全部、赤の所為

第41話 豚の目を抉れ

 今では、平和な日本であるが、昭和のある時期は、政情不安定な中東の国の様に、テロ事件が盛んに行われていた。

(……丸の内か)

 超高層ビルが立ち並ぶオフィス街を、俺は凝視していた。

 残暑厳しい令和3(2021)9月5日大安。

・司

・シャロン

・オリビア

・シーラ

 と共に、丸の内にあるタピオカ専門店に訪れていた。

 女性陣がガールズトークを楽しむ中、俺はガラス張りの丸の内から目が離せない。

 日本人の多くは、もう知らないだろう。

 この場所が、戦時中でも無いのに地獄絵図に化していた事を。

 ―――

『昭和49(1974)年8月30日金曜日。

 午後0時25分頃:

 テロ組織『狼』の実行犯4人が、三菱重工業東京本社ビル(現・丸の内二丁目ビル)1階出入口のフラワーポット脇に時限爆弾を設置。

 これは三菱重工業東京本社ビルと、道を隔てて反対側にある三菱電機ビル(現・丸の内仲通りビル)の両方を破壊する意図からであった。


 午後0時42分頃:

 三菱重工ビルの電話交換手に、

「三菱重工前の道路に2個の時限式爆弾を仕掛けた、付近の者は直ちに避難する様に、これは冗談ではない」

 旨の怪電話がかかってきた。


 午後0時45分(*資料によっては数分の食い違いがある):

 時限爆弾が炸裂。

 この衝撃で1階部分が破壊され玄関ロビーは大破、建物内に居た社員が殺傷された他、表通りにも破片が降り注ぎ多数の通行人が巻き込まれ死傷した。

 三菱重工業東京本社ビルの窓は9階まで全て割れ、道を隔てて反対側にある三菱電機ビルや、丸ビルなど、周囲のビルも窓硝子が割れた。

 又、表の道路に停車していた車両も破壊され、街路樹の葉も吹き飛ばされた。

 ……

 この爆風と飛び散った硝子片などにより、三菱重工とは無関係な通行人を含む死者8人(即死5人、病院収容後に死亡3人)、負傷376人を数える戦後日本最悪の爆弾テロ事件となった。

 この被害は、

・松本サリン事件 (1994年 死者8人)

・地下鉄サリン事件(1995年 死者14人)

 が起きるまでは最大規模であった。

 この時の爆発音は新宿でも聞こえたという。

 甚大な被害が出たのは爆発物の質量が大きかった事もあるが、通常、放射状に拡散する爆風がビルの谷間に阻まれ、ビルの表面を吹き上げ爆風の衝撃波で窓硝子を破壊し、粉々になった窓硝子が道路に降り注ぎ、割れた硝子が凶器になった他、ビル内に入った衝撃波も階段等を伝わり窓から噴出し、ビル内部をも破壊した為である。

 又、爆心には直径30cm、深さ10cmの穴が開いていた。

 この爆発の威力は陸上自衛隊の調査によれば、敵軍侵攻を食い止める為に用いる、「道路破壊用20ポンド爆弾よりも強力だ」

 としていた。

 東アジア反日武装戦線の予想を超えた被害が出たのは、

・列車爆破用の爆弾を転用した為

・爆破予告が「単なる悪戯」と捉えられた為

 である。

 犯行グループは守衛室へ8分前に爆破予告電話をかけたが、最初は「悪戯電話」として切られ、再度かけ直した時もすぐ切られた。

 もう一度かけ電話交換手が爆破予告を最後まで聞いたのが4分前であったが、避難処置は取られなかった。

 電話交換手は、本を読むような一本調子の無表情な口調で具体的な事を言わなかったので爆破予告を冗談とは思ったが、念の為、庶務課長に電話で報告した上で8階の庶務課長室へ向う為にエレベーターに乗った時点で爆発したという。

