第32話 Mer hahn en neue Oberkeet
現在の日本最高の名医である北大路皐月が、すんなり、ルー・ブラッドリーを受け入れたのは、煉の説得だけが理由ではない。
「……」
皐月は、寝台で泣いていた。
前夫が夢に出て来たのだ。
「……あなた」
恋焦がれる。
寡婦になって数年経った今でも思う。
「……」
涙目で近くに置いていた遺影を抱き締める。
前夫は自衛官であったが、家庭では良き夫で、家事や育児を率先して手伝ってくれた。
そんな前夫を、皐月は心から愛し、司の育児が一段落した頃に第二子の子作りを計画していた程だ。
然し、今は居ない。
どれだけ皐月が傷付き、落ち込んでも、遺影の中で笑うだけである。
「……」
遺影を抱擁しつつ、皐月は引出から、ある論文取り出す。
それは、遺影と共に皐月が心底大事にしているものであった。
―――『ポロック家の双子』という話を御存知だろうか?
これは、「世界で最も信頼に足る
―――
『1957年、英で女性が交通事故を起こす。
彼女は大量の薬品を摂取していて、意識は朦朧状態にあった。
又、養育権を巡る裁判に敗れて、2人の子供を失ったばかりだった。
事故後、母親は精神病院に収容されたという。
この事故は、3人の子供———ジョアンナ(11)とジャクリーン(6)の姉妹とそのの友人が死亡。
事故から数か月後、件の女性は妊娠した。
夫は「生まれかわりの双子」と固く信じた。
そして、1958年、女性は一卵性双生児子———ジェニファーとジリアンを出産した。
暫くして両親は亡き姉妹の生まれ変わりだと信じるようになる。
・ジャクリーンとジェニファーに共通する額と腰の痣
・玩具の名を知る双子
・亡き姉妹が通った学校や公園を懐かむ』(*1)
―――
司には言っていないが、前夫が死んだ後、皐月は、喪中の間、前夫に似た男児を探す為、養護施設を訪ね回った。
彼女の生き甲斐が夫だったから。
そして、煉を見付ける。
当時6歳。
おどおどした弱気な様子が、付き合っていた当時の前夫を思い出させ、更には、風貌も義母から受け継いだ前夫の幼少期と何処となく似ていた。
善意ではなく、一目惚れ。
要約すれば、皐月は、「寡婦になった悲しみからショタコンになっちゃった女医」とも解釈出来なくはない。
(……煉)
毛布を被り、愛息を想う。
そして、二度寝に努めるのであった。
皐月の不安は、まだある。
煉を救う為に作った借金だ。
「……どうしよう?」
電卓に表示された数字を見て悩む。
医者とはいえ、これだけは払えない。
煉も副業で稼いでいる様だが、2人合わせても難しいだろう。
又、煉には頼りたくない。
彼には、彼の人生がある。
それを自分が作った借金で背負わせるのは、好ましくないのだ。
「先生も大変ですね?」
ライカが、お茶を置く。
「大変よ。全くもう」
借金の原因たる親衛隊を責めることは無い。
彼女達も又、命令を守っただけ。
悪いのは、オリビアである。
もっと、彼女も純粋で、実母から受け継がれた愛情を煉に向けている。
前夫の代わりに煉を養子にした自分が責めるのは、遠回しに自分を批判している様に感じられる為、出来ない。
まさに八方塞がりだ。
「……ライカちゃん、殿下ってどんな人?」
「と、言いますと?」
ライカは、目の前の椅子に座った。
2人は、敵対関係から親友の様になっていた。
礼儀正しく、誰にも敬うライカを嫌う者は居ないだろう。
親衛隊内部でも、彼女を悪く言う人は、話を聞く限り居なかった。
無論、上司を仕事中に悪く言う部下は、流石に居ないだろうが。
ライカも又、皐月に好感を覚えていた。
自己破産しても可笑しくない借金を作っても、養子を救出したのだ。
敬意を払うに値する人間だろう。
親衛隊の専属の軍医に欲しい位だ。
「いや、恋愛に一生懸命なのは、分かるけども普通さ。言い伝えだけで惚れる何て、前代未聞だから」
「あー……そうですねぇ」
ライカもその点については、同意せざるを得ない。
「殿下は昔から、絵本に憧れていたんです。勇者が颯爽と現れ、国を救う英雄譚を」
