第232話 日本へ旅立ちながら

 令和4(2022)年5月27日(金曜日)。

 朝。

『―――昨夜、トルコのギュルセル大統領は、緊急記者会見を開き、情報機関のトップであるスレイマン長官を更迭した事を発表しました。

 スレイマン長官は、6年前に起きた政変未遂事件に関与したともされ、今後、公開裁判が予定されています。

 6年前は、死刑復活案も出ました。

 ギュルセル大統領は復活論者であり、今後、2004年に廃止されていた死刑が、今後、今回の事件を契機に復活する可能性が出てきました。

 EU加盟を目指すトルコですが、ギュルセル大統領は、EUに懐疑的であり、死刑が復活した場合、トルコのEU加盟は不可能になる、と思われます』


 今年、政変未遂事件があったばかりの日本でも、トルコのこの事件は、親近感をもって報道されていた。

 そのニュースを煉は、大使館の寝室でウルスラと眺めていた。

 昨晩は同衾どうきんした彼女は、昨晩こそ緊張していたが、今は煉に寄りかかっている。

 祖国を裏切った罪悪感と、訴追の恐怖から、一時的にも解放されたのだ。

 今後は、生存者の罪悪感サバイバーズ・ギルトに悩まされる事になるだろう。

 幸い、皐月が医者なので、その手には詳しい。

 シャルロット同様、患者クランケになる事が予想される。

「少佐……」

「うん?」

「何故……職権乱用を?」

 ウルスラが助命出来たのは、煉が外交官である事も理由の一つであった。

 煉は、それを利用し、トルコにウルスラを訴追しないように求め、代わりに持っていた情報を全て提供した。

 これが、トルコ側の心証を良くし、又、トランシルヴァニア王国との国際問題発展を望んでいなかった為、これが落としどころとなった。

 それも万一、トルコが強硬になっていれば、煉の立場も危うかった筈だ。

「そりゃあ妻だからだよ」

「!」

「妻を全力で守るのは、夫の務めだ」

「……有難う御座います」

 照れ臭くなったウルスラは、毛布で顔を隠す。

 そんな愛妻を抱き寄せて、煉はその肩に頭を傾けた。

「……少佐?」

「ウルスラ、君がイスラム主義者だろうが、世俗派だろうが、関係無い。もし、解決出来そうにない事ならば、相談してくれ。俺も頑張るからさ」

「……はい♡」

 激務な煉に配慮して、相談しなかったのだが、この想いは嬉しい。

 短期間の交際で結婚した2人は、お見合い結婚の様な感じなのだが、それでも、夫婦喧嘩は今の所無い。

 をウルスラは、さする。

「もう、妊娠するかもです♡」

「そりゃあ良いな」

「もし、生まれたら、その……名前は、私が名付けても良いでしょうか?」

 国際結婚では、夫妻の文化が違う為、名付ける時も、一苦労に成り易い。

 又、進路も、信仰宗教や食文化による育て方等もまるで違う。

 この様な事から、離婚率(2018年)は、日本人同士(34・9%)と比べると、国際結婚(50・5%)の方が高めだ(*1)。

 憧れ易い反面、こうした現実がある為、国際結婚に踏み切る場合には、相応の覚悟も又、必要だろう。

 煉の場合は、前世がアメリカ人であり、現世は、日本人の為、両方の心を合わせもっており、更には、前世で米兵や傭兵として世界中を飛び回っていた為、異文化にもそれなりに理解があり、対応も可能だ。

 この様な事から、煉は国際結婚に向いている部類である、と言わざるを得ない。

 実際、シャロンやオリビア、スヴェン等、外国人と多く結婚し、夫婦喧嘩に発展していない。

(この人と出逢えて良かった)

