第59話 モスクワは泣き顔を許さない

 昼休みが終わりかけの午後12時55分。

 突如、携帯電話が鳴った。

 相手は、ニコライ。

 肝臓を悪くして入院している筈だ。

「如何した?」

『少佐! 大使館が!』

「何?」

『大使館が、やられた! 畜生!』

 一体、何の事かさっぱり。

 一瞬、遂に危篤になり、幻覚かと疑った程だ。

『俺は戦う! 最後に散るぜ! 今まで有難うスパシーバ! 愛してるぜ! 万歳ウラー!』

「!」

 間隙かんげきに銃声が聞こえる。

 慌てて、SNSで『大使館』と検索すると、

 ———

『【ロシア大使館、爆発、テロか?】』

 ———

 との題名だけの記事が。

 情報が錯綜しているのだろう。

・ガス爆発説

・花火暴発説

 等、根拠の無い説がネット上に氾濫している。

「ニコライ!」

万歳ウラー!』

 電話が途切れた。

 落下した衝撃なのか。

 あいつが切ったのか。

 銃弾で撃ち抜かれたのか。

 兎にも角にも、大使館が非常事態なのは変わりない。

(あの野郎、病院を抜け出したんだな。措置入院させた方が良かったのかもな)

 ただ、無断離院むだんりいんした以上、自業自得だ。

 口振りから察するに、戦死を望んでいるのだろう。

 奴は、俺の思う以上に愛国者だ。

 熱砂の中、のた打ち回っても帰国し、ソ連に尽くした。

 イデオロギーの対立はあったものの、俺はあいつに敬意を表している。

 あいつが来世を信じているかは分からないが、若し、来世があるのならば、次は友達として会いたいものだ。

(最後くらいは、看取ってやるか)

 俺の意思を汲み取った2人は、頷く。

「……」

『私は、援護射撃するわ』

「有難う」

 以心伝心。

 良い部下達を持って良かったよ。


 司に『腹痛で早退する』と送った後、俺はシーラを連れて、シャロンの車でロシア大使館に向かう。

 港区麻布台にある大使館は、既に炎上していた。

 路地裏に入ると、車のナンバープレートを外交官ナンバーに付け替える。

 映画の様に。

 身形みなりもきっちり決めた。

 これらは、全て本物だ。

 ロシアとは色々、対立しているが、対テロ戦争に関しては、敵対してはいない。

 これらは、全てロシア政府から提供を受けた物だ。

貴族シュヴァリエ》の噂がモスクワまでとどろいているのか。

 FSBの情報力の御蔭か。

 兎にも角にも、非合法イリーガルな事は何一つ無い。

 俺は、高麗人コリョ・サラム

 白人の2人は、ロシア人に成り済ます。

 正規職員として、堂々と規制線を潜り抜ける。

 因みにバッジを明示しただけで顔は晒していない。

 バラクラバで隠し、身分を公にする事は無い。

 裏口から中に入ると、館内は野戦病院と化していた。

「畜生! 吹っ飛ばして来るなんて! 不貞野郎だ!」

 見ると、中庭には大きな穴が。

 成程。

 ペルーの日本大使館公邸占拠事件で、ペルー軍が採った方法をテロリストが採用した様だ。

(何故、地下から攻撃出来たんだ?)

 疑問に感じていると、メールが届く。

 ———

『一部の右翼団体が、イスラム過激派を支援。

 大使館の詳細な地図等を提供した模様』

 ———

 流石、ハッカーだ。

 ロシア大使館は北方領土問題から、しばしば右翼の標的に遭い易い。

 例えば毎年8月9日には右翼団体が、大使館周辺に集まって抗議活動を行っている。

 反露を掲げる右翼団体の一部が、イスラム過激派と繋がっても何ら不思議ではない。

 戦傷者の中には、ニコライも居た。

「おお……同志タヴァーリシチよ」

 体中に何発もの銃弾を受けている。

 右手首には、黒いトリアージ・タッグが。

(……駄目か)

