第17話 dog days

 令和3(2021)年7月下旬。

 明神学院はこの日、終業式の日を迎えていた。

「たっ君、夏休み何処どこか行こうよ?」

「そうだな。でも早めに動かないと混雑するよ」

「そうだね。五輪だし」

 去年、新型ウィルスの大流行で延期した五輪が、もうすぐ始まるのだ。

 ワクチン接種が始まり、世界全体での感染者は減少傾向にある。

 当初、延期した今大会でさえも、

・再延期案

・中止案

 が議論されたが、IOC国際オリンピック委員会広告主スポンサーに忖度して、開催される運びとなったのは、数か月前の話。

 昭和19(1944)年のロンドン以来の中止は避けられたのは、良かった。

 然し、未だに流行が続く国や地域もある為、医療従事者が集められ、選手村での集団感染クラスター感染に力を挙げている。

 とりわけ、尽力しているのが、キューバからの医師団だ。

 国民1人当たりの医者の数が世界一多いキューバは、計算上、1千人中約8人が、医者となる(*1)。

 人口1120万人と日本より人口が少ないものの、その数は、3倍以上と日本の医師不足を大いに補う活躍を見せている(*1)。

 NPBでキューバ人選手が大活躍するように、日本の医療には、キューバ人がなくてはならない存在になりつつあるのだ。

「入場券当たらなかったけれど、雰囲気だけでも感じる為に会場の周辺、周ってみる?」

「いや、まだまだ三密は、避けた方が良い。去年の夏だって感染者は居たんだし」

「う~ん……分かった」

 司は、不満そうだが、理解する。

 実家が病院の為、菌を持ち帰るのは、本意ではない。

「それでも遠出したいのならば、海に行こうよ。島、買ったし」

「良いね―――って、え?」

 島? と、司は、目をぱちくり。

「島って言った?」

「ああ」

「……買ったの?」

「ああ。将来、別荘を作ろうかな、と。無人島だよ」

「幾らしたの?」

「600万円。あ、全部。自腹だよ。母さん名義だけど、成人後に変更する予定」

「……たっ君ってお金持ちだね?」

「副業の成果だよ」

 バブルでもないのに高校生が、600万円も稼ぐのは、難しい話だろう。

 ジト目をする司。

 俺が犯罪で得たお金ではないか? と疑っているのだ。

「株で儲けたやつと臨時のアルバイトだよ。ほら」

 スマートフォンで通帳を見せる。

 今の時代、携帯電話あれば何でも出来るので、便利だ。

「……本当だ」

 0が沢山。

 ―――

『年月日 :摘要:預入

 21-5-15:配当:10,000

 21-5-18:配当:34,000

 21-6-11:配当:99,000

 21-6-21:配当:75,000

 21-7-11:配当:16,000』

 ―――

 驚くべき事は、引出が殆ど無い事だ。

「……全然使わないんだね?」

「結婚には色々、入用だからな?」

「!」

 東京は物価が高い為、必然的に高収入でなければ、住む事は難しい。

 東京地方労働組合評議会と東京春闘共闘会議が以下の資料を発表している。

 ―――

『・練馬区在住

 ・30代夫婦

 ・公立小学校、私立の幼稚園に通う子供

 →支出の月額 約54万円(年間約650万円)

 ・賃貸マンション 家賃9万5千円

 ・食費      11万円余り(1人1食300円)

 ・夫の飲み会   3500円(月1)

 等で算定したものだ。

 子供達が成長し、

 ・40代 月額62万円(年間約740万円)

 ・50代 月額80万円(年間960万円)

 にも上る』(*2)

 ―――

 一応、北大路家は自慢ではないが、医者なので経済的負担の心配は必要無い。

 然し、一寸先は闇。

 医者とはいえ、これからはどうなるか分からない。

 なので、若い内に貯金していた方が良いだろう。

「……なんか、ごめんね?」

「何が?」

「私の為に無理してない?」

「全然。必要な事だから」

「……そっか。ありがとう♡」

 司は照れつつ、俺の頬にキス。

 鐘が鳴る。

 体育館への移動の合図だ。

「司、マスク、持って来た?」

「うん―――あ、たっ君は付けないで」

「え?」

「私が作ったのがあるから」

 笑顔で司が取り出したのは、『今日の主役』と刺繍された桃色のマスク。

 正直、装着するには、勇気が要る意匠計画デザインだ。

「主役って?」

「良いから良いから」

 意味深に微笑む司。

(悪いこと考えてるな)