「……」
「我が国には、映画の所謂、『白人の救世主』の様な救いを求める国民性があります。我が国の歴史に詳しければ分かるでしょうが、国民は、独力では、時の為政者を倒す事は出来ないのです」
トランシルバニア王国は、歴史上、
・ローマ帝国
・ロシア帝国
・ナチス
・ソ連
など、沢山の国々に支配された歴史を持つ。
その度に国民は弾圧され、政権の敵である勢力と手を組み、政権を倒した。
直近では、ナチスを倒す為にソ連と手を組んだものの、そのソ連がナチス並の独裁国家であった為、結局、冷戦末期、アメリカの支援を受けた。
独力で大国に勝った事が無いのが、絵本に現れた結果が、外国人の救世主に好感を覚える国民性なのかもしれない。
「又、我が国には、『
「『ジョヨボヨ王の予言』の様な?」
「そうですね」
それは、インドネシアに伝わる伝承だ。
-――
『我等の王国は白い人々に支配される。
彼等は離れた所から攻撃をする魔法の杖を持っている。
白い人々からの支配が長く続くが、空から黄色い人がやってきて白い人々を追い払ってくれる。
この黄色い人も我等の王国を支配するが、玉蜀黍の寿命と同じ位の期間しか居ない』(*2)
―――
12世紀、東ジャワを支配した国王の予言だ。
奇しくもこれは、当たり、インドネシアは、オランダに350年間支配される事になる。
そして、1942年3月1日、ジャワ島に上陸した日本軍をインドネシア人は熱狂的に歓迎し、オランダからの解放を祝ったという。
そして、戦後、再び、オランダがインドネシア支配に乗り出すも、この時、インドネシアは、元日本兵と共に戦い、独立を勝ち取った。
「トランシルバニアにも同じような伝説があったとは」
「モンゴル帝国の影響ですかね」
「? あの国が、どう貴国と関わるの?」
「1240年、モンゴル帝国がポーランドに攻め込みました」
―――
『1240年、モンゴル帝国は、ポーランドに侵攻。
1241年4月9日、ワールシュタットの戦いで、その最強さを遺憾なく発揮した。
まずは、前衛の騎士を軽装騎兵で蹴散らす。
前衛の騎士は後詰めの騎士と共に態勢を建て直す。
すると、モンゴル軍は中央の軽装騎兵を偽装撤退させて連合軍の主力である騎士団を誘い込み、両翼の軽装騎兵による騎射で混乱に陥れた。
そして騎士団の背後に煙幕を焚いて後方の歩兵と分断すると、完全に混乱状態にある敵軍をモンゴルの重装騎兵が打ち破った。
煙幕の向こうに居た歩兵は逃げ惑う騎士とそれを追うモンゴル軍の姿を見ると、恐怖に駆られて敗走した』(*3)
―――
逃げるドイツ・ポーランド連合軍をモンゴル軍は容赦なく追撃して、夥しい数が殺戮された。
この戦闘により、当時のポーランドの王朝であるピャスト朝(960年頃~1370)の大公、《敬虔公》ヘンリク2世(1196~1241)が戦死。
《肥満公》ことミェシュコ2世オティウィ(1220頃~1246)も敵前逃亡した。
結果的に欧州が、モンゴル帝国の一部になる事は無かったが、この出来事が後の黄禍論に繋がる契機になったとする説がある程、欧州には衝撃的な出来事であった。
「この時、我が国はローマ帝国に支配されていたのですが、戦争でローマ帝国の力が弱体化した事により、モンゴル帝国を救世主と見て、反乱が起きたんですよ」
「成程。貴国が、欧州で最も東洋に好意的なのは、それが契機なのね?」
「そうです。日本は我が国の友好国です」
日本は、1990年代初頭、トランシルバニア王国に
戦前は、当時の仇敵であるロシア帝国を打ち破った輝かしい経歴もある。
親日国になるのは、当然か。
「殿下は、ご存知の通り、
「……分かったわ」
オリビアの笑顔を思い出しつつ、お茶を飲む皐月であった。
[参考文献・出典]
*1:exciteニュース 2014年8月26日 一部改定
*2:『パラタユダ』
*3:『戦闘技術の歴史2 中世編』 株式会社創元社 2009年
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