第40話 シティ・オブ・レッド

 シャロンが貴族になっても俺同様、王位継承権は発生しない。

 サラエボで散ったオーストリア大公妃のゾフィー・ホテク(1868~1914)が、家柄を理由に敬称を名乗るうことを許されず、その子供に王位継承権が無かったように。

 トランシルバニア王国は、今でも猛烈な階級社会が残っているのだ。

 平民である俺を貴族にしたのも、王族が結婚出来る最低限の階級にした上で許嫁にする為である。

 その点、日本やイギリスは、進んでいる。

 皇族(王族)と平民が、結婚出来るのだから。

「貴族になっちゃった♡」

 貴族用の冠を被って、シャロンは上機嫌。

 今にも外に出て見せびらかさん勢いだ。

『馬鹿ね。それが通じるのは、あの国だけよ』

 ナタリーの綺麗な突っ込み。

 俺が淹れたブラックコーヒーを『不味い』と言いながら飲んでいる。

 何しに来たの?

「……」

 シーラは、相変わらず無口だ。

 然し、ずっと俺の傍に居る。

 俺が肩を回せば揉んでくれるし、欠伸をしたらココアを出してくれる。

 命令もしていないのだが、非常に気が利く部下だ。

 本当にADHDなのか疑わざるを得ない程、優秀だ。

 狙撃手ではなく、秘書官で良いのではないだろうか。

『共和制の国民が、貴族とは笑えるわね』

「二重国籍みたいな物よ」

 シャロンは、笑顔で俺の頬に接吻。

 そのまま、唇を重ね合わさん勢いだ。

「パパ、今日暇?」

「日曜日だからな」

 キリスト教徒なら教会に行く予定があるかもしれないが、生憎、俺達は無神論者だ。

「じゃあ、デートに行こう」

「デート?」

「うん。親子で。それとも、恋人同士が良い?」

「……行くよ」

 シャロンに恋人が居たら、俺はそいつを殺してしまうだろう。

 束縛かもしれないが、他の男性に取られたくない。

「どこ行く?」

「タピオカ飲みたい」

「分かった。奢ろう」

「やったね♡」

 シャロンは、腕に抱き着いた。

「シーラも行くか?」

「……」

 頷いて、俺の袖を摘まむ。

「そうかそうか。ナタリー―――」

『パス。人混みは、嫌いだから』

「了解」

 後は、司とオリビアを誘わなければならないだろう。

 婚約者と許嫁をないがしろにしたら、後が怖い。

「じゃあ、準備してくれ」

「は~い♡」

「……」

 

 煉達が出て行った後、

「……良かったんですか?」

 ライカが、ナタリーの前に紅茶を置く。

『ありがとうございます。デートの事ですか?』

「はい」

『隊長こそ、良いんですか? 護衛しなくて』

「少将の方が強いですから」

 ライカは、にっこり。

 見た所、煉に敬意を払っている様だ。

「少将の事が、お好きなんですよね?」

『……多分ね』

 紅茶を一口。

 ドイツ人とドイツ系。

 2人は、親友の関係性だ。

 同じ国に出自を持つ同士、早々と馬が合ったのである。

「……」

『あの人の私的には、関わらない。今の状態でも幸せだから』

「……」

 性被害に遭って以降、ナタリーが心を開いた数少ない男性―――それが、北大路煉。

 一緒に居るだけで居心地が良いのは、もう好意と言っても差し支えないだろう。

『良いんですか? 引き裂かなくて?』

「殿下が気付かなければ良いでしょう」

『隊長は?」

「私? 尊敬していますよ。恋とは別ですが」

『そうなの?』

「殿下の旦那様ですからね。横恋慕は、出来ませんよ。あっても」

『……』

 非常に意味深な言葉だ。

 ライカは気付いていないが、ナタリー同様、無意識では好きなのかもしれない。

『貴国は、一夫多妻なんですか?』

「いえ。但し、側室は、黙認されています。女性も男性を囲って良いんですよ」

『キリスト教国なのに?」

『はい。共産政権の時代に一夫一妻制は、崩れましたから』

 独裁者は、自分が法なのだから、一夫一妻制だろうが、無関係に愛人を作る事がある。

 スターリンには、三度の結婚歴はあるが、愛人は沢山居た。

 トランシルバニアの共産党のVIPもスターリン主義者達であった為、彼の真似をして沢山の愛人を作った。

 教会も徹底的に破壊した為、キリスト教が、掲げる一夫一妻制は崩れ、今はもう無い。

「ここだけの話。殿下も愛妾の子供なんです」

『……そうでしょうね』

 オリビアの王位継承権の話は、聞かない。

 王女という高位者にも関わらず、護衛は、親衛隊のみ。

 トランシルバニア王国の事。

 一個師団位の近衛兵が24時間365日一緒に居ても可笑しくは無い。

 親衛隊も練度は高いものの、近衛兵に比べると、やはり、その質は劣るだろう。

「殿下は、愛に飢えているんです。王室ではかなり下の地位にありますから」

『陛下のご息女なのに?』

「民主化の際、アメリカ人との関係が疑われましたからね。あの後、大変でした。貴賤結婚を疑われ、その際、王位継承権から外されたんです」

『……』

 ―――

 サラエボで散った皇妃、ゾフィー・ホテク(1868~1914)は、ボヘミアの伯爵家出身でテシェン公爵家の当主フリードリヒ大公の妻イザベラ大公妃の女官であったが、フランツ・フェルディナント大公と恋に落ちる(*1)。

