第28話 アルゴナウタイ
大使館から追い出された司とシャロンは、ナタリーと皐月と合流する。
「まさか、王族が罪を犯すとは」
「先生、王族でも人間なんだよ。南欧の王様だって資金洗浄で亡命する位だから」
愛しい人と離れ離れになった司は、煉の等身大人形を抱き締めつつ、言う。
「煉が王族に見初められているとはね。流石、私の子供だわ」
『養子でしょ?』
何故か楽観的な皐月と、それを冷静沈着に諫めるナタリー。
2人も又、良いコンビの様だ。
「お母さん、悠長だね? たっ君が拉致されているのに」
「全然心配しているのよ。これでも」
と言いつつ、皐月は珈琲を飲む。
大使館は、治外法権。
2015年の映画でも、日本の司法が外国の大使館に及ばなかった。
法律家でも政治家でもない一介の医師が、外交特権の壁を乗り越えることが出来ない。
日本政府も、親日国の感情を悪化させる様な真似はしたくない。
現に、クルド人問題については、日本は一貫してトルコ側に立っている。
2002年の北朝鮮人亡命者が瀋陽の日本総領事館に亡命しに駆け込んだ時も、当時の外交官は中国に友好的な立場を採り、国際社会から非難を浴びた。
人権よりも外交関係を優先するのが、日本政府の姿勢だ。
戦前はポーランド人孤児やユダヤ人保護を行った好例はあるものの、今は色々と難しいのだろう。
「まぁ、ここは、私に任せておきなさい」
「おばあ様、何か
「シャロンちゃん。一回りも違わないのにそれは、ショックよ。親子の縁、切ろうかしら?」
「御免なさい!」
北大路家のボスは、皐月だ。
煉の事情を考慮し、シャロンも又、家に加えた。
この為、
世帯主:皐月
長女 :司
長男 :煉(=ルー・ブラッドリー) *養子 皐月より年上。
次女 :シャロン・ブラッドリー *養子 ルーの娘。
と、訳の分からない家系図になっている。
謝るシャロンの無視して、皐月は、ナタリーを見た。
「で、貴女は煉が好きなの?」
『全然。ただの
「そう……貴女に協力して欲しいの。ハッカーなんでしょ?」
『自分の出来る範囲内ならば……』
「期待しているわよ」
司の母親らしく、皐月は娘に似た笑顔を見せるのであった。
大使館に軟禁中の俺は、用意された部屋で過ごしていた。
「……」
オリビアの趣味なのか。
白と桃色を基調とした壁紙やカーテンに、
天井には、シャンデリアと、まるで
所謂、『姫様系』というやつなのかもしれない。
生憎、この手に疎い俺には、何の事かさっぱりだ。
扉がノックされ、メイドが入って来る。
「……」
「何よ?」
不満顔のメイド。
秋葉原で見る様な恰好をしたのは、ライカであった。
見た目が男性っぽいので、異性装に見える。
が、口には出さない。
帯刀したメイドを怒らせたら、命の危険が伴う。
ただ、日本は貴重な国だとも思う。
———
『女は男の着物を着てはならない。
また男は女の着物を着てはならない。
あなたの神、主はその様な事をする者を忌み嫌われるからである』(*1)
———
とある様に、『旧約聖書』を聖典(啓典)に含めるユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信奉する国々や地域では、戒律違反に抵触しかねない。
イスラム法を重んじるイスラム国家では、異性装が犯罪にもなりえる場合もある。
それを考えると、日本は歌舞伎役者が女形を、歌劇団が男役を演じたりするのが、認められている為、世界屈指の異性装に寛容な国と言えるだろう。
ライカは帯刀したまま、
「失礼します」
と俺の前にお
顔を拭け、という意味だ。
まるで王族になった気分だが、正直な所、このくらいは自分で出来る。
「……水洗い派なんだけど?」
「ああ?」
ギロリ。
ひでえ。
こいつ、睨みやがった。
曲がりなりにも、王女の婚約者。
