第102話 перестройка

 DVが酷い場合には、酸攻撃アシッド・アタックに遭う事もある。

 その名の通り、

・硫酸

・塩酸

・硝酸

 等を体にかけられるのだ。

 付着した箇所は、火傷になり、治療しなけれ、見るに堪えない傷が残り続ける。

 男尊女卑が根強い南アジアでは、多くの被害者を産み、イギリスでも年々増加傾向にある。

 幸い私は、その被害者にはならなかったが、病院には、焼け爛れた顔の女性が沢山居た。

 DVか、内戦で捕まった拷問によってなのか。

 兎にも角にも、皐月は大忙しだ。

 毎日3時間くらいの睡眠で、1日に何十人にも被害者を治療していく。

 昔、読んだ手塚治虫の漫画の主人公の様な神業は、欧州各国の医師団も、見学に来る程であった。

 主治医が彼女で本当に良かった。

 入院中の私には、司がついてくれた。

「退院後のて、ある?」

「……無いかも」

 自分を売った実家には、帰りたくない。

 かといって、夫の実家は、政変に加担した罪を問われ、一族郎党、死刑になった。

 つまり、天涯孤独なのだ。

「じゃあさ。いっそのこと、こっちくる?」

「こっち?」

「日本だよ。お金はあるんだよね?」

「まぁ……」

 正直、王族なので、金は腐る程ある。

 夫の実家の遺産もあるのだから、正味、一生遊んでも困らない位だ。

「でも、如何して日本なの?」

「私の国だから」

「何それ」

「親友だから近い所に居て欲しいじゃん」

 呵呵大笑かかたいしょうの司。

 呆気にとられる私だが、彼女からは悪意を感じられない。

 純粋に友達として見ているのだろう。

「司」

「あ、たっ君」

 病室にロシア帽を被った東洋人が入って来た。

 彼は、司とキスをし合う。

 よくよく見れば、白人の血もある様だ。

「たっ君、全部終わりな感じ?」

「ああ。陛下も御満足なされた様で、帰国の許可が出たよ」

「じゃあ、クリスマスに間に合うね?」

「そうだな。学校の方も心配だけど」

「レポートで許してくれるよ。こちら、紹介するよ。ここで知り合った親友ベストフレンドのシャルロットちゃん」

 会って間もないのにベストフレンドなのは、違和感があるが。

 好意は、素直に嬉しい。

「ハ、初メマシテ。しゃる、ろってデス」

 司から学んだ覚えたての日本語で挨拶する。

初めましてフロイト・ミヒお目にかかれてエス・フロイト・ミヒ嬉しいですズィー・ケネン・ツー・レルネン煉と申しますイッヒ・ハイセ レン

「!」

 綺麗過ぎるドイツ語に、私は、聞き返した。

「本当に日本人ですか? ドイツ系日本人ジャーマン・ジャパニーズでは?」

 色々な国々に支配されて来たこの国は、様々な言語を混在させて会話することが多い。

 現在は、ドイツ系が主流なのでドイツ語が事実上の公用語ではあるが、フランス語や英語、ロシア語等を使っても問題無い。

「純日本人ですよ」

 煉は、微笑む。

 キュン、と私の胸が鳴ったことは言うまでもない。


 軍務を終えたからには、帰らなければならない。

 国家公務員ではあれど、本分は学生だ。

 最終日は、王室が用意したホテルで泊まる。

「たっ君、バイキングだって」

「そりゃあ日本語だよ。ここでは、『スモーガスボード』だよ」

 テンションが高い司を諫めつつ、俺は、寿司に手を出す。

 離日から数日経っただけで日本食が恋しいのは、もう舌が日本人化した証拠なのだろう。

 日本で食べ放題=バイキングになったのは、昭和の頃の話だ。

 昭和32(1957年)、翌年に落成する新館の目玉となる飲食店を模索していたホテルの社長は、旅先のデンマーク、コペンハーゲンで北欧式ビュッフェ「スモーガスボード」に出会った(*1)。

