第57話 Philia

『書の達人として知られていた幕臣・戸川安清(1787~1868)は、当時70歳を過ぎた老人ながら、推されて徳川家茂(14代将軍 1846~1866)の習字の先生を務めていた。

 ある時、教えていた最中に、突然、家茂が安清の頭上から墨を摺る為の水をかけ、手を打って笑い、

「後は明日」

 と言ってその場を出て行ってしまった。

 同席していた側近達が何時もの家茂らしくない事をすると嘆いていると、当の安清が泣いていた。

 将軍の振る舞いを情けなく思っての事かと尋ねると、実は老齢の為、ふとした弾みで失禁してしまっていた事を告げた。

 その頃の慣例として、将軍に教えている真っ最中に粗相をしたとなると厳罰は免れないので、それを察した家茂はわざと水をかけて隠し、

「明日も出仕する様に」

 と発言する事で不問に処する事を表明したのである。

 泣いたのは、その細やかな配慮に感激しての事だと答えたという』(*1)

 ……

 ルーがスヴェンを助けたのは、これに由来する事であった。

 但し本人は、記憶転移で余り覚えていないのが。

 帰宅するなり、ルーは叫んだ。

「スヴェン、大尉だ―――あら?」

「「zzz……」」

 スヴェンは、シャロンと一緒に彼の寝台で寝ていた。

「……」

「……そうだな。寝かせておくか」

 シーラの提案を受け入れ、部屋を出て行く。

「……シーラ」

「?」

「……俺って甘いかな?」

「……」

 フルフル、と首を振る。

「……そうか」

 それ以上、何も言わず、2人は本宅に入るのであった。


 翌日。

「貴君を大尉に任命します」

 ライカが任命状が、スヴェンに渡される。

 嫌いな相手だが、仕事はするのが、玄人プロフェッショナルだ。

「勇者様、又、部下を増やしましたね?」

「そうだよ。有能だからな」

「……女性、多くないですか?」

「偶然だよ」

 俺が、女性だけに限って採る訳が無い。

 何せ司という最愛の人が居るのだから。

 長髪から、短髪にしたスヴェンだが、ボーイッシュなのは、変わらない。

 ライカと一緒だと、2人共、見た感じ男性なので、慣れていなければ混乱するだろう。

「スヴェン君って短髪でも格好良いね」

 髪を切った張本人・司は、満足気だ。

「そーそー。元から顔立ちが良いんだろうね?」

 司と一緒に切った皐月は頷く。

 2人は、俺の膝に座り、任命式を眺めている。

 正直重いが、2人がくれた恩からすると軽い物だ。

 因みにこのは、シャロンとシーラも狙っていた様だが、弾かれ、2人は、俺達の左右を陣取っている。

「パパ、飽きた~」

「そういうな。もう少しで終わる」

「何時よ?」

「さぁな」

 国王から贈られた契約書に、スヴェンは、署名する。

 これで彼女は、親衛隊の一員だ。

 階級は、大尉。

 俺とライカが相談して決めた。

「勇者様、チーム名が《騎士》ってのは?」

「シャロンが勝手に名付けたんだよ」

「成程。あ、そのチーム、上に掛け合って、親衛隊の上部組織に《騎士》を置いたわ」

「何?」

「《貴族》が親衛隊を率いるの。何も間違っていないでしょ?」

「……」

 流石、お姫様だ。

 強権を発動させ、俺のチームを勝手にトランシルバニア王国の準軍事組織の一部にしやがった。

「良いのかよ?」