皇太子になるかもしれないのに、不敬が過ぎる。
以前、拘束したのを根に持っているのかもしれない。
「『郷に入っては郷に従え』ですよ」
「……分かったよ」
渋々、お絞りで顔を拭く。
大使館の食事は、基本的に料理人が作る。
もっとも家族が居る人は家族が作った物を食べたり、時間が無い人は、近くのコンビニで買ってきてさっさと済ます者も居る為、全員が同じ物を食べる事は殆ど無い。
オリビアと親衛隊は、料理人派だ。
コンビニを利用したい所だが王族なので、コンビニは勿論の事、ファーストフードも気軽に行く事は出来ない。
トランシルバニア王国は北欧に属する為、言わずもがな料理も北欧料理と同じだ。
魚は鮭が。
肉はベーコン等、豚肉が多く使用される。
湖や森など、自然豊かの為、木の実や茸類、その他じゃが芋を使ったお料理が多いのが特徴だ。
焼きものや煮込み物等も多く、都内でもその専門店が多い。
机上に並ぶのは、
―――
『・「ミートボール」 スウェーデン
・「ヤンソンの誘惑」 スウェーデン じゃが芋を使ったグラタン。
・「ハッセルバックポテト」 スウェーデン
・「鰊の酢漬け」 スウェーデン
・「ラックスプディング」 スウェーデン グラタン料理
・「茸のクリームスープ」 フィンランド 茸をたっぷりのクリームスープ
・「茸のキッシュ」 フィンランド 茸のパイ
・「サーモンソテー」 ノルウェー
・「フィッシュスープ」 ノルウェー 北欧圏定番の人気の魚汁
・「スモーブロー」 デンマーク オープンサンドイッチ』(*2)
―――
俺には、1989年以来の北欧料理だ。
「おお……」
32年ぶりの料理に俺は、静かに感動していると、
「「「……」」」
オリビア達は目を閉じ、朝食前の礼拝が始まった。
「「「神様、お早うございます。昨晩、
私共から災禍から守って下さり、こうして爽やかな朝を迎える事が出来感謝します。
どうか、今日も私共を御守り下さい。
又、私共の言行、思いを御清め下さい。
私共の家族、友人の上にも神様の守り、導き、祝福が豊かにありますように導いて下さい。
「……」
再び懐かしさを感じる。
1989年の時も民主派は、こうして祈っていた。
日本でもキリスト教が弾圧されたが、存続出来た様に冷戦下でも、キリスト教はトランシルバニアの地に深く根付いていた。
ロシア正教もソ連によって弾圧され、弱体化はしたものの、消滅する事は無かった。
アフガニスタンに攻め入ったソ連は、現地のイスラム勢力にも敗れた。
かつて共産主義者が『宗教は麻薬』と称したが、本当に麻薬同様、中毒性があるのだろう。
1分ほど祈祷が行われた後、
「では、頂きましょう」
オリビアの合図により、皆、スプーンやフォークを取る。
そして、食べ始めた。
「勇者様もお食べ下さい」
「有難い。で、俺はいつ解放されるんだ?」
「勇者様が合意して下されば、すぐにでも」
「……意外にそこは、良心的なんだな?」
「良心の自由までは、侵せませんので。我が国は民主主義ですから」
「……そうだな」
イギリスの週刊新聞『エコノミスト』の調査部門である、エコノミスト・インテリジェンス・ユニットが、毎年発表している民主主義指数では、トランシルバニア王国は、2006年の調査開始以来、独裁体制に分類され続け、順位も150代後半から160位前半を行き来している。
以下、2019年の同調査による主要な各国の順位
11位 オランダ
13位 ドイツ
14位 イギリス
24位 日本
25位 アメリカ
28位 イスラエル
31位 台湾
51位 インド
68位 タイ
75位 香港
110位 トルコ
134位 ロシア
143位 キューバ
150位 ベラルーシ
151位 イラン
153位 中国
156位 リビア
159位 サウジアラビア トランシルバニア王国
164位 シリア