 その後、同年9月23日付で、犯行声明が発表される。


『1974年8月30日

 三菱爆破=ダイヤモンド作戦を決行したのは、東アジア反日武装戦線“狼”である。

 三菱は、旧植民地主義時代から現在に至るまで、一貫して日帝中枢として機能し、商売の仮面の陰で死肉をくらう日帝の大黒柱である。

 今回のダイヤモンド作戦は、三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に対する攻撃である。

“狼”の爆弾にり、爆死し、或いは負傷した人間は『同じ労働者』でも『無関係の一般市民』でもない。

 彼等は日帝中枢に寄生し、植民地主義に参画し、植民地人民の血で肥え太る植民者である。

“狼”は、日帝中枢地区を間断なき戦場と化す。

 戦死を恐れぬ日帝の寄生虫以外は速やかに同地区より撤退せよ。

“狼”は、日帝本国内、及び世界の反日帝闘争に起ち上がっている人民に依拠し、日帝の政治・経済の中枢部を徐々に侵食し、破壊する。

 又、『新大東亜共栄圏』に向かって再び策動する帝国主義者=植民地主義者を処刑する。

 最後に三菱をボスとする日帝の侵略企業・植民者に警告する。

 海外での活動を全て停止せよ。

 海外資産を整理し、『発展途上国』に於ける資産は全て放棄せよ。

 この警告に従う事が、これ以上に戦死者を増やさぬ唯一の道である』(一部改定)


 翌年、テロ組織は、別件で逮捕された後、死刑判決を受けたが、一部は国外逃亡し、一部は、死刑執行を待たずに病死する等、その末路は様々だ』(*1)

 ―――

 又、存命中の死刑囚も居る為、半世紀近く経つが、事件はまだ完全に終わっていない。

 死刑囚が全員死ぬまで、遺族の心の区切りは、つかないであろう。

 当時の事件直後の様子は映像に残っており、資料によっては、遺体が確認出来る。

 目を覆うばかりの惨状が広がり、まさに戦場であった。

 平和な日常が突如、奪われた遺族。

 人生を突然、第三者によって終わらせされた犠牲者にとって、理不尽であった事は言うまでも無い。

「……」

 俺が静かなのを心配したシーラが、袖を引っ張る。

 言葉こそ、発さないが、「大丈夫?」と。

「ん? ああ、大丈夫だよ。さ、食べ様」

 心の中で合掌した後、俺は皆と一緒にタピオカを楽しむ。

 かつて、死傷者で大パニックになった場所で、平和を謳歌するのは複雑な感情であった事は言うまでも無い。


 日本では赤軍の残虐な私刑リンチ事件以降、その支持は全盛期と比べると無い。

 与党は、タイやインドネシアにある様な反共法の成立を目指している。

 トランシルバニア王国も又、その2か国の様な反共法が、存在する。

 然し、王族なのに共産主義に嫌悪感を抱かない者も居る。

 エドワード8世が、その代表例だろう。

 彼は、その気さくな人柄から、

・イギリスの王族で初めてラジオに出演

・高級料理店で食事中、入店拒否されたオーストラリア軍の兵士達を目撃し、彼等を自分の机に座らせ全員分奢る

 等の逸話から、英国民から人気を集めた。

 もっとも、オックスフォード大学在学中に『赤旗の歌』を歌った(*1)のは、王族として相応しくないだろう。

 本人的には若気の至りだったかもしれないが、共産主義が台頭していた時代には拡大解釈され、広告塔として利用される可能性もある為、非常に危険な行為と言わざるを得ない。

 そんなエドワード8世の様な、王族がトランシルバニア王国に居た。

「妾の子、か……」

 ―――エリザベート(111)。

 オリビアとは、遠縁に当たる人物だ。

 今年で皇寿こうじゅを迎えた彼女は冷戦期、ロンドンから共産政権と交渉に当たっていた民主派の代表者である。

 然し、その身は、人種差別主義者レイシストであり、共産主義者コミュニストであった。

 転向したのは、ロンドン滞在中にケンブリッジ5人組ファイブと肉体関係を結んでいた為。

 ———

【ケンブリッジ5人組】(*1)

