第229話 鷹を喰らう狼、無関心の白頭鷲
トルコ軍と思しき兵士の、キプロス駐留英軍への攻撃は、イギリスで反土感情を起こした。
『私達は、平和の中に暮らす為として戦争をする』(*1)
イギリスの首相は、アリストテレスの言葉を引用して、トルコに警告を与え、キプロス島に増援部隊を送った。
キプロスも反応しており、キプロス国家守備隊と駐留しているギリシャ軍も│グリーン・ライン《キプロス・バリア》手前に多数の兵士を送り込む。
北キプロス側も万が一の為にグリーン・ラインに北キプロス・トルコ共和国保安軍と駐留トルコ軍を派兵。
グリーン・ラインの
キプロス平和維持軍は、キプロス紛争を防止する役割を担っているのだが、緩衝地帯に駐留している以上、最悪、両側から攻撃を受ける可能性がある。
中立派が絶対に攻撃を受けない、という保証は何処にも無い。
歴史的にはWWII中、スイスは1907年のハーグ陸戦条約で定められた中立義務を遵守、連合国、枢軸国双方に肩入れせず、領空侵犯があった場合、それが連合国だろうが枢軸国だろうが、無関係に迎撃した。
当然、双方からは、睨まれ、後にドイツからの圧力により枢軸国への迎撃は停止したのだが、それが更に連合国の反感を買い、連合国―――特に米英の空襲の標的になってしまった。
スイスのような永世中立国を目指す事を主張する政治活動家が居るが、スイスは中立を守る為に国民皆兵であり、上述のように、武力行使も国防上、躊躇わない。
現在、キプロス平和維持軍の兵員は、約1千人。
その内、文民が約150人、武器に長けた軍人は、約850人だ。
一方、相手方はというと、
キプロス 1万2750人(119/169) ギリシャ 14万7350人(46/169)
トルコ 61万2800人(12/169)
イギリス 16万9150人(39/169) 在キプロス英軍 7千人(*2)
当然、全ての兵力を相手にする訳では無いだろうが、それでも数は勿論の事、兵器や練度は桁違いだろう。
実際に1994年4月7日、ルワンダ虐殺が始まった時、国際連合ルワンダ支援団のガーナ兵5人とベルギー兵10人が殺害されている。
この様な事から国連であっても決して攻撃されない、という事は無いのだ。
《世界の警察》であり、ノーベル平和賞を誰よりも欲しがるカミラは、大忙しであった。
スイスでイスラエルとトルコの外務大臣を席に着かせた後は、ホワイトハウスから電話会談だ。
「ギュルセル大統領、少しは自制されてはどうか? 我が国は、貴国が英以と戦争を行うのは、賛同出来ない」
『我が国は、無実だ。国防上、仕方のない事だ』
答えるギュルセルの声は、疲れていた。
・クルド人
・シリア
・アルメニア
・ギリシャ
と戦時中、或いは緊張状態のままで敵を作るのは、彼としても本意ではない。
「イスラエルでの話は、どうも私もきな臭さを感じ、
『そう思いたいね』
ギュルセルは、嘆息した。
これほど弱気なのは、ロシア軍爆撃機撃墜事件(2015年11月24日)以来だろう。
この時、トルコは強気だったが、後にロシアからの経済制裁等により苦しみ、翌年、トルコ側が謝罪、幕引きとなった。
「貴国が平和を望むなら、我が国は、貴国が主張する祖国平和協議会犯行説を支持する用意がある」
『分かった。では、貴国には、代わりに西クルディスタンのクルド人を見捨てて頂きたい』
「それが落としどころ?」
『そうだ』
「……」
西クルディスタンは、シリア北部にあるクルド人自治区だ。
日本等では、『ロジャヴァ』とも呼ばれている。
シリア内戦中の2012年に紛れて建国し、アメリカの庇護下にあったが、2019年10月6日にアメリカがシリアからの米軍撤退を表明し、9日にはトルコ軍がこの地に侵攻を開始(*3)。
クルド人は事実上、見捨てられた形だ。
