第170話 義理人情とチョコレート
令和4(2022)年4月1日より、婚姻の合法的な年齢が従来の18歳と16歳から、男女共に18歳になる。
又、この前年に当たる令和3(2021)年からは、
北大路病院の院内薬局や門前薬局でも、緊急避妊薬の売上数が伸びている。
「……これが、緊急避妊薬なんだ」
シャロンは、改めて見るそれに興味津々だ。
見る限り、他の薬とそれほど変わりないように見える。
これは避妊に失敗した場合に備えて処方されるものなので、妊娠を望む場合には、必要無い。
それでも、知っておくのは、良い事だろう。
「パパって、中絶とか避妊についてはどう思う?」
「どうとは?」
「ほら、中絶禁止法よ」
「あー……」
2019年、アメリカでは5月までの間に、11州で中絶禁止法が成立した(*2)。
・ユタ州
・ノースダコタ州
・ミズーリ州
・アーカンソー州
・ルイジアナ州
・インディアナ州
・オハイオ州
・ケンタッキー州
・ミシシッピ州
・アラバマ州
・ジョージア州
がそれだ。
この11州の中で最も厳しいと思われるのが、アラバマ州とルイジアナ州である。
アラバマ州では、
・暴力で妊娠した場合も非合法
・中絶手術を行った医師には最長で99年もの禁錮刑
ルイジアナ州では、
『胎児の心拍が確認されて以降の中絶を禁じ、母体に危険がない限り、暴力の被害者であっても例外は認めない』
というものだ。
これらに対し、「女性の権利を奪うもの」として、主に女性層が反発。
ハリウッドスターも非難し、映画の撮影で多用されていたジョージア州での撮影中止が相次ぎ、映画産業にも影響が出た。
日本には、余り理解出来ないだろう。
暴力の被害があっても、中絶出来ないというのは。
アメリカのこの思想の背景には、
・宗教右派
・
が、関係しており、中絶を行う医師や病院は、テロの標的にも遭う場合がある(*3)。
・活動家が中絶を行う医師を射殺
・病院に異臭物を投げ込んだり放火したり爆破
・医師の住所や電話番号、自動車ナンバーを記載した誹謗中傷ビラが配布
・医師の家族や子供にまで脅迫
と言った被害例が報道されている。
キリスト教が、避妊を嫌うようになったのは、『旧約聖書』「創世記」に登場する、オナン(*4)が原因とされる。
余談だが、彼の名が、自慰の語源になっていることは言うまでもない。
神の逆鱗に触れたオナンの行動とは自慰―――ではなく、膣外射精である。
これが、神が人間に最初に命じた命令に反した為、殺害される理由の一つになったのだ。
又、個人的な理由で行ったのも怒りを買った理由だろう。
この逸話から、キリスト教の保守派は、避妊=悪と解釈し、中絶を嫌っているのだ。
「子供は神様からの授かりものだからな。中絶は余り、いい気はしないよ」
「……」
「でも、暴力で妊娠した場合のみ認めた方が良いとは思う。誰だって好きじゃない相手の子供を愛することは難しいだろう」
子供に罪が無いとはいえ、こればかりは、子供好きな俺でも愛する自信が無い。
若しシャロンがそんな目に遭い、妊娠すれば、中絶を提案し、産んだとしても養子に出させるだろう。
「良かった。私と同じ考えで♡」
シャロンは納得したようで、大きく頷いた後、俺に腕を絡ませた。
「その様子だと、ちゃんと避妊はしているようね?」
教師の皐月は、嬉しそうだ。
妊活も大事だが、避妊もしないと性感染症に罹患する恐れがある。
その例が、アメリカのアラバマ州にあるタスキギー市であった梅毒の流行だ。
1930年代、この街の住民の約95%が学校に行く事が出来ないアフリカ系であった。
彼等は医学的知識が無く、又、貧しかった為、避妊具を買うすらお金も無く、梅毒が広まった。
これに目を付けたのが、アメリカ公衆衛生局とタスキギー大学だ。
彼等は、医療費等を無料にする等して、住民を集め、梅毒実験を行った。
所謂、『タスキギー梅毒実験』である。
政府に利用されたアフリカ系の被験者は、騙されたまま、梅毒に感染し、病死。
当時は、公民権運動前であり、有色人種の地位が今以上に低かった為、人権的に軽視され、実験台になったのだ。
沢山の死者を出しながら、この実験は約40年も続き、内部告発によって終了。
1997年には当時の大統領が謝罪する等、アメリカの人種差別の負の歴史の一つとして知られている。
「定期的に健康診断受けてるよ」
「それもそうね」
皐月は、俺を抱き締める。
「痛い?」
「愛の重さよ」
鯖折りかの如く、強く抱擁後、皐月は俺にキス。
「何?」
「梅毒になっても、私がちゃんと治療するからね?」
「有難い」
梅毒は、初期症状が風疹等と類似している為、誤診し易いが、この時点で適切な治療を受ければ、完治する可能性がある。
治療には、ペニシリン系抗生剤が有効で、治療法が確立した1940年代以降、日本で梅毒に罹患後、落命する人々は殆ど居ない(*5)。
欧州で最初に梅毒が記録されたのは、15世紀末のこと。
それ以前も梅毒があったのだろうが、断定出来る資料が少ない為、歴史的には、15世紀末が、その始まりとされる(諸説あり)。