 戦間期から1950年代にかけてイギリスで活動したソ連のスパイ網。

 暗号名から少なくとも5人のスパイが存在したことが判っており、そのうち4人は、

 キム・フィルビー  (暗号名:スタンレー 1912~1988)

 ドナルド・マクリーン(暗号名:ホーマー  1913~1983)

 ガイ・バージェス  (暗号名:ヒックス: 1911~1963)

 アンソニー・ブラント(暗号名:ジョンソン 1907~1983)

 残りの1人は、

 ジョン・ケアンクロス(暗号名:リスト   1913~1955)

 と見られている。

 5人とも1930年代にケンブリッジ大学で学んだことから「ケンブリッジ5人組」と呼ばれる。

 彼らのリクルートは諜報史上、外国情報機関による最も成功した例と言われ、ロシアでは「大物5人組」と呼ばれた(*2)

 ———

 要約すれば、色仕掛けハニートラップに引っかかってしまったのだ。

 オリビアの写真を裁断機で処理する。

 エリザベートは、オリビアを嫌っていた。

 無論、この世には居ないシルビアも。

 民主派の代表者は、自分であったのにも関わらず、人気はシルビアに奪われたからだ。

 理由は、恐らく年齢だろう。

 1910年生まれのエリザベートは、東欧革命が起きた時、79歳。

 長老として敬意を払われても、《学民の女神》程の人気は無かった。

 民主派の女神になる為には、エリザベートは、老い過ぎていた。

 フランス革命を描いた『民衆を導く自由の女神』でも分かる様に、指導者は、時に若さも求められるのであろう。

 又、エリザベートは、失言が多く、国民から老害扱いもされている。

 アフリカ人女性に対して、「貴女は、女性ですか?」と質問したり。

 東洋人に向かって、「目が細いのは、寝易いですね」と冗談を飛ばしたり。

 犯罪が起きれば、「これは、外国人の仕業に違いない」と公言したり、と。

 その質の低さが、問題視されている。

 その為、王政復古後、王族会議により、強制的に隠居されたのは、言う迄も無い。

(……私を認知症扱いにしたシルビアの娘……アビェジヤーナの国で死ぬが良い)

 実際には認知症の一つ、ピッグ病と診断されたのが理由なのだが、その易怒いど性から、エリザベートは自分の異常性に気付いていなかった。

 自分よりも若く、美しく、人気者なシルビアが早逝した時は、高笑いしたものだ。

 性格の悪い者が長生きし、国民から人気のある者が早死にする。

 何とも不条理な現実であろう。

「ブルーノ」

「は」

 アフリカ系の男性が、跪く。

 屈強な格闘家を彷彿とさせる彼は、元フランス外人部隊で活躍した軍人だ。

 名前は、偽名で『アーサー王物語』に登場する円卓の騎士から、エリザベートが名付けた。

「あの女を殺して」

「異国の地の為、経費がかかりますが?」

「年金から出すから大丈夫よ」

 腐ってもそこは、王族。

 資金面では、何も問題無い。

「何? それとも契約を打ち切る?」

「い、いえ、そんな事は……」

「だったら、ビビらず、私の言う事を聞きなさい。それが、貴方の生きる術よ」

「……」

 アフリカ系を蔭で「怠け者」やNワードで蔑視するこの女を、ブルーノは、内心嫌っていた。

 セシル・ビートンの言葉を借りれば、エリザベートは、ウォリス・シンプソン以来の「愛嬌のあるブス」であろう。

 尤も、口が裂けても言えないが。

「では、実行に移らせて頂きます」

「吉報を待ってるわ」

 ブルーノは、下がりつつ考えた。

(あの王女には、確か、日本人の若いのが、許嫁に居たな。奴も殺した方が良いだろう。一緒に逝かせてやる)

 恨みは無いが、こちらとしても仕事だ。

 2人に同情はしつつも、ブルーノは金の為に割り切るのであった。


[参考文献・出典]

 *1:ウィキペディア

 *2:『ケンブリッジ・シックス』チャールズ・カミング 早川書房 2013/01/15

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