その後、クルド人は敵の敵は味方理論でそれまで敵対関係にあったシリアに接近(*3)。
13日に共闘関係を締結した(*3)。
17日、トルコはこの日から5日間、軍事作戦停止を発表し、この期間内にクルド人が安全地帯から撤退する事を求め、
「前の前の大統領が見捨てたが?」
『でも、貴女は前任者同様、人権派なんだろう? 大の虫を生かして小の虫を殺す。貴女も見捨てて頂きたい。そして、今後、我が国の政策には、干渉して頂きたくない。これが、我が国が譲歩出来る条件です』
議論は平行線になりそうな所だが、カミラは、決断が出来ない政治家ではない。
即断即決出来る政治家は、民心を掴み易い。
代表例では、田中角栄が有名だろう。
―――
『決断が非常に早く、陳情等は1件約3分でテキパキこなした。
出来出来る事は、
「出来る」
と断言し、その案件は100%実行され、信頼された。
口癖は、
「結論を先に言え、理由を三つに限定しろ。それで説明出来ない事は無い」
短気でせっかちで結論も早く、それでついた愛称が、《分かったの角さん》。
その為、秘書や官僚は分かり易く、要点を纏める事を心掛けていた。
又、出来ない事は出来ないとはっきり言い、「善処する」といった「蛇の生殺しのような、曖昧な言い方」を嫌った。
本人曰く、
「『出来ない』と断る事は勇気が要る事」』(*4)
―――
この様な逸話等から地元民からは非常に人気があり、出馬した衆議院議員選挙では、無類の勝率を誇った。
第23回(1947年)から毎回出て、1976年、ロッキード事件により所属政党から離れて無所属で活動を始めても連戦連勝。
最後の第38回(1986年)にも勝ち、脅威の15連勝、実に1990年に引退するまで、43年間、議員生活を送った。
人生75年の内、43年、昭和(1926~1989)も64年の内、42年。
どちらも半分以上、議員で過ごしたのは、戦後日本を代表とする政治家であった事には間違いない。
カミラの前の前の大統領も、彼と似たタイプであった。
問題発言が多々あったものの、掲げていた公約を大統領に就任した直後から実行に移し、そのスピード感は、誰からも非難される事は少なかった。
殆どの選挙の場合、鍵となるのは、無党派層だ。
田中角栄が、国政政党の支援無しに無所属でも勝ち続けられたのは、それも理由の一つであろう。
カミラは、ルーズベルト急死後、副大統領から昇格したトルーマンの様に、大統領選挙で国民から選ばれた訳ではない。
その為、1期目を無難にこなしても、2期目があるかどうかは分からない。
事実上、2期目の選挙が、カミラの初陣になる。
勝つ為には、今の高支持率を維持、或いは低下を極力抑える必要がある。
毎日が日々、選挙戦なのだ。
「分かったわ。でも私の後任者は、どうかは分からないわよ? いきなり方針転換するかもしれないし」
『分かっている』
頷きつつ、ギュルセルは思う。
(彼女の任期中に基地を置いて、国民を住まわせ、実効支配を完了させれば良い)
パレスチナではイスラエル人、北方領土ではロシア人の入植が進み、事実上、返還が難しくなっている。
才媛のカミラもそれは予想出来ている筈なのだが、それ程、前の前の大統領同様、クルド人には関心が無いのか、反応が薄い。
これはクルド人が大票田では無いからだろう。
クルド人はユダヤ人と違い、アメリカにはそれ程多くない。
その為、票に繋がり難くく、この様な塩対応なのかもしれない。
米土の密約により、クルド人は、2019年に引き続き、見捨てられた形だ。
国を持たない彼等は、頼るべき政府が存在しない為、簡単に見限られ易いのである。
「交渉成立ね?」
『そうだな。ノーベル平和賞おめでとう』
「有難う」
皮肉を込めて言い方に、カミラは作り笑顔で応じるのであった。
2022年5月25日(水曜日)。