 然し、彼は数少ない皇位継承者であった(ハプスブルク家傍系の大公はテシェン公を含めて数多く居たが、皇帝フランツ1世の男系子孫の男子は限られていた。*1)。

 ゾフィーは伯爵家出身とは言え、皇家から見れば到底釣り合う様な身分ではなく、大公と彼女との結婚は周囲から猛反対を受ける(*1)。

 最終的にゾフィーが皇族としての特権を全て放棄し、将来生まれる子供には皇位を継がせない事を条件に結婚を承認された(*1)。

 結婚式後もゾフィーは冷遇され続け、公式行事においては幼児を含む全ての皇族の末席に座ることを余儀なくされた(*1)。

 それ以外の公の場(劇場等)でも、夫たる大公との同席は許されなかった(*1)。

 又、「大公妃」の称号は許されず、代わりに「ホーエンベルク公爵夫人」(この場合は女性の公爵)の称号が与えられた(*1)。

 ゾフィーの死後に長男マクシミリアンが公爵位を継いだ(*1)。

 ハプスブルク家の家憲で貴賤結婚が禁じられていた為、ゾフィーに対して皇族としての「殿下」の称号は絶対に許されなかった(*1)。

 又、葬儀でも夫の棺より45cm低い位置に棺が並べられた(*1)。

 それでもゾフィーは、生前公の場では笑顔で応じていた、とされる(*2)。

 ―――

 同じ貴賤結婚でも、勘違いしている悪妻とはえらい違いだろう。

「その後は、臣籍降下を狙うも失敗し、酒浸りの生活を送り、早逝されました」

『……裏歴史ですね』

 王室の公文書には、とても残せない内容だ。

 煉が、知らなかったんも、無理はない。

『……殿下の父親は?』

「人工授精で妊娠されました。シルビア様は、ブラッドリー様以外との男性と子作りする事を拒んだ結果です」

『……』

 ―――

 人工授精なら、相手の素性を知らないで子作り出来る(*3)。

 日本でも規定により、精子の提供者を知る事は出来ない(*3)。

 又、提供者自身も、どの夫婦に使用されたかは、知る事も出来ない(*3)。

 ―――

 要は、臓器提供と同じだ。

 オリビアは、本当の父を知らず、又、実の母ともそれ程長くは居られなかった。

 その上、王室には味方が居ない。

 シルビアが好意を抱いていたブラッドリーを頼るのは、当然の事だろう。

 婚約が破談になっても前向きに拘るのは、当然と言え様。

「親衛隊の多くも、《チャウシェスクの落とし子》の我々を厚遇して下さる王族は、殿下だけです」

 ―――

 1966年、ルーマニアはチャウシェスク政権は人口を増やす為、人工妊娠中絶を法律で禁止とした(*4)。

 妊娠中絶は42歳以上の女性、もしくは既に4人(後に5人に変更)以上子供を持つ母親のみ例外的に許された(*4)。

 ルーマニアでは5人以上子供を産んだ女性は公的に優遇され、10人以上の子持ちともなると「英雄の母」の称号を与えられたが、殆どの女性は興味を示さず精々子供2~3人程度がルーマニアの平均的な家庭であった(*4)。

 又、秘密裏に行われた妊娠中絶の結果、障害を負った女性、或いは死亡する女性も少なくなかった(*4)。

 チャウシェスクは上昇傾向にあった離婚率にも目を付け、離婚に大きな制約を設け一部の例外を除いて禁止した(*4)。

 1960年代後半までに人口は増加に転じたが、今度は育児放棄によって孤児院に引き取られる子供が増えるという新たな問題が生じた(*4)。

 これらの子供は十分な栄養も与えられず病気がちとなり、更に子供を死なせた場合にはその孤児院の職員の給与が減らされる為、無理な病気治療の一つとして大人の血液を輸血され、エイズに感染する子供が激増した(*4)。

 こうした人口政策で発生した孤児達は《チャウシェスクの落とし子》と呼ばれ、ストリートチルドレン化する等、後々まで深刻な社会問題となった(*4)。

 報道ではストリートチルドレンは最大で1万人強居たとされるが、この政策に影響を受けた1967年からの3年間で40万人強の人口が増えており、1人当たりの育児費用は減ったとみられるものの、大半が成人を迎えているのも事実である(*4)。

 又、同程度の経済状況であった隣国、ブルガリアと比べても失業率は一貫して低く、雇用の担い手となっているのもまた事実である(*4)。

 又、《チャウシェスクの落とし子》が40歳を迎えたリーマンショック前年の2007年迄の10年間のGDP伸び率は、隣国のブルガリアやハンガリーと比べても突出して高く、所謂、人口ボーナスの状況だった可能性もある(*4)。

 ―――

 トランシルバニア王国は、ルーマニアと同じ様な問題を抱えていた。

 社会から弾き出された彼女達を、オリビアは、積極的に採用しているのだから、シーラの様な仕事が出来ない狙撃手でも、簡単には、解雇されないのだろう。

「我々は、殿下一代にしか仕えません。お隠れした際も殉死する覚悟は出来ています」

 ニコリと微笑むライカ。

 その忠誠心の高さにナタリーは、言葉を失うのであった。


 後日、BND連邦情報局CIA中央情報局に報告書が送信される。

『オリビア王女に付き従う親衛隊は、寡婦殉死サティーの様な殉死が行われる可能性が高い、危険な組織である』

 と。


[参考文献・出典]

*1:『ハプスブルク家の女たち』江村洋 講談社現代新書

*2:『その時歴史が動いた』王宮の恋・サラエボに散る 〜世界大戦を招いた暗殺事件〜 2002年2月6日 NHK

*3:日本産婦人科学会 HP

*4:ウィキペディア

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