 ウルスラは、本心からそう思った。

「少佐、大好きです♡」

「俺もだよ」

 ちゃんと、返してくれるのも好印象だ。

 煉に抱き着き、熱いキスを交わす。

 お互い窒息しかけても、2人の唇は重なり合ったままであった。


 起床後、イチャイチャした後、ウルスラは煉に抱き着いたまま離れない。

「今日も公欠出来ますか?」

「流石に司から大目玉食らうぞ? 昨日だって、滅茶苦茶怒られたのに」

 昨夕、皆を連れて、デートに行ったのだが、真面目な司のみ拒否。

 そして、帰宅後、見事、煉は司から激怒されたのだ。

 ―――学校を公欠したのにデートに行くとは何事か? と。

 デート自体は、昼頃に決まっていた手前、黙認した訳だが、快諾した訳ではない、というのが、司のスタンスだ。

 煉としては、気分転換を目的としたデートだったのだが、司の言い分はもっともであり、反論する事は無かった。

 その為、流石に2日連続公欠するのは、難しい。

 良い夫婦関係を継続するには、極力、喧嘩しない事だ。

「え~。少佐と居たい」

「俺もだよ」

 イチャイチャしたいのは、煉も本心だが、理想と現実は違う。

 どれ程現実逃避しようとも、結局は、逃げられないのが常だ。

 そろそろ朝食の時間になろうとした時、固定電話が鳴り響く。

 ベッドに寝転んだまま、煉が出た。

「もしもし?」

『少佐、有難うテシェッキュル・エデリム

 電話主は、緊張した様子であった。

 トルコ語に煉は、すぐさまトルコの外務省を連想した。

 情報提供をした相手、国家情報調整委員会とは数回やり取りしただけで、それ以降は、交流が無い。

 その為、外務省が窓口になる筈だからだ。

「ええっと?」

『ギュルセルだ』

「大統領?」

「!」

 ウルスラが緊張する。

 がしっと、煉の肩を掴む。

『日本時間は……朝か。こんな時間に出てくれて有難う』

 テレビで観る限り、独裁者のイメージが強いギュルセルだが、こういう面もある。

 トルコと日本の時差は、6時間。

 今、ここでは、午前7時なので、トルコは午前1時だ。

 寝ても良い筈なのだが、スレイマン更迭やイスラエル、レバノン等の問題が山積し、とても安眠出来る状況ではないのだろう。

 煉は、スピーカーホンにした。

「自分の為に態々わざわざ電話して下さり、有難う御座います」

『少佐の言う通り、検察はウルスラの訴追を見送ったよ』

「本当ですか? 有難う御座います」

 安堵した煉は、ウルスラを抱き寄せる。

『ただ、私の支持者の中には、強硬派も居る。だから、我が国には、二度と帰国しない事を勧める』

「……分かりました」

 ウルスラ程の有能な工作員を失うのは、トルコとしては、重大な損失だが、それ以上に遠くに置きたいのだろう。

 スレイマンの部下だった為、今後もその様に見られ、疑惑は最悪、一生、続く。

 その点、日本だと遠いし、外交官である煉が保証人になってくれる。

 トルコの和解案は、ウルスラから故郷を奪う悲劇的なものであるが、無理にでも帰国すれば、ギュルセルの支持基盤である保守派から命を狙われる可能性が高い。

 生き長らえるには、祖国を捨てるしかないのだ。

「……」

 スピーカーホンなので、当然、ウルスラにも聞こえている。

「大統領、その条件、飲ませて頂きます」

「!」

『流石、少佐だ。物分かりの良いのは、良い事だ』

 今にも泣きだしそうなウルスラの手を煉は握る。

「最終確認なのですが、全世界のトルコ大使館、並びにその関連施設も出禁、という事で宜しいでしょうか?」

『そうだな。彼女には、悪いが、国防上、仕方のない事だ。理解して頂きたい。貢献度から、退職金と年金も弾む』

 誠意ある態度、と言えるだろう。

 それだけトルコは、ウルスラを評価しているが、残留は状況からして認める事は出来ない、との事の様だ。

「分かりました。自分の方から伝えておきます」

『有難う。今後の幸せを祈る』

 それを最後に電話は切れた。

 2010年、当時のロシアの大統領は、米露の諜報員交換の際、面会した諜報員に対し、「裏切者は、ろくな死に方をしない。大抵は、酒か薬に溺れて野垂れ死にする」と発言したとされる。

 それと比べたら、トルコの措置は、温情と言えるだろう。

「……私は」

「……」

「今、祖国を失いました」

「……ああ」

「……どうしたらいいでしょう?」

 つーっと、ウルスラは涙を流す。

 最初の祖国、ドイツでは、人種差別に苦しみ、第二の祖国、トルコでは、政争に巻き込まれてこれだ。

 精神的がおかしくなっても不思議ではない。

 煉は、抱き締めて、囁く。

「(俺の国に帰化するのはどうだ?)」

「少佐、のですか?」

「(ああ、推薦するよ)」

 最初の時は、トルコが支えとなったが、今回、その精神的支柱が無くなった。

 然し、前回とは違い、今回は、夫が居る。

 朝食の時間が過ぎても尚、煉は抱き締める事を止めない。

 それどころか、更に力を込めた。

「少佐……」

 国と比べると、その力は弱い。

 然し、前回、前々回と比べると、ウルスラは、今まで感じた事が無い位、心地よさを感じていた。

 ドイツ、トルコの比ではない。

 シャルロットがぞっこんになるのは、この様な事なのだろう。

「……お慕い申し上げます」

 祖国を失ったショックが和らぎ、ウルスラは、先程以上に濃厚なキスを浴びせるのであった。


 トルコ、イスラエルの両国で、捜査という名の下、蜥蜴トカゲ尻尾しっぽ切りが行われる中、イルハンは、イスラエルを脱出し、北キプロスに渡っていた。

 ここに祖国平和協議会の隠れ家があった。

「残っているのは、これだけか……」

 100人の仲間を見渡す。

 最初こそ優勢だったものの、情報力で徐々に劣勢となり、最後は、スレイマンの逮捕で勝負は決した。

 数千人居た者達は、トルコの国家憲兵である、ジャンダルマに次々と拘束されている。

「政変の専門家を引き込むのも失敗したのは、痛かったな」

「……そうですね」

 当初、煉が拉致し、外部講師として、関与するのを計画していたのだが、失敗し、トランシルヴァニア王国は勿論の事、イギリスやアメリカ、イスラエル、ロシア、日本との関係が悪化し、スイス銀行に預けてあった秘密口座を凍結されてしまった。

 金の切れ目が縁の切れ目。

 20世紀初め、スリランカ内戦で猛威を振るっていたLTTEタミル・イーラム解放のトラもスリランカ政府との交渉の際、当時、島の大部分を占領していた事もあり、強気に交渉。

 この結果、調停者の欧米の怒りを買い、経済制裁に遭う。

 資金力が不足したLTTEは、あっという間に弱体化。

 あれよあれよという間に、1983年から続いていた内戦は、これを機に一気に終戦と向かった。

「経済相、あとどれ位で資金が底に着く?」

「……今月一杯かと」

神風カミカゼになる日が来たな」

 イルハンは、自身の贅肉を擦りつつ、呟くのであった。


[参考文献・出典]

 *1:離婚弁護士ナビ HP 2020年8月26日

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