アメリカ仲介の下、どうにか土以関係は、和解の兆しを見せ始めた。
中立地であるヨルダンで、土以の外務副大臣が顔を合わせ、交渉を始めたのである。
ヨルダンが選ばれたのは、ヨルダンが親以派であり、イスラム教国でもあるからだ。
どちらの事情が分かるのは、両国にとって貴重な存在だろう。
キプロスでも、アメリカの仲介の下、英土が接近した。
キプロス駐留英軍司令官が、当初よりトルコ軍犯行説を疑問視し、人的被害も無かった事から、イギリスが理性的なのである。
取り敢えず、中東戦争の危機は、一段落しているが、それでも一応は、緊張状態なのは変わりない。
昼休み。
学校の屋上で、煉はウルスラ、スヴェンを従えて、ウラソフとやはりテレビ会議を行っていた。
「そちらは深夜でしょう。夜でも構いませんのに」
現在の時刻は、午後0時半。
一方、トランシルヴァニア王国は、午前3時半だ。
ウラソフは、眠そうな顔で告げる。
『そうしたい所だが、殿下からお叱りを受けてな? 緊急時の要件は、君の都合に合わす事になった』
「はぁ……」
以前、夜遅くまで、テレビ会議をした所、皐月が怒った。
それがオリビアにも伝わり、流れ流れて、本国のウラソフにまで伝わったのだろう。
『以前、少佐が分析してくれた内容が、当たっていたよ』
「本当ですか?」
『ああ、情報相やCIAも驚いていたよ』
CIAの登場に、煉は悪寒を感じた。
『それがカミラの耳に入って少佐をこの問題の
「
『君はユダヤ系でありながら、イスラム教にも精通しているからな。それにレバノンもキプロスも詳しいだろう?』
「レバノンは知っていますが、キプロスは素人ですよ?」
『抗議はホワイトハウスに直接な?』
「学生なんですけど?」
『
「ウラソフ」
煉を押しのけて、オリビアが睨みつけた。
今まで、画面の外で静観していたが、ウラソフの言い様にカチンと来たようだ。
『あ、殿下……』
王族を前に、ウラソフは、立ち上がって、直立姿勢になる。
平民であるので、王族相手には、相応の敬意を表さなければならない。
「勇者様は、非常にお忙しい方です。外国まで出張する事は出来ません」
『恐れながら殿下。これは、我が国とアメリカの友好関係にも影響が―――』
「なりません」
ピシャリと拒絶し、オリビアは煉を抱き締める。
「アメリカの事情に我が国の大事な軍人が担ぎ上げられる理由には、なりません。勇者様を派遣出来る条件は、
・国益
・国防
のどちらかです。友好関係は、大使等に任せたら良いのです」
『……』
ど正論に、ウラソフは黙り込む。
そもそも、ウラソフと煉では、格が違う。
前者は一介の首相であり、後者は王族と結婚した貴族。
それも、煉は革命の時の英雄と来ている。
首相であっても、あれやこれやと指示出来ないのは、当然の話だ。
画面外に居たライカも参戦する。
「首相、今回の事は、陛下も御承知なのですか?」
『い、いや……』
「少佐に命令出来るのは、陛下か殿下のみです。これは、重要な背信行為ですぞ?」
『……済まない』
罰が悪そうに、ウラソフは、画面を消す。
逃走行為も褒められたものではない。
「最低ですね」
「全くだ」
スヴェン、ウルスラが唾棄する様に言う。
(今期限りか)
オリビアの信頼を失った以上、続投は難しい。
この背信行為は、すぐに王室を駆け巡るだろう。
「全くもう」
オリビアは、眉根を揉みつつ、謝罪した。
「申し訳御座いませんわ。勇者様」
「気にしてないよ。さ、食おうぜ」
オリビアが作った弁当を前に、手を合わす煉であった。
[参考文献・出典]
*1:『ニコマコス倫理学』
*2:
*3:ハフポスト 2019年10月19日
*4:ウィキペディア 一部改定
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