第56話 愛を無くした天使

 家族は、ナチズム信奉者。

 そんな中で、スヴェンは育った。

 産まれた時、彼女を包んだのは、ナチスの国旗。

 1935~1945年まで使用されちた鍵十字ハーケンクロイツのそれだ。

 鍵十字は今でこそ心象イメージが悪いが、元々は幸運の印であり、ヒンドゥー教等で使用され、日本では明治13(1880)年に寺を表す地図記号に採用されて以降、現代に至るまで使用され続けていたり、家紋になっているなど、日本社会に深く根付いている。

 しかし、ドイツでは民衆扇動罪で処罰されかねない危険な行為だ。

 これが出来るのは、トランシルバニア王国にドイツ系が多い国家だからだろう。

 1945年5月8日。

 ナチスが降伏直前、大挙として党員や軍人、数千人もの一般市民がトランシルバニア王国に押し寄せた。

 これに枢軸国が占領していた地域からもドイツ人が、移住してきた。

 彼らは所謂、ドイツ人追放により、家を失った者達だ。

 追放の際に亡くなったドイツ人は、推定50万~200万人。

・飢餓

・凍死

・民兵からの暴行

・病気

 等がその死因だ。

 運よく生き延びた者達1650万人(1240万人、とも)による民族大移動は、新たな土地を求めて、その大部分が当時、未だ国土がそれ程荒廃していなかったトランシルバニア王国へ訪れる。

 敗戦直後のドイツも、その多くの自国民を養う程の力が無かった事は言う迄も無い。

 トランシルバニア王国が移住者の希望の地になったのは、国王に代々、ドイツ系が多いからだ。

 元々、北方ゲルマン人が発見した島を開拓し、そこにヴァイキングの国家が誕生した。

 その後、紆余曲折を経て、ドイツ帝国支配下の際、ドイツ人が多く入植。

 その時、皇族も一緒に移住した。

 当初、皇帝はドイツ化を推進するも、既にフランス系やイギリス系等の王族や貴族、住民も多数居た為、その計画は失敗に終わるも、政略結婚で王家になり、時代を経て、ドイツ系一極支配となった歴史を持つ。