167位 北朝鮮
そして、トップ10は、以下の通り。
1位 ノルウェー
2位 アイスランド
3位 スウェーデン
4位 ニュージーランド
5位 フィンランド
6位 アイルランド
7位 デンマーク カナダ
9位 オーストラリア
10位 スイス
順位を見ると判る通り、北欧が上位を占め、旧東側陣営が下位に多い。
民主主義の代表国であるアメリカが日本の一つ下なのは、興味深いだろう。
この順位でトランシルバニア王国は、目の敵にしているロシアは勿論の事、内戦中のリビアよりも下な時点で、その度合いが分かるだろう。
然し、サウジアラビアの様に国民の多くは、現在の体制を支持している。
生活も不満ではない。
独裁国家と非難されても、国民が裕福なのだから、無理に政治体制を変える必要は無いのだ。
「殿下、考え直して下さいませんか? 自分は既に婚約者が居り、娘も居ます。これ以上の事は、お互いにメリットが無いかと」
「メリットの問題ではありませんわ」
オリビアは、優雅に紅茶を飲んだ後、
「本心ですので」
「え?」
「一度生まれた以上、後悔したくないんですよ。母上も最後は、父上より勇者様の事を想っていましたわ」
「……」
「勇者様には、生活に苦労させません。私の想いを理解して下さいまし」
朝食を中断し、オリビアは抱き着く。
比較してはいけないが、司よりも胸がある。
体のラインも出来ている。
不倫を肯定する訳ではないが、こんな美少女に迫られたら、どんな既婚者でも、耐えるのは難しいだろう。
「……ありがとうございます」
軟禁されて以降、オリビアが純粋なのは判って来た。
出逢った当初の嫌悪感は無い。
恐らく、ストックホルム症候群なのかもしれない。
司と離れ離れになって以降、彼女の代わりにオリビアの存在感が大きくなっている。
司を大切にしたいのだが、オリビアもそれに次ぐ位だ。
若しかしたら、これも計算されているのかもしれない。
疑心暗鬼が俺を包む。
その時、
「殿下、お客様です」
慌てた様子でライカが、やって来た。
朝のメイド服ではなく、親衛隊の制服を着て。
「こんな朝から?」
「はい。北海油田に関する事で。大使が入館を特別に許可しました」
「?」
予約無しにこんな朝っぱらから客人が来る事は先ず無い。
オリビアが不思議に思っていると、
「失礼するわよ」
食堂に黒服を着た見知った集団が現れる。
全員、女性。
先頭は皐月で、次にシャロンと司が続き、最後尾はナタリーという布陣。
「何よ? 貴女達?」
「御食事中、失礼します。極東興産の北大路皐月です」
「極東興産って―――」
「ええ」
皐月は、妖しく笑む。
極東興産は、アジア最大の石油メジャーだ。
日本の民族資本の会社の一つであり、
トランシルバニア王国の石油採掘に大きく関わっており、王室との関係が深い。
「この度、株式の51%を買い、筆頭株主となりました。以後、お見知り置きを」
「「「……」」」
親衛隊は睨みつけるも、手は出せない。
相手は、経営者。
機嫌を損ねば、北海油田から撤退する事も考えられる。
「……CEOは、勇者様を助けに来た訳?」
「そうです。それとも映画
「……これで対等と思わないわ」
俺をオリビアは力強く抱き締める。
「「……!」」
『……!』
後ろの3人の眉根が痙攣していて、非常に怖い。
「政治は数であり、数は力、力は金ですよ。殿下」
田中角栄の名言を引用しつつ、皐月は笑顔で座るのであった。
[参考文献・出典]
*1:『旧約聖書』「申命記」22章5節
*2:マカロニ 食からはじまる、笑顔のある暮らし。『北欧料理ってどんな料理?おしゃれにキマる定番の北欧料理10選』 2019年9月27日 一部改定
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます