第90話 La Marseillaise

 2021年12月1日(水曜日)。

 午前6時。

 住民投票が、始まった。

 11月に決まったのが翌月に行われるのは、早過ぎる感は否めないが、有権者はフランス系住民のみ。

 投票所も国政選挙並の数ではない為、準備期間が短くても用意出来たのだろう。

 各投票所の様子を国営放送は、生中継していた。

 ———

『―――独立を訴える独立党は、

「党勢を拡大出来た」

 と満足気でした。

 最新の世論調査の結果では、ケベックやスコットランドの様に接戦になる事も、カタルーニャの様に独立派が勝つ可能性は低いと見られています』

 ———

 穏健派のフランス系住民も投票権を行使しているが、当然、反対票だ。

 ドイツ系に支配されている現状に不満はあっても、日常生活に支障がある訳でもなく、又、差別も受けていない為、独立論には懐疑的なのだ。

 投票には、多くの海外メディアも詰め掛けている。

 王族による独裁国家の心象があるトランシルバニア王国での、住民投票なのだ。

 スペインがカタルーニャの独立を問う住民投票を憲法違反とし、阻止に動いた、所謂、『アヌビス作戦』の様な画を期待しているのだ。

 然し、投票自体、民主的に進んでいる為、何の問題も無い。

『貴方は、フランス系による民族自決に賛成し、独立に賛成票を投ずるか?』

 という投票用紙にも独墺合邦の様な不正さは無い。

 この日は、平日なのだが、

「……」

 オリビアは、気が気でない。

 母国に関わる事である。

 平常心で居られる方が、難しいだろう。

 授業中、チラチラとスマートフォンで速報を確認してしまう。

 勉学に不真面目、と言えるだろうが、別に今日だけなので、教員も注意はしない。

 王族という身分も関係しているのだろう。

「……」

 気になり過ぎて、俺と机の下で握手する。

 手汗が半端無い。

 手掌多汗症の様に汗が滴り落ちている。

 ノートにメモ書きし、見せられる。

『申し訳御座いません。ベタベタしてて』

 それに対し、俺は、書き返す。

『問題無い』

 そして、強く握り返す。

「!」

 オリビアは、大きく目を見開いた。

 手掌多汗症は、余りにも手汗が酷い為、対人関係に悩む事が多い。

 今回の症状は一時的なものなのか、永続的なものなのかは判断し辛いし、診断も医者次第なので、何とも言えないが、俺自身、別に手掌多汗症に差別的意識は無い。

 生きている以上、発汗は避けられない事だ。

 確かに、

・臭い

・べたつき加減

 は気にはなるものの、問題視する事は無い。

「……」

 オリビアの熱い視線を受けつつ、俺は授業を真面目に聞く。

 司も俺達の様子に気付いた様で、そっと、俺の膝に手を置いた。

 握手したい所だが、流石に両手が塞がれると、筆記出来ない。

 司の配慮に泣きそうだぜ。

 3人婚。

 奇妙に映るだろうが、これが俺達の幸せの形だ。


 トランシルバニア王国現地時間午前9時。

 本土から離れた孤島の投票所にて。

「……ん?」

 猛スピードのタグボートが、漁港にやって来た。

「「「!」」」

 人々は、驚く。

 船員が、アフリカ系のテロリスト達であったから。

 1人が、目が合った現地人をAK-47で息を吐く様に射殺。

「ひ」

「逃げろ!」

「きゃああああああああああああ!」

 逃げ惑う人々に向かって、テロリスト達は、銃撃を開始した。

 彼等は、トランシルバニア王国の国旗を引き摺り下ろすと、代わりに、黒地に緑色で『アッラー・アクバル』と書かれた軍旗を掲揚する。

 正体はフランスから乗り込んできたイスラム過激派であった。

 フランスの情報機関・対外治安総局の監視の目を掻い潜っての犯行であった。

 小島は、瞬く間に制圧されてしまう。