 察しつつ、それ以上は深追いしない俺であった。

 

 体育館には、中等部の生徒が既に集まっていた。

 流石に高等部の先輩を待たせる訳にはいかないだろう。

 全員、少なくとも1m以上の社会的距離ソーシャル・ディスタンスを開けている。

 司と一緒に並ぶ中、ふと視線を感じ、その方角を見ると、

『……』

 ナタリーが、無表情で俺達を見詰めていた。

 司が半狂乱になったあの後、俺とナタリーの仲は気まずい。

 メールで、

『私的な事に関わるな』

 と送って以降、やりとりは無いのだ。

 無論、ナタリーが俺を心配して、司に助言したのは分からないではない。

 然し、あまりにも無神経が過ぎる。

 ロビンソンにも事後報告した所、

『それは、ナタリーが悪い』

 と理解を示してくれた。

 その後、叱ったようだが、彼女はそれ以来、学校でも俺を避ける様になった。

 廊下で鉢合わせしても会釈もせず、ガン無視。

 いじけているのか、逆切れしているのかは分からないが、本人がその態度なら俺も応える事は無い。

 次に感じたのは、思念であった。

『煉』

 容疑者は、すぐ分かった。

『散髪したんだ? 格好いいね?』

 シャロンが、野獣の目をしている。

「……」

『駄目だよ? 先生を睨んじゃ? CID陸軍犯罪捜査司令部に通報しちゃうぞ?』

 娘が、駄目な大人になっている。

 ロビンソンに聞けば、アメリカ一の才媛の筈なのだが。

 俺の教育が悪かったのか。

 それとも、彼女の本性なのか。

 どちらにせよ、親としては、非常に残念な気持ちである。

 校長が登壇し、マイクを握る。

『え~。静粛に』

 終業式が始まった。


『―――夏休み、というのはですね。分かっているとは思いますが、決して怠ける期間ではなく―――』

 落語家のはなしならば良いのだが、校長は話芸のプロではない。

 全然、面白く無い話が続く。

 座っている生徒も最初は傾聴しているが、3分も過ぎれば飽き始め、10分経った今では、99%が馬の耳に念仏だ。

 爪を見たり、天井に挟まったバスケットボールを見詰めていたり、近くの友達と小声で話し合っていたりしている。

 俺もその内の1人だ。

 真面目な校長に悪いが、俺にはこの話が独裁者の演説の様に感じる。

「……」

 欠伸あくびをしていると、司が脇腹をつねった。

「(駄目だよ。ちゃんと聞かなきゃ)」

「(済まん)」

 生徒会の1人として、真面目に聴かなければいけない義務感があるのだろう。

 その時、バタン。

 誰かが倒れた。

「「「!」」」

 生徒全員注目する。

(……ナタリーか)

 直後、司が俺の背中を押す。

「?」

「診てあげて。友達なんでしょ?」

「……ん、ああ」

 頭を掻きつつ、中等部の列に入り、診察する。

 中等部の先生が慌てて駆け付けた。

「北大路、分かったか?」

 医者の息子だけあって診断出来るのは俺、との判断だろう。

「はい。多分、貧血ですね。運びます」

「え?」

「友達なんで」

 中等部の生徒達は、見守るのみ。

 孤独を貫くナタリーに接するのは、勇気が要るのだろう。

 先生もナタリーが、俺と親しい事は知っているようで、

「じゃあ、頼んだ」

 と、問題視しない。

「ほらよ」

「……」

 気絶したナタリーを背負う。

「「「おお~」」」

 容易く行う俺に、歓声が上がる。

 シャロンも自分のことの様に笑顔だ。

 司も笑顔だ。

 医療従事者の親を持つ手前、この手のホスピタリティ精神は熱い。

 恥ずかしさを感じつつ、俺の心も満足感で満たされていた事は言う迄も無い。

(レッド・ウィング作戦以来の人助けだな)


