚。

 トルコでも大きな動きがあった。

「「「……」」」

 執務室に向かう3人の兵士達。

 彼の内、先頭の者は、新月旗を掲げていた。

 3人は、荒々しく扉を蹴破った。

 その部屋の主、スレイマンは、執務中であったが、ボールペンを落としてしまう。

 寝耳に水な表情で。

「……何だ? 貴様達は?」

「長官、残念ですが、国家反逆罪で拘束します」

「御家族には、危害を加えません」

「彼等には、アメリカに亡命して頂きました」

 3人は皆、凛々しい。

 その立ち振る舞いから、スレイマンは察した。

 3人の正体は、恐らく『新しい兵隊イェニチェリ』だろう。

 この部隊は元々、オスマン帝国の時代に皇帝スルタンを守る親衛隊であったものだ。

 オスマン帝国復活を主張しているギュルセルは、これを大統領直属の親衛隊として復活させた。

 大統領直属なので、外交面等、目立つ場面が多い事から、それなりに容姿端麗な者が選ばれ易い、とされている。

 これは、日本等の儀仗隊にも見られる事なので、別段珍しい事ではない。

 旗手がスレイマンの机に新月旗を突き立てた。

「これまでの長官の貢献から、尋問は平和的に行いたいのです。犯行を証言して下されば、平和裏に事を進める事が出来ます」

「……」

 最悪、自殺も考えていたスレイマンだが、ギュルセルの事だ。

 ―――

『29.

 信仰する者よ、貴方方の財産を、不正に貴方方の間で浪費してはならない。

 だが、お互いの善意による、商売上の場合は別である。

 又、貴方方自身を、殺し(たり害し)てはならない。

 誠に唯一神は貴方方に慈悲深くあられる。


 30.

 もし敵意や悪意でこれをする者あれば、やがて我は、彼等を業火に投げ込むであろう。

 それは唯一神にとって、非常に易しいことである』(*1)

 ―――

 この様にイスラム教では、『聖典コーラン』で明確に自殺を禁じている。

 イスラム主義者であるギュルセルが、教義的に自殺を認めないのは、当然の事だろう。

「……教えてくれ。内部告発者ディープ・スロートは誰だ?」

 本来、教えてくれる事はまず無いのだが、旗手は、平然と答えた。

「内部告発者自身から許可を得ています。内部告発者は、トランシルヴァニア王国の外交官だと」

「! 少佐が?」

 てっきり、ウルスラ辺りが土壇場で裏切った、と思ったのだが、如何やら彼女が理利用したのだが、失敗したようだ。

 これも煉の工作である事を知らない。

 ウルスラは明確に命令を実行した忠臣であり、裏切者ではない、という印象操作である。

 こうする事で祖国平和協議会側が、ウルスラに恨みを持つ事は無い。

 その策略に陥ったスレイマンは、天を仰いだ。

「少佐が、敗因か……」

 それから洗いざらい、知っている事を全て吐くのであった。


[参考文献・出典]

 *1:『聖典』婦人第29~30節

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