若し、神様が性感染症を御存知だったら、どんな御言葉を遺されたのか。
個人的には、気になることだ。
スマートフォンが鳴り、皐月が出る。
「もしもし? ―――分かったわ。司」
「急病人?」
「そうよ。じゃあ、煉、また後でね?」
「ああ」
皐月、司とキスした後、2人は白衣を
颯爽としたその後ろ姿は、空港で見るパイロット並に格好良い。
命を守る仕事だ。
「パパ?」
「うん?」
「パパは、軍医とかは興味無いの?」
「何で?」
「医者になれば、あの2人とずっと一緒に過ごせるよ」
「いや、良いよ」
俺は、手を振って否定した。
「どうして?」
「適度な距離感が大切だ。そりゃあ、そうしたいが、ずーっと一緒だと息が詰まる場合がある」
「……」
家庭、職場が一緒な夫婦は、滅茶苦茶仲良しでない限り、苦痛ではないだろう。
俺達も仲良しではあるが、それが半永久的とは限らない。
それに俺は、医療従事者に対して敬意を払っている。
仕事とはいえ、医療従事者とは対極な殺人を行う俺が、医療の現場に入るのは、余り良くないことだろう。
シャロンと手を繋ぐ。
「俺の職場は、軍だよ。それ以外にない」
「……分かった」
俺の真意が伝わったのか、シャロンは、頷き、握り返す。
もう片方の手は、シーラだ。
軍務からは正式に外れ、今は、軍属のような仕事をしているが、義妹であることは変わりない。
「シーラ、帰る前に買物するから付き合ってくれ」
「……」
こくり。
「パパ、何買うの?」
「バレンタインデーのお返し。ウルスラも来てくれ」
「御意」
変な日本語を覚えているが、彼女は日本に馴染むように努力している。
ドイツでは、理解者が少なかった分、この国では、俺が理解者になる必要がある。
これほど、優秀な人材を失いたくない束縛さも無意識にあるだろう。
「師匠……?」
ウルスラに先に声をかけたので、スヴェンが涙目だ。
正直、面倒臭いが、彼女も又、優秀である。
「秘書官の癖についてこないのか?」
「! ……はい!」
破顔一笑。
オリーブの花が咲き乱れるかのような眩しいものだ。
俺の背後に抱き着き、頬擦り。
「師匠♡ 師匠♡」
慕われているのは良いが、この変態性が何とかならないものか。
この性癖は、モサドの厳しい訓練の反動で発症したのか。
はたまた、生まれつきか。
モサドが原因ならば、外交ルートで正式に抗議した方が良いかもしれない。
モサドには、寝耳に水だろうが、こんな痴女を野放しにしていた責任がある。
俺は、溜息しつつ、その頭を撫でるのであった。
俺達は、近くのスーパーで、商品を見る。
事前に調べた情報だと、
———
『相場→相手との関係性によるが、1千~1万円
例:妻、彼女→1・5~2倍のお返し。
義理チョコ→1・3~1・5倍のスイーツ。
人気ランキング TOP13
1、チョコレート
2、苺スイーツ
3、プリン
4、ケーキ
5、ガトーショコラ
6、タルト
7、ティラミス
8、焼き菓子
9、バウムクーヘン
10、カヌレ
11、マカロン
12、クッキー
13、フルーツゼリー』(*6)
———
だそうだ。
我が家は、女性多数派社会なので、この情報通りだと、その分、高額化する。
更に親衛隊からも貰っている為、彼女達にも返す必要がある。
返礼を軽視すれば、人間関係に支障を来すのは何処の世界でも同じことだ。
俺はいつもの軍服だと目立つ為、自衛官の制服に身を包んでいる。
国家公務員のこのような服を部外者が着るのは、当然犯罪だが、あくまでも
外国人である女性陣は、米兵の恰好だ。
「ウルスラ、何が欲しい?」
「え? 私も良いんですか?」
イスラム教には、バレンタインデーの概念が無い。
サウジアラビアでは、法的に禁止され、一部の国では、死刑になるほどの犯罪に指定されているほどだ(*7)。
ただ、エジプトでは、祝われているように、イスラム教国=バレンタインデー禁止、という訳ではない。
「プレゼント贈っていませんが?」
「でも、君にだけ贈り物が無いのは、除け者感がある。気を遣わずに欲しがれ」
「は、はい……じゃあ、この羊羹を」
ハラル認証がされた物を選ぶ。
流石、敬虔なイスラム教徒だ。
反対にシャロン達は遠慮が無い。
目についた商品は、まるで石油危機のトイレットペーパー買い占め並に、かごに入れていく。
予算はたんまり用意しているが、この状況だと、軽く2桁はいきそうだ。
俺は財布のブラックカードを確認しつつ、
(ハーレムってのは、経済的負担が大きいな)
と再認識するのであった。
[参考文献・出典]
*1:ハフポスト 2020年10月9日
*2:FNNプライムオンライン 2019年5月31日
*3:北海道新聞 1993年5月11日
*4:『旧約聖書』「創世記」38:6~11
*5:メディカルノート 梅毒
*6:Giftmall HP
*7:失敗するプレゼントと成功するプレゼント HP
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