「だって、給金は、わたくしが出していますの。勇者様が働きやすい様にするのは、雇用主の努めかと」

「……有難う」

 慈悲深いのは、良い事だが、有難迷惑な場合もあるんだけどな。

「あと、軍旗も作ってみましたわ。ライカ」

「は」

 ライカが、青色の旭日旗を持って来た。

「青いのは、初めて見たな」

「旭日旗を模範にしました。日本政府にも許可を取っています。この青色は、北海を表しています」

「……この文字は?」

「『大一大万大吉』。石田三成公の家紋から拝借しましたわ」

「……良い言葉だけど、要る?」

「隊員の精神を表すには、良いかと」

 旗に文字が入っているのは、サウジアラビアの国旗等が有名だが、まさか、母国語ではない物を採用するのは、異例だろう。

「日本語だけど?」

「我が国は、良き物は、例え外国由来でも採用するのが方針ですわ。日本でも、明治維新の際、外国文化を採用しつつ、自国文化を維持した事と一緒ですわ」

「……そうか」

 敬意を払っての事なのだが、文化盗用と指摘されるだろう。

「……文字は、止めといた方が良い」

「『皇軍』の方が良いですか?」

「そうじゃなくて、文字が無くても旭日旗は、格好良いよ」

「勇者様がそう仰るなら」

 日本人は、大抵、好意的な文化盗用なら、歓迎する場合が多いが、頭でっかちな人達は何処にでも居る。

 極力、自分の組織が叩かれるのは、嫌だ。

「師匠」

 真面目な顔でスヴェンは、跪く。

「「……」」

 空気を読んだ母娘は、離れる。

 これで、2人の間に壁は無い。

「私は、親衛隊の長たる北大路煉、貴方に対して、忠誠と勇気を誓います。私は、貴方と貴方が定めた上官に、死に至る迄服従を誓います。斯くて神よ、私を助け給え!」

「……」

 俺は、支給された制帽をスヴェンに被せる。

 これで、伝統儀礼は終わった。

「……」

 シーラが袖を引っ張った。

「ん?」

「……」

 口には出さないものの、『私もした方が良いですか?』と視線は告げていた。

「宣誓しないといけないよ? それでもしたい?」

「……」

「強制はしないから、気にしなさんな」

 先程の宣誓は、忠誠宣誓と言い、ドイツが宗主国だった時以来続く伝統だ。

 原文だとナチスの親衛隊が、ヒトラーの私兵でもあった為、彼個人に忠誠を誓う文章なのだが、トランシルバニア王国の親衛隊は、その長に忠誠を誓う。

 ソ連の衛星国だった時代には、

 ―――

『私は、我が祖国・トランシルバニア社会主義共和国へ常に忠誠を尽くし、労農政府の命令に従って、祖国をいかなる敵に対しても守る事を誓います。

 私は、ソ連軍と社会主義同盟諸国の軍の側に立ち、国家人民軍の兵士としていかなる時も社会主義を全ての敵から防衛し、勝利を勝ち取る為に私の身命を賭する用意がある事を誓います。

 私は、

・実直、勇敢で、規律正しく油断なき兵士である事

・上官へ無条件に服従する事

・命令を断固として遂行し、軍と国家の機密を常に厳しく守る事

 を誓います。

 私は、軍事知識を良心をもって習得し、軍の諸規則に従い、いかなる時、いかなる場所においても我が共和国と国軍の栄誉を保つ事を誓います。

 若しも私がこの厳かな宣誓を破る事があれば、我が共和国の法による厳罰と、勤労国民からの軽蔑を甘んじて受け入れます』(*2)(*3)(*4)