 住民は、

・男性

・女性

・子供

 に分けられ、男性はオレンジ色の囚人服を着させられた上で、桟橋に座らされた。

 そして、公開処刑が始まる。

 ———

『―――我々は、敬虔なイスラム教徒であり、平和を愛する。

 故に反イスラム主義は、許さない。

 我々は、本気である。

 全ての反イスラム主義者に死刑を言い渡す。

 反イスラム主義者には極刑あるのみである。

 我々は死後の1人が死ぬまで活動を続ける』

 ———

 対テロ戦争に参戦しているものの、トランシルバニア王国は日本同様、積極的に派兵している訳ではない。

 それでも標的になったのは、トランシルバニア王国が欧州の中で最も、難民に排他的だからだ。

 欧州難民危機の際にも、国際連合の度重なる要請に対しても、「我が国は、難民を養う程の余裕は無い」と1人も受け入れなかった。

 日本も難民受入に世界一慎重な国の一つ、とされているが、トランシルバニア王国は、それ以上に厳しい。

 まず、難民条約に加盟していない。

 又、不法移民は、発見次第、次々と逮捕、拘留し、第三国に引き渡している。

 1番多いのが、同じ北欧だ。

 人権意識が高い北欧にそのまま「輸出」している。

 ボートピープルをアメリカに「横流し」していた日本の様に。

 公開処刑は、SNSで生中継されていた。

 そして、桟橋の上で1人ずつ斬首されていく。


 テロの一報に逸早く、反応を示したのは、フランスであった。

「大統領、放置していた甲斐が実を結びましたね?」

「そうだな」

 ボナパルトは、嗤う。

 耳元まで吊り上がった笑いは、さながら悪魔の様だ。

 テロ組織を放置し、トランシルバニア王国に向かっても、トランシルバニア王国に連絡しなかったのは、この男が原因だ。

 選挙に介入出来る様に、黙認していたのである。

 フランス系住民に死者が出た以上、利用しない手立ては無い。

「大臣、軍隊を派兵しろ。同胞の危機だ」

「は」

 こうして、フランス軍の大部隊が小島に向かうのであった。


 被害者となったトランシルバニア王国での反応は違う。

 主権国家である以上、要請が無い限り、自分で対応するのが、本来の国だ。

 アドルフは、フランスの大使を呼びだした。

「閣下、我が国は、フランスを呼んでいない。即刻、撤兵を御願いします」

「陛下、お気持ちは重々、分かりますが、死者は我が国の同胞です」

「我が国の国籍を持っているし、貴国の国籍を持っていない。これは、内政干渉だ」

「いえ。そうは思いません。我が国が調べた結果、占拠された島は、貴国が普仏戦争の際、我が国から奪い去った土地です。返還を願います」

「なん……と?」

 余りの事に閣僚達は、呆れるしかない。

 大使の言う通り、件の島は普仏戦争(1870~1871)の時に、プロイセン王国が、フランス第二帝政から奪ったものだ。

 当然、戦勝で得たものだから、返す気は無い。

 当時は、仏領であったが、フランスはそれ程この島の開発に積極的ではなく、維持費も高かった為、逆に譲渡は渡りに船であった。

 然し、1960年以降、北海油田の開発が始まると、その島の重要性が認識され、フランスは大変後悔したという。

 類似例だと、アラスカがそれだ。

 アラスカは元々、ロシア帝国の一部であったが、ロシアはそれ程、アラスカに重要性を感じず、1867年にアメリカに二束三文で売り払ってしまう。

 然し、その後、1896年に金鉱が発見されると、その価値が跳ね上がり、今では、アメリカにとって、対露政策における重要な拠点にもなっている。

 若し、アラスカを売らなければ、ロシアの未来は違っていたかもしれない。

 まさに歴史に残る出来事であろう。

「閣下、流石に今更ではありませんか?」