 混血に混血を重ねた為、純粋なドイツ人は少ないが、同胞には優しい筈との判断の下、頼ったのである。

 然し、それは、甘かった。

 戦後、トランシルバニア王国は、共産化。

 ドイツ人は、排斥の対象になった。

 なので、多くのドイツ人は、戦う事を選ぶ。

 北海油田を有するこの国は、祖国よりも豊かになる可能性があると信じて。

 これが、ナチスの残党と王党派が連携を組む理由となったのである。

 イスラエルは、その事実に驚愕し、直ちに裁判の準備を進めるも、多くの戦犯は、高齢化し、訴追は困難を極めた。

 裁判は日本もそうだが、長期化する事が多い。

 高齢化した戦犯は、その裁判中に死亡する可能性がある。

 そこで、イスラエルは暗殺を採った。

 高齢者であるが故、急死しても可笑しくは無い。

 作戦を承認したのは、当時、首相のゴルダ・メイア(1989~1978)。

 当時の宗主国であるソ連と共にナチス残党壊滅を決行。

 長い時間をかけて多くの戦犯を暗殺していった。

 歴史上、初めてのモサドとKGBのタッグである。

 残党が逃げられる訳が無い。

 その作戦は、メイアが死去後もソ連撤退後も続き、遂に2021年、完遂したのだ。


 スヴェンとモサドとの接触は、ここ最近の話だ。

 スヴェンがナチズムを疑問視していいることを知ったモサドは、密かに接触し、報酬を支払うことでを打診。

 彼女はそれを無事、遂行したわけだ。

 その結果、天涯孤独になった。

 しかし、師匠と再会出来たので不安は無い。

「……」

 煉が帰宅する前に、彼の部屋中を掃除して回る。

 流石に個人情報である机の引き出し等は、漁らないが。

「……ねぇ」

「はい」

 掃除機をかけつつ、スヴェンは、聞く。

「パパとは、何処で会ったの?」

「ドイツです」

「それが聞いた。差支え無い程度で良いから教えなさいよ」

「……命令口調なんですね?」

「そうよ。私は、大尉。貴女は、二等兵。これが、チーム《騎士シュヴァリエ》のピラミッドよ」

 チーム名は、決まってはいないのだが、煉が騎士なので、シャロンが勝手に名付けたのだろう。

 因みに、階級もシャロンが勝手に付けた為、法的拘束力は無い。

「……分かりました」

 掃除機を直した後、座布団に座る。

 椅子ではなく、座布団なのは、彼女なりの煉への敬意の表れなのだろう。

「……私達は、ドイツのラムシュタインで出逢いました」

「ふむ」

 ラムシュタインは、ドイツにある欧州最大のアメリカ空軍基地だ。

 シャロンも行った事は無いが、聞いた事はある。

「そこで、当時、外部から来て下さった師匠と出逢ったんです」

「……当時ってのは、何年前?」

「約5年前です」

「……」

 5年前だとすると、2016年。

 リオデジャネイロ五輪が行われた年だ。

 当時、ルー・ブラッドリーはドイツに居た。

 長年の功績が買われて、在独米軍教官に招聘されたのだ。

 基地には、トランシルバニア王国の軍人も多数派遣され、ルーの教えを乞うた。

 生徒数は、約100人。

 その中にスヴェンが居た。

「当時の師匠です」

「!」

 生徒達と一緒に写る実父。

 非常に良い関係なのだろう。

 生徒達は笑顔で、彼を囲んでいる。

「……パパは、一つも言わなかったけれど?」

「守秘義務でしょうね。この写真も世界で1枚だけです」

「……そう、なんだ」

「他の資料は。師匠が問題を起こした為、全て廃棄処分にされました」

「! 問題?」

「はい。ある生徒に水をかけたんです。授業中に」

「!」

 ぎょっと、写真を見た。

 これほど生徒に慕われている筈の実父が体罰とは、とても想像出来ない。

 無論、シャロンも手を上げらた事は無い。

 悪い事をしても、説教だけで体罰は無かった。

「……パパが?」

「はい。それが問題視され、解雇されました……」

 スヴェンは、シュンとしている。

 尊敬しているルーが、そんな事で学校を去るとは思いもしなかったのだろう。

 それでも、尊敬しているのは、不可解だが。

「……如何して貴女は、その写真を持っているの?」

「師匠が私を救って下さったんですよ」

「え?」

「私はナチスの残党を家族に持ちます。それで、虐められていたんです」

「……」

 スヴェンと同じ様な女性が居る。

 ―――

 グドルーン・ブルヴィッツ(1929~2018)

 ドイツの政治活動家で、ナチスのSS長官ハインリヒ・ヒムラーの娘である。

 邪悪の代名詞となってしまった「ヒムラー」の名を背負ったグドルーンは、戦後ドイツ社会から差別的な扱いを受け、やがてナチス擁護の歴史修正主義者になった(*1)。

 後に結婚してブルヴィッツと改姓したが、グドルーンは、

「嘘をついて新しい人生を始める事等出来ません。私はずっとグドルーン・ヒムラーである事に変わりはありません」

 と述べている(*1)。

 彼女はナチス戦犯の逃亡生活や捕まった後の弁護を支援する団体「静かなる助力」の活動に貢献した(*1)。

 ―――

 スヴェンも環境次第では、グドルーンの様にネオナチになっていたかもしれない。

「師匠はそんな私を何時も気にして下さって、1人で居ると、一緒に御飯を食べたり、時には奢って下さったりしました。後々、聞けば、ユダヤ系らしいですね?」

「そうよ。まぁ、全然、信者って程じゃないんだけどね?」

「驚きましたよ。ユダヤ系の方が私を庇って下さるなんて」

「パパは敵と味方がはっきり分かれているからね。全然そういう偏見は無いよ」

 恐らくだが、ルーがスヴェンに親身になったのは、彼女とシャロンを重ねて見ていたのかもしれない。

 シャロンを育てられない心苦しさから、自分の娘と同年代位の子供には、より親身になりやすいのかもしれない。

 実際にシーラやナタリー、ライカとも良好な関係を構築している。

「……ある日の事です。度重なる虐めに私の心は、ボロボロで授業中にも関わらず……失禁してしまったんです」

「!」

「いち早く気付いた師匠は、いきなり、私にバケツ一杯の水を頭からかけ、嗤ったんです

「!」

「それにドイツ人の学生は怒り、師匠を非難し、解雇に至った訳です。学生の中にはユダヤ系である師匠に良い印象を持っていなかった人達も居たのかもしれません」

 ナチスがたおれたドイツであるが、反ユダヤ主義が無くなった訳ではない。

 1991年1月、好感を持てる国としてイスラエルは最下位

       調査団体:南ドイツ新聞

 1992年1月 国民の62%「戦時中のユダヤ人迫害を話題にするのはそろそろ止める

            べき」

      調査団体:デア・シュピーゲル・エムニート世論研究所

 1992~1993年には、旧東ドイツのネオナチの若者がトルコ人移民やユダヤ人墓地を襲撃。

 ……

 ろくに調査もされず、ルーが即時解雇になったのは、在独米軍上層部に反ユダヤ主義者が居た可能性も考えられる。

 ユダヤ人は、今も戦時下なのだ。

「私は……」

 当時を思い出したのか、スヴェンは両目に涙を浮かべていた。

「私には、もう家族も祖国もありません。頼れるのは、師匠だけなんです」

「……」

 シャロンは、何も言わず抱き締める。

 子は親を選べない。

 この世に生まれた瞬間から不幸だったのだ。

 そして、告げる。

「……合格よ」

 と。

 チーム《騎士シュヴァリエ》に新メンバーが加わった瞬間であった。


[参考文献・出典]

*1:グイド・クノップ『ヒトラーの親衛隊』訳:高木玲 原書房 2003年

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