私達は希望という名の列車に乗った

第21話 New World Order

 昭和64/平成元(1989)年。

 この年は、まさに歴史の大転換期であった。

 まずは1月7日に昭和天皇が崩御され、64年もの長きに渡って続いていた昭和が終わり、翌日、新時代・「平成」が始まる。

 日本以外でも歴史が動いていく。

 1月18日 ポーランドにて反共組織「連帯」合法化決定

 2月2日 ソ連、アフガニスタンから撤退開始(15日、撤退完了)

 3月26日 史上初のソ連人民代議員大会議員選挙にて共産党敗北

 5月2日 ハンガリー政府、オーストリアとの国境にある鉄条網撤去着手

 6月4日 天安門事件

 8月19日 ハンガリーで汎欧州ヨーロッパ遠足ピクニック開催

     →約600人の東独市民が墺経由で西独へ亡命

 10月7日 ハンガリー社会主義労働者党、ハンガリー社会党への改組を決定

      一党独裁政党としての歴史に終止符を打つ

 10月17日 東独にて、ホーネッカー失脚

 10月23日 ハンガリー人民共和国が社会主義体制を完全に放棄→共和化

 11月9日 東独、市民のベルリンの壁を含む国境線通行自由化

 11月10日 ベルリンの壁崩壊

      ブルガリアでジフコフ失脚

 11月24日 チェコスロバキアでビロード革命

 12月1日 東独、改憲(ドイツ社会主義統一党による国家の指導条項削除)

      →一党独裁制終焉

 12月3日 マルタ会談

 12月22日 ルーマニア革命

 ……

 バブル景気に浮かれていた日本は、対岸の火事とそれほど興味を持っていなかったかもしれない。

 しかし、1950年代にアメリカの反共主義者が唱えた『ドミノ理論』が、僅か1年の間で共産国を次々と崩壊に導いたのは、まさに世界の国々にとっては大転換期と言わざるを得ないだろう。

 教科書に載っていない、北欧の共産国でも又、民主化の風が吹き荒れていた。

 1989年12月26日。

 街灯テレビの前には、沢山の観衆が集まっていた。

『今、ここにポーランドは歴史的瞬間を迎えました。全国民の力を我が国の為に結集し様ではありませんか』

 ポーランド民主派の指導者の1人、マゾヴィエツキ(1927~2013)のその言葉に国民は、熱心に耳を傾けていた。

 彼等は、ポーランド人ではない。

 それでも、反共を目的に集まった愛国者達である。

『新時代がやって来た。国民の声に基づいて党の政治を再生させよう』

 議長の言葉と共にハンガリーは、民主化を果たす。

『これをもってハンガリー共産党は、社会党と改称します』

 ハンガリーの真摯しんしな態度に観衆は、拍手喝采。

「「「ураウラー!!!」」」

「「「VIVAヴィヴァ!!!」」」

「「「VIVAビバ!!!」」」

「「「VIVEヴィーブ TRANSYLVANIAトランシルバニア!!!」」」

「「「Hochホーホ!!!」

 と、口々に己の出自ルーツでの万歳を叫ぶ。

 次にホーネッカー(1912~1994)が登場すると、ドイツ系住民は、画面に向かってブーイング。

「「「BOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!」」」

  中には、中指を立てたり、卵を投げ付けたりと、憎悪を隠さない者も。

『―――東欧社会は、マルクスの教えに従い、完全に安定しています』

 その言葉にドイツ系住民は呆れ、ロシア系住民等は失笑した。

 東ドイツは共産圏では優等生扱いだが、西側諸国から見ると他の共産圏とそれほど変わりない。


 1989年11月9日夜7時。

 その時、ドイツの歴史が動いた。

『我々は、本日。

 東ドイツ国民の誰もが国境を越えて出国出来る法律を決議しました

 。―――私の知る限りでは即時施行します。直ちにです』

 ……

 ベルリンの壁が崩壊していく様子に、今度は大歓声だ。

『この塀の上で遊べるなんて思っても見なかった! 素晴らしい!』

 と東ドイツ市民のインタビューが流れると、ドイツ系住民は輪になって『ドイツの歌』を大合唱。

 東ドイツの議長が登場すると、万来の拍手だ。

『皆様の真面目な努力の御蔭で歴史に残り決定を成し遂げる事が出来ました』

 ブルガリア系住民も、自国の報道番組を見入っている。

 ブルガリアの新書記長の、

『新たな政治体制を考える時期だ。

 これからの政策の指針を考えよう。

 第一にどうして計画通りに改革が出来なかったのか?

 第二に何故、経済がこれほど深刻な状態に陥ってしまったのか?

 第三に何故、新鮮な発想が出来ないのか?』

 と、同席しているジフコフを暗に責める姿勢に大喜び。

 ジフコフは1968年にブレジネフに自国をソ連の16番目の構成国になる事を非公式に提案したとされる。

 事実ならば、文字通り、売国奴で間違いない。

 最後に平和的な東欧革命に於いて、唯一、流血戦となったルーマニアの映像に切り替わる。

 そこには、つい先日まで独裁者の椅子に座っていたチャウシェスクが演説していた。

 時は、1989年12月21日の事である。

『―――社会主義共和国の都民と同志諸君、集会に参加した諸君や全ての街の諸君の様々な分野での成功を心から願っている』

 映像の中のルーマニア国民は無感情のまま、拍手していた。

 彼らは、動員されただけで、本心から政権を支持している者は少ない。

 一方、視聴者のトランシルバニア国民は皆、薄ら笑いを浮かべていた。

 何故ならこの僅か4日後、チャウシェスクは妻共々射殺され、その様子が全世界に流れるから。

 末路を知っているからこそ、笑いが止まらない。

『―――この素晴らしい大集会を首都で主催した諸君には、感謝している。

 私が思うには……』

 そこで群衆がどよめく。

 参加者がこの5日前に起きたティミショアラでのデモに対し、国家保安局セクリターテが発砲し、多くの死傷者を出した事に対する抗議の為に爆弾を炸裂させたからだ(爆竹説もあり)。