 タッグは、4種類に分けられる(*1)。

 ―――

・黒=カテゴリー0(無呼吸群)

 死亡、又は生命徴候がなく、直ちに処置を行っても明らかに救命が不可能なもの(実際には東日本大震災における福島第一原子力発電所周辺等の状況下では、傷病者が多く全く治療が追いつかない等の理由で、必ずしも救命不可能ではない者もこちらに分類する事例がある)。


・赤=カテゴリーI(最優先治療群)

 生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置をすべきもの。


・黄=カテゴリーII(待機的治療群)

 基本的にバイタルサインが安定しているものの、早期に処置をすべきもの。

 一般に、今すぐ生命に関わる重篤な状態ではないが処置が必要であり、場合によって赤に変化する可能性があるもの。


・緑=カテゴリーIII(保留群)

 歩行可能で、今すぐの処置や搬送の必要ないもの。

 完全に治療が不要なものも含む

 ―――

 軍医や衛生兵が首を振って、他の負傷者を診ていた。

 医学や救急の専門家ではない俺でも、この傷の深さを見れば、経験則で助からない事が分かっている。

 これが医療漫画やドラマであれば名医が登場し、神業で救うのだろうが、生憎、そんな御都合主義が無いのが現実だ。

「……♪」

 おもむろにニコライは、歌い出す。

 ソ連時代に流行った名曲『カチューシャ』を。

 独ソ戦の際、前線でソ連兵が愛唱していた所、ドイツ兵が再演アンコールを求めたという逸話が残るくらいの名曲中の名曲だ(*2)。

 戦時下でも敵兵の心を掴んだそれを、ニコライは自分への鎮魂歌レクイエムに選んだのだろう。

 俺達3人はバラクラバを脱いで、軍帽を被り、掌を下に向けた敬礼を行う。

 ロシア式のそれだが、ニコライは微笑んだ。

有難うスパシーバ……」

 と。

 本来ならば、こんな平和な日本ではなく、アフガニスタンで死にたかっただろう。

「「「……」」」

 周囲の職員や駐在武官も同様に敬礼。

 BGMに銃声と爆音、悲鳴の中、ニコライは逝った。

 今では数少なくなったアフガン帰還兵アフガンツィの最期である。

「……同志タヴァーリシチよ、さらばダスビダーニャ

 俺はニコライの開いた目を閉じさせ、胸の両手を置く。

「「……」」

 シーラとシャロンは、涙目だ。

 終わり、俺達は、3人1組で屋上へ行く。

 そして、バラクラバを装着した。

「2人は見学。出来るか?」

「「は!」」

 戦いたい反面、2人は俺ほどの戦闘力は無い。

 まずは、見学だ。

「良い子だ」

 シャロンの額に接吻し、シーラの頭を撫でた後、俺は駆け出す。

 親友の敵討ちの為に。


 俺の得意科目は、近接戦闘だ。

 中庭に居たテロリストは、5人。

 武器は、AK-47。

 流石、テロリスト愛好の武器である。

 もっとも、ロシア人が作った自動小銃でロシア大使館を襲うのは、なんだかね。

 パルクールで密かに背後に回り込むと、木の陰に隠れ、

「……」

 スペツナズ・ナイフで頭に投げ込む。

「ぐわ!」

 これで1人目。

 後、4人。

「何だ?」

 4人が一斉に振り向いた所を今度は、ロシア大使館の狙撃手が狙う。

 一気に2人をたおす。

 残り2人は、手足を撃ち抜いて戦闘不能にさせた。

 全員殺すのではなく、生かして、吐かせるのだ。

「糞!」

 手榴弾を取り出した所を、俺は手首を踏んで阻止。

「ぐ!」

 もう1人がAK-47に手を伸ばすも、

「駄目だぞ? 不良少年ルーズボーイ

 銃床で顔面を殴打し、頭蓋骨を粉砕した。