「貴国は、国民を守れませんでした。然し、我が国は、五大国の内の一つであり、合法的に核も持っています。島を有するには、相応しい国でしょう」

「そうです」

 大使の言葉にカリオストロは、肯定した。

「貴様! まさか!」

「陛下、平和に拘るのは、お止め下さい。チャーチルも仰っていますでしょう? 『我が国に同盟国は存在しない。我が国以外、全て仮想敵国である』と」

「……この売国奴め」

「陛下、御言葉には、お気を付け下さい。私は、何れ、皇帝の後押しの下、国王になる身。陛下の生殺与奪は、全て私次第なんですよ」

 カリオストロは、嗤う。

 王宮は、既にフランス系の王族によって囲まれて、脱出は不可能な状態であった。

 事実上の政変である。

 圧倒的少数派のフランス系がこれ程自信家になれたのは、やはり、ボナパルトの存在であった。

 カリオストロが、宣言する。

「現刻を以て、私が、国王である!」

「「「フランス万歳ヴィーヴ・ラ・フランス!」」」

 フランス系王族による万歳三唱が、王宮を包み込むのであった。


―――

『こちらは、トランシルバニア王国放送局です。

 ラジオジャーナル「今日の話題」の時間です。

 アドルフ国王が、健康上の理由に公務を遂行出来ない事から、国王の権限がカリオストロ伯爵に移りました。

 政府は声明を発表し、その中でトランシルバニア王国の全土に半永久的に非常事態宣言が導入された事が指摘されました。

 国内全域が無条件で、現行憲法停止の下、全権委任法の支配下に置かれます。

 又、国の管理と非常事態体制の効果的な実現の為、国家非常事態委員会が創られました。国内全域の全ての、

・権力機関

・管理機関

・市民

 は、委員会の決定を厳密に遂行する義務を負います。

 国家非常事態委員会は、国民に向けた主張を発表しました。

 次の様に呼びかけています。

「アドルフ前国王の提唱によって始められ、国の躍動的な発展と社会の民主化の手段として考え出された、改革政策は、一連の理由によって行き詰ってしまった。

 当初の熱意と希望は、不信と無気力、絶望に変わった。

 あらゆるレベルの権力機関は、市民の信頼を失った。

 政治的野心が、社会生活から祖国と市民の運命に対する配慮を締め出した。

 あらゆる国家制度に悪意ある嘲笑が向けられ、国は、実質上、管理不可能な状態になった。

 与えられた自由を利用し、芽生えたばかりの民主主義の芽を踏み躙り、あらゆる犠牲をいとわず、

・政府の解体

・国の崩壊

・権力の奪取を目指す過激な勢力

 が現れた。

 民主主義の名の下で行われている住民投票が、踏み躙られた。

 国民感情の冒涜的悪用は、野心を満たす為の単なる覆いに過ぎなかった。

 政治上の冒険主義者は、自国民の現在の不幸も、又、国民の将来についても考えていない。

 国民が、社会体制がどの様な物であるべきかを決めるべきだ。

 然し、国民からその権利が奪われ様としている」

 政府は、国民に向けた主張の中で、この様に訴えています。

 更に続きます。

「市民1人1人、又、社会全体の安全と幸福を配慮する代わりに、権力を持っている者が、国民とは関わりの無い利益の為、無原則な自己満足の為に権力を利用する事は、珍しい事ではない。

 市民1人1人は、明日への不信感が増大するのを感じ、自分の子供達の将来に対して不安を感じている。

 権力の危機は、経済に破壊的影響を与えた。

 無秩序な抑えきれない民主化は、地域の、省庁の、集団の、個人のエゴイズムを爆発させるに至った。

 法の戦争と中央ら離れていく民族自決は、ユーゴスラビアの様な崩壊を招く……』

 ー――

 政変の報せは、全世界へ一気に拡散されるのであった。

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