 気絶したナタリーは、夢を見ていた。

 婚約者と逢引する内容だ。

 相手は、白人。

 貴族ユンカーだけあって、その血筋も家柄も良い。

 一緒にベルリンやフランクフルト、ミュンヘン等の観光地を巡る。

 ナタリーとしては、楽しかったのだが、婚約者は不服だったらしく、

「ナタリー」

 夕刻、エルベ川沿いで、

「……別れよう」

「え?」

 聞き間違いではないか、と思う程、ナタリーには、衝撃的な内容であった。

「な、何故です……?」

「ごめんな。僕の家は、婚前交渉に厳しくてね」

「そ、そんな……」

「君は、魅力的だけど、避妊もせずに性交して出来た子供を育てるのは……無理だ」

「!」

 見ると、ナタリーのお腹は膨らんでいた。

「中絶も僕には、殺人に思える。ごめんね」

 誰の子とも分からない赤子。

 その恐怖が、ナタリーを襲う。

 止めとばかりに婚約者が問う。

 冷たい視線で。

「父って誰?」

 ―――

「―――い、いやぁああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 泣き叫んで飛び起きると、そこは見知らぬ部屋であった。

「……あ、あれ?」

「お早う」

 見ると、煉が台所でマテ茶を淹れていた。

 そして、ナタリーの前に出す。

「疲れが溜まっていたな?」

「!」

 慌てて制服のポケットに手を突っ込み、スマートフォンを探す。

 そして、素早く使う。

『……わ、私は……?』

「貧血だよ。ロビンソンには報告してある」

『……』

 煉は、心配そうな表情で見詰めている。

『……何よ?』

「いや、随分、うなされていたから」

『……』

「無理に話さなくて良い。私的な事だからな」

『……あの時は、ごめんなさい』

「これで解決だ」

『……ええ』

 不思議と、煉が居ると安心する。

 男性嫌悪ミサンドリーが強かったナタリーだが、煉が相手だと全然嫌じゃない。

(相手は老人なのに……老人だから?)

 お祖父ちゃんっ子であったナタリーは、老人男性には、それが弱まる。

 煉の本性が、老兵のルーである事も、話し易い一因なのかもしれない。

「……じゃあ、俺行くから」

『あっ……』

「どうした?」

『……』

 必死に考えを巡らす。

 その時、スマートフォンが鳴った。

 ———

『明神学院校舎内に不審者侵入。

 現在、警備員が対応中』

 ———

 2人は、顔を見合わせた。

 そして、直感的に悟る。

 テロの発生を。


「きゃあああああああああああああああああああああ!」

「うわああああああああああああああああああああ!」

 生徒達は逃げ惑う中、テロリストは銃を乱射した。

 天井に向かって。

 生徒達を標的にしないのは、大事な人質だからだ。

「同志イワン、獲物が多いな?」

「ああ。1千人は居るからな。ベスランを思い出すぜ」

 テロリストは、30人。

 皆、強盗の様に目出し帽を被り、AK-47で武装している。

 日本では学校での人質事件が起きた事は無い。

 その為、警備も当然、それに対処するノウハウが無かった。

 人質は、日本人とアメリカ人に分けられ、アメリカ人のみ拘束されている。

 人種によって差が出ているのは、アメリカ人には銃の扱いが慣れ、万が一、抵抗されると厄介だからだ。

(……気を抜くんじゃなかったわ)

 シャロンは軍属の身分証明書を気にしつつ、目立たないように端っこに居た。

 もし軍属だと判れば、何をされるか分からない。

(……どうやって救出しようか)

 自分1人だと脱出は、容易い。

 しかし、1千人もの仲間を捨てるのは、無理だ。

 どうしたものかと、考えていると、メールが届く。

「……」

 テロリストにバレないように確認すると、それはアメリカの病院からであった。

 ―――

『【DNA鑑定のお知らせ】

 検体Aが、ルー・ブラッドリー様の物と同一であった事をここにお知らせします。

 2人は、100%同一人物です』

 ―――

 瞬間、シャロンはスマートフォンを落とした。

パパって誰?」


[参考文献・出典]

*1:WHO 2017

*2:2020年12月24日 ライブドアニュース 一部改定

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