「あ、やっちまった。まぁ、良いや。喋る口は1人で良いし」

 失敗を忘れて、テロリストを見る。

 見た目は、スラブ人だ。

 成程。

 自国産テロリストって奴か。

 然し、ある意味、アメリカよりも怖いロシア相手にテロを起こすとは、その勇気だけは羨ましいな。

 何億ドル積まれても、ロシアとは全面衝突を避けたい。

 だって、対テロ戦争の為には、国民が何人死んでも弱体化しないんだぜ?

 ロシア国民も我慢強いが、ロシア政府も強過ぎる。

 冷戦期、鍛えられたんだろうな。

 アメリカ人や日本人には、無理だろうな。

 駐在武官がやって来た。

有難うスパシーバ。これで敵が討てたよ」

「全然。こっからは、FSBの仕事?」

「さぁな」

 曖昧に濁し、駐在武官は捕虜を1発殴ってから何処かに連れて行く。

 あーあ。

 ありゃあ良くて、シベリア送り。

 悪くて、不審死だろうな。

 西側諸国も見習ろうよ。

 その悪・即・斬の姿勢。

「……」

 天を見上げた。

 今頃、ニコライは、戦友達と再会している事だろう。

 否、先に家族と会っているかもしれない。

 短い間だったが、良い仲だったな。

 やがて、雨が降って来る。

 ニコライ達が再会を祝した嬉し泣きだろう。

 関係が浅く、葬式を開くまでの仲ではないが、ロシア大使館経由で香典を贈った方が良いだろう。

 お金と奴の大好きだったウォッカをな。


 敵が少なかった分、確認戦果も少ない。

 大使館によれば、当初、テロリストは15人であったが、10人をニコライが殺したという。

 味方に一切の攻撃を止めさせ、孤軍奮闘し、最後は蜂の巣に。

 今回、ニコライを含めたロシア人の死者には全員、ロシア連邦英雄が贈られるそうだ。

 ロシアとしては、対テロ戦争の為の広告塔に利用したい魂胆もあるのだろう。

 俺も政府の人間ならば、そうする。

 死者には悪いが、喪服が長すぎると、国民の関心から薄れ、忘れさられてしまうからだ。

 警備が厳重な筈のロシア大使館が簡単に襲撃を許したのは、FSBが関与した、という陰謀論が浮上する。

 この根拠は、1999年のリャザン事件が根拠だ。

 当時、ロシアでは、国内でチェチェン独立派によるテロが起きていた。

 ロシア政府は、この意見について一蹴している為、真相は定かではない。

 今回の事件も内容的にFSBが故意に大使館内部の情報を漏らす等して、手引きした可能性も否定出来なくは無いが、明確な証拠も無い為、陰謀論に過ぎない。

 それに俺は、真相には興味が無い。

 守りたいのは、今の生活だけだ。

 ニコライが眠る墓地で手を合わせていると何処かしら視線を感じる。

 FSBか、公安か。

 或いは、それ以外か。

 兎にも角にも、俺は内部告発者ディープ・スロートになる気も無い。

 ロシアの政治は、ロシア人が決める事だ。

「……これは、ただの独り言だからな。喋らないし、喋る気も無いよ。何なら血税で俺の放屁の音を聞きたいか? なら失せろ」

 すると、監視の目が遠のいていく。

 独り言が利いた様だ。

 フルシチョフ以来の怒鳴り込みである。

 一時的な永続的かは分からないが、秘密を守る男だ。

 天国のニコライに訊く。

「なぁ、あんたの祖国には、自由権ってあるのかい?」

 風が吹く。

 それが、答えか。

 偶然か。

 ニコライの死に顔を思い出しつつ、俺は墓石にウォッカをかけるのであった。


[参考文献・出典]

 *1:ウィキペディア

 *2:東長崎機関

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