「好きなものを好きなだけ食べる」というスタイルに注目した社長は、当時、パリのリッツ・ホテルで研修中で後のコック長に料理内容の研究を指示した(*2)。

 一方、「スモーガスボード」が非常に言い難く馴染みの無い言葉であった為、新飲食店名を社内公募した。

 その結果、

・北欧=バイキング、という発想

・当時、ホテル脇の映画館で上映されていた『バイキング』(1958年)という映画の中の豪快な食事場面が印象的だった事

 から、新店名を『バイキング』に決定(*3)し、翌年8月1日、新しく開館したホテル第二新館に『インペリアルバイキング』を開業した。

 この飲食店は好評を博し、ランチ1200円、ディナー1600円だったにも関わらず連日行列が出来るのであった(当時の大卒の初任給が1万2800円。*1)。

 これを模倣した後発店が定額食べ放題のシステムを「バイキング形式」と表現した為、バイキングはビュッフェレストランの代名詞となった。

 その為、外国人に日本語の食べ放題バイキングがすんなり通じるとは言い難い。

「国産の鮭で握ってみました」

 えへん、とオリビアは胸を張る。

 ちょっと粘っこいが、食べれない事は無い。

 日本産のに食べ慣れているから、無意識に比較してしまうのだろう。

「有難う」

「どんどんお食べ下さい」

「オリビアもな?」

「はいです♡ ライカもお食べ」

「有難う御座います♡」

 オリビアは、ライカと一緒に寿司を握っては、パクパク。

 非常に百合百合とした仲だ。

「……」

 俺は、寿司を数個、皿に盛ると、ソファで仰向けの皐月に持っていく。

「体調、どう?」

「もうへとへとよ」

 数日間、ほぼ毎日3時間位しか寝ずに患者の対応に当たったのだ。

 今日は朝から爆睡で起きても、この状態である。

「体、壊した?」

「かもね。久し振りに無理をしたから」

 机上には、勲章が放り投げられいた。

 陛下から頂いた物だが、直す気も無いくらい、疲労困憊な様だ。

「じゃあ、運ぶよ」

「え?」

 御姫様抱っこされる。

 30代では、中々無い経験だ。

「落ちないんでね」

「……うん」

 少女の様に可愛く頷く。

 司達がニヤニヤしているが、皐月は、もう脳内お花畑だ。

 俺の首に手を回し、しがみ付く。

 そのままベッドに運ばれる。

「……好き♡」

「俺もだよ。でも、まずは、元気が1番だ」

「……分かった」

 素直に頷き、俺達はキスをする。

 俺達は母子だが、血は繋がっていない。

 なので、お互い惹かれるのだろう。

 司、シーラとも血縁関係が無い。

 これほど異色な家族は、世界広しといえども中々、見受けられないだろう。

 皐月に毛布を掛けた後、俺は居間に戻る。

「たっ君は、マザコンだね?」

「言い方悪いな」

「大丈夫。マザコンなたっ君も好きだから♡」

 俺の頬にキスした後、司は、俺の為に御飯を盛る。

 オリビアも嫌がる様子は無い。

「勇者様は、英雄ですからね? ねぇ、シーラ?」

「……」

 こくん。

 天使は、相変わらず無口だ。

 可愛い所も変わりない。

 俺の視線に気付き、せっせと寿司を握り始める。

 正直、もう寿司じゃないのが、欲しいのだが、握ってくれる分、食わないと失礼になるだろう。

「……」

 はい、と渡された。

 タコのそれを。

「おお、上手く出来たな?」

 形こそいびつだが、汚くは無い。

 醤油につけて食べる。

「うん、美味しいよ。有難う」

「♡」

 笑顔でシーラは、胸を張る。

 いやぁ、信じられるか?

 これが妹なんだぜ。

「デレデレし過ぎ」

「おい、シャロン。それ、山葵わさび多過ぎ―――」

「うるさい」

 ナタリーが俺の鼻を摘まみ、無理矢理、口を抉じ開ける。

 こいつ!

 ナタリーは、邪悪な笑みを浮かべていた。

『バーカ』

 次の瞬間、どんぶり1杯分もの山葵が、俺の口に投下される。

「がは」

 余りの辛さに俺の意識は、途絶するのであった。


 余談だが、山葵には、致死量がある。

 体重が50kgの人は一度に摂取する量が600g迄と決まっているのだ。

 市販で売っている山葵のチューブは40g。

 計算上、それを大体15本分、一度に食べると、致死量になる。

 無論、それにならなければ、山葵は、健康に良い。

 その効果は(*4)、

・抗菌作用

・癌予防効果

・血栓予防効果

・寄生虫抑制効果(例:寿司、刺身の時)

 俺が死ななかったのは、致死量にギリギリ達していなかったのか。

 運が良かったのか。

 拷問対策で体質改善されていたのか。

 理由は、分からない。

 ただ一つ言えることは、山葵も場合によっては、毒なのだ。

 俺は、夢の中で説教を受ける。

『御母さんを大事にするのは、良い事だけど、ちゃんと姉さんも幸せにしなきゃ駄目だよ?』

『オリビアは、私に似て嫉妬深いから、ちゃんと愛すんだよ? 誰かさんみたいに背後から一突きされて、こっちの世界に来るんじゃないよ?』

 何度目かの臨死体験で煉とシルビアから、説教を受けるのであった。


 威張り散らす男性しか知らなかった私は、驚きであった。

「……」

 また、初めて見る山葵わさびに興味津々だ。

 色合い的には、アボカドに似ているだろうか。

 スプーンですくって口に含もうとした時、

「駄目」

 強い口調で、司が腕を握った。

「危ないよ」

「危ない?」

「これは、食べて蛸壺心筋症たこつぼきんしんきんしょうになった人も居るから最初は少なめにね?」

 寡黙な秘書が、ネット記事を見せる。

 興味本位で落命する所であった。

 私は皐月に続いて、司からも命を救われたのであった。


[参考文献・出典]

*1:青木ゆり子『日本の洋食』ミネルヴァ書房 2018年

*2:帝国ホテル HP

*3:TBS 『はなまるマーケット』2007年6月8日

*4:HIFUMIYO TIMES 2020/07/03

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る