 ―――

 と長文且つ堅苦しい為、不評で民主化後にドイツの時代に戻された経緯がある。

 シーラの場合は、場面緘黙症である為、宣誓はきついだろう。

「失礼します」

 スヴェンは、俺の手の甲に接吻した。

 国によってこの意味は、異なる(*5)。

・イギリス→挨拶

・ドイツ→ナンパ

・フランス→愛情表現

・アメリカ→敬意、好意

 今回のは、アメリカ的な意味合いだろう。

「おいおい、俺は女じゃないぞ?」

「忠誠ですから」

 ベタベタとスヴェンは、俺に触れる。

 真面まともな愛情を受けずに育って来た為、親身になってくれた俺への敬意が、過激化しているのかもしれない。

「パパ、愛されてるね?」

 同じ大尉のシャロンは、嬉しさ半分、嫉妬半分と言った表情だ。

「そうだな」

 新しい有能過ぎる部下を得た俺は、上機嫌であった事は言う迄も無い。


 大変です。

 これは、好敵手ライバルが現れてしまいました。

 余りの事に私は、少佐から一歩たりとも離れる事が出来なくなりました。

 あの者は、危険な目をしています。

 アイリーン・ウォーノス(1956~2002)以来の《化物モンスター》です。

 なので、これからはスヴェンを監視対象にしなければなりません。

「……少佐」

 2人の時、尋ねました。

「うん?」

 少佐は、学業の傍ら、訓練を欠かしません。

 今は、半裸で、懸垂をされています。

 引き締まった胸筋は、元カリフォルニア州知事の様です。

「如何した?」

 訓練中にも関わらず、中断して下さりました。

 申し訳ない一方、その優しさに肩迄どっぷり浸かりさせて頂きます。

「その……狙撃を御教え下さい」

「良いけど、自主練してる?」

「はい」

「なら、見様」

 優しい少佐ですが、怠りに関しては厳しいです。

 地下に造られた射撃場に行きます。

 ここは、元々、防空壕だったのですが、少佐が改築しました。

 地下なので、外迄銃声が響く事はありません。

「……」

 立射で、マン・ターゲットを狙います。

 以前迄は少佐が近くに居るだけで、緊張し、失敗していましたが、今ではもう慣れっこです。

 M16の引き金を引くと、数瞬後、マン・ターゲットが粉砕しました。

「おお、見事だ」

 少佐に褒められ、私も鼻が高いです。

 本業の狙撃手は、上手くは行っていないが、撃てなかった時期と比較すると、格段と技術は向上しています。

「少佐、宜しいですか?」

「!」

 いつの間にかスヴェンさんが来ていました。

 私に対抗してか、M16を銃架から選び、見せ付ける様に、立射で撃ちます。

「!」

 銃弾は、ど真ん中。

 記録は、100点満点。

 先程の私のが、99点だったのに対し、上です。

 明らかな挑発行為に、私の鼻息もつい荒くなります。

「見事だ」

「有難う御座います♡」

「部屋は、如何なった?」

 病院だけあって、部屋は、個室を潰せば誰でも。使えます。

「御紹介されましたが、断りました」

「断った?」

「はい♡」

 我が耳を疑います。

「おいおい、部屋位持てよ」

「良いんです。私は、。師匠と同部屋で♡」

「!」

 聞き捨てなりません。

「……」

 ふーふー、と犬歯を剥き出しにすると、

「師匠、この者は?」

 ほぼ初めてでしょうか。

 私に興味を持ちました。

「狙撃手だよ。まぁ、今は、秘書だけどな」

「狙撃手? ……ああ、へたっぴの?」

「!」

 瞬間、私は、掴みかかりそうになりました。

 未遂に終わったのは、寸前で、少佐が制止して下さったからです。

「スヴェン、人格否定は止めろ。嫌なら不名誉除隊だ」

「分かりました。反省します。先程のは、取り消します」

「シーラは、姉弟子。スヴェンは、妹弟子だ。お互い敬意を払え。私生活は、険悪でも良いから」

「はい♡」

 スヴェンさんは、素直に返事し、

「……はい」

 私は、嫌々、応じます。

《化物》が妹弟子なのは、嬉しい事ですが、実力的には、負けています。

 精進しなければなりません。

 今の地位を維持する為にも。

 私は、少佐に隠れて、スヴェンさんに並々ならぬ敵対心を向けるのでした。


[参考文献・出典]

*1:戸川残花『幕末小史』1899年

*2:Theodor Plievier 『カイゼルは去ったが、将軍たちは残った』 訳:舟木重信 

   白水社 1953年

*3:四宮恭二 『ヒトラー・1932-1934(下)』 日本放送出版協会 1981年

*4:加瀬俊一 『ワイマールの落日』 光人社 1998年

*5:BELCY 2020年7月15日

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