 チャウシェスクとしては、同年の6月4日に起きた天安門事件を参考に、武力で反体制派を弾圧したかったのだろう。

 が、国民は負けなかった。

 混乱は、簡単には鎮まらない。

 爆発音を誤認したチャウシェスクの妻、エレナが叫ぶ。

『誰かが発砲したわ!』

 護衛が狼狽ろうばいするチャウシェスクに囁く。

『中に入って下さい』

 が、独裁者は弱り切った態度を見せ続ける。

『どうしたのだ……? どうしたのだ? 動かないで。もしもし―――』

 護衛が叫ぶ。

『そこを動かないで!』

『もしもし―――』

『そこを動かないで!』

 エレナも対応に当たった。

『静かに! 静かに!』

 テレビカメラは、無人のビルの窓を映し続けたまま、揺れる。

 窓から空に切り替わっても尚、エレナの癇癪かんしゃくは収まらない。

『静かに! 静かに!』

 ようやくチャウシェスクは、強い態度を見せる。

『同志よ! 静かに動かないで! 都民よ―――』

『同志よ! 戻りなさい!』

『お黙りなさい!』

 護衛が気を遣ったのにも関わらず、エレナのこの返し。

 大統領夫人ファーストレディーに不相応な、礼儀に欠いた行為だろう。

 演説が再開される。

『再び強調したい!

 我が国の独立、誠実さ、主権の為、強さと団結を示す必要がある事を!』

 一つずつ突っ込むが、まず、ルーマニアは独立国とは言い難い。

 ソ連の従属国であるから。

 次に誠実さという単語にルーマニア系住民は、鼻で笑う。

 1947年12月30日、ルーマニアの国王は共産軍に囲まれながら、事前に用意された退位文書に署名し、亡命を余儀なくされた。

 と、同時に共産政権が樹立したのだが、この経緯の時点で既に誠実とは言いにくい。

 三つ目の主権だが、これは共産政権の主権であって、国民主権ではない。

・堕胎及び離婚の禁止→『チャウシェスクの落とし子』大量発生。

・飢餓輸出     →国民の貧窮化

・『国民の館』   →腐敗政治の象徴

 ……

 そのどれもが、国民の生活に繋げたとは言えない。

 最後の強さだが、これは実際に政権が崩壊していくのだから、今となっては自虐ネタで史上最大級の嘲笑ものだろう。

『これこそが根本的な問題の一つなのだ!』

 次のカットでは、特別軍事法廷であった。

 そこでもチャウシェスクは、熱心に演説していた。

『私は被告人ではない。ルーマニア大統領だ!』

 罪状は、

・ティミショアラ虐殺事件の最高責任者

・国家財産の横領

・国民を経済的に苦しめた事

 であった。

 25年間、独裁を誇っていた夫妻の命運は55分で決まる。

『起立!』

『冗談でしょ? 私達は老人よ』

『チャウシェスク夫妻を死刑に処す』

 死刑が決まっても往生際が悪い。

『一体どういう事だ?』

『放しなさい。止めて。私に触らないで。私には、がある』

 エレナの言葉にルーマニア系住民視聴者は、怒りを通り越して呆れ顔だ。

 国民の自由を奪っておいて、自分達は自由を求めるとは。

『放しなさい。

 縛らないで。

 恥を知れ!

 恥を知りなさい!

 ここに居るのは、誰のおかげ?

 腕が折れてしまうわ。

 放しなさい。

 やめて!』

 どんどん晩節を汚していく。

 そして、2人は外に出された所をそのまま銃殺される。

 執行に選ばれた軍人は3人だったが、2人は怖じ気付き、結局、1人が仕留めた。

 蘇我入鹿を暗殺する際も中大兄皇子と藤原鎌足以外は、土壇場で躊躇ってしまった為、人間の心理としては、仕方の無い事なのかもしれない。

 夫妻が何十発も食らい、たおれると、ワッと、ルーマニア系住民は沸いた。

 夫妻の死が確認された後、視聴者はそれぞれ銃を手に取る。

・ラインメタルFG42自動小銃

・AK-47

・ルガーP08

・ワルサー モデル9

・ワルサーP38

・ワルサーPPK

・ワルサーPP

・モーゼルC96

・スチェッキンAPS

 と、年代も製造国もバラバラだが、逆にこの不統一さが、反乱軍の特徴であった。

 1946年革命前広場に集まった反乱軍は、数十万人。

 中には、政権側の国軍兵士や秘密警察、特殊部隊も居る。

 映像を全て見終わった人々は、

「「「小麦とパンを! 小麦とパンを!」」」

 フライパンを銅鑼代わりに叩いて大行進。

 彼らを止める者は居ない。

 共産政権が頼みの綱とするモスクワも、ルーマニア革命を黙認した様に、新ベオグラード宣言の下、不干渉。

 プラハの春のような事は起きないのだ。

「「「……」」」

 大統領宮殿の中で、独裁者は、震えていた。

 もう少しで触れる死に対して。

 デモ隊の中には、若き日のルー・ブラッドリーも居た。

 その手を女性が握っている。

「ジョン、もう少しだね?」

「そうですね。殿下」

 誰も知らないルーの過去であった。

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