第11話 アフガンツィ

「……」

 ニコライは、その白い顔を赤くしていた。

 照れている―――のではなく、酔っているのだ。

 場所は、六本木にあるロシアンパブ。

 ロシアと名乗っているが、実際には東欧系も多く働いている。

 その為、ロシア語の他にウクライナ語やベラルーシ語等が飛び交っているのが特徴だ。

 店内では、政治的な会話は、NG。

 ソ連崩壊後、その後を継いだロシアは、ジョージア(露語名:グルジア)、シリア、ウクライナなど対外戦争を行い周辺各国との関係が悪化している。

 一部の国々では、廃止されていた徴兵制を復活させ、ロシアの侵攻を備えている他、某国では米軍基地の誘致活動を行いロシアの怒りを買っている程だ。

「……」

 ウォッカをあおりつつ、ニコライは飲み続ける。

 既に肝臓を傷め、主治医から断酒を指示されているが、彼は止めるつもりは無い。

 ―――2004年9月3日。

 その日、彼は、以降は

 1979年末、アフガニスタンの首相を殺害する『嵐333号作戦』で華々しい初陣を飾り、アフガニスタン侵攻では地獄を見、祖国がロシアになった後はチェチェンを主に宿敵としたロシア一の狙撃手は、日本で自暴自棄になっていた。

 踊り子の舞踏ダンスを眺めつつ、ニコライは静かに涙を流す。

 思いふけつつ、又、ウォッカを飲む。

 彼が断酒するのは、仕事と死ぬ時だ。

 その時以外は、酒を手放す事が出来ない。

「ニコライ、また飲んでいるのか?」

 目の前にロビンソンが座った。

「……酒を止めさせに来たのか?」

「全然。自分の体だからな。止める権利も義務も俺には無いよ」

「……」

 2人は意外にも仲が良い。

 普段、無口なニコライだが、ロビンソンに対しては心を開いている。

「FSBがあんたを教官として雇いたがっているぞ?」

「行かない。俺はこの国で死ぬ」

「そうか……」

 ロビンソンはそれ以上、何も言わずお茶を1杯だけ注文する。

「……ロビンソン、あの少年は本物なのか?」

「と言うと?」

「奴は本物だ。日本人ヤポンスキーで初めて見たよ」

日本人ジャパニーズだが、中身はアメリカ人だよ。資料見せたろ?」

「そうだったな……でも未だに信じられないな」

 記憶転移の事は、ニコライもCIAの秘密資料を見て知っている。

 しかし、未だに半信半疑だ。

 そんな非科学的な事が有り得るのか?

 と。

「こういう時、日本語には、便利なことわざがある。『論より証拠』。ゲッペルスが100回の嘘を真実にしたが、これは実例がある。うちの大学のお偉いさん達も認めた、真実だよ」

「……奴とは親友だったのか?」

「ああ。よくグアンタナモで遊んだよ。イラクやアフガンでも一緒に過激派共をぶっ殺した戦友だ」

「……」

 ニコライには、戦友と呼べる者は居ない。

 ソ連時代の戦友は皆、アフガニスタンで戦死したり、崩壊後にマフィアに成り下がったりした為、その多くは行方不明だ。

 ロシアになって以降も戦友は居なかった。

 ニコライが熱心な共産主義者コミュニストであったからだろう。

 共産貴族ノーメンクラトゥーラを嫌う新時代の若者達は、ソ連崩壊後も転向しない彼を奇異に見ていたのだろう。

 何処どこ余所余所よそよそしく、仕事上は親しくても、私的に関わる事は一切無かった。

 FSBの後輩も、ニコライを「時代遅れの老兵」と軽視していた。

 ソ連が崩壊した時、ニコライの愛国心を喪失し、2004年にはロシア人としての自己同一性アイデンティティーも死んだのだ。

 ジャジャーン!

「!」

 聴き慣れた序奏イントロダクションに思わず立ち上がる。

 遅れて、店内の店員と客も。

 流れて来たのは、ソ連の国歌『祖国は我等の為に』の1944年制定版。

 歌詞を見れば独ソ戦(蘇名:大祖国戦争)真っ只中に作られただけあって、非常に戦時色が強い。

 フランスの『マルセイユの歌ラ・マルセイエーズ』並に血生臭い。

 日本の『君が代』を「軍国主義」と主張する勢力が存在するが、少なくともソ連やフランスのそれとは、比べ物にならない位、平和的だ。

 この1944年版は、戦時色の強さの他に、

民族主義ナショナリズム

・レーニン、スターリンの賛美

 が特徴的だ(*1)。

 その為、フルシチョフによるスターリン批判後は、スターリンが未登場の1番のみが歌唱されたり、BGMのみと国歌なのに不遇な時代もあった(*1)。

 余談だが、『世界に冠たるドイツ』も全部で3番まであるのだが、

・1番→登場する地域がWWII後、他国領

・2番→女性差別と解釈

 され、公式には3番しか歌われない(*2)。

 独ソ戦で激しく戦った両国だが、国歌は同じ様に不遇なのは皮肉な話だろう。

「「「―――」」」

 店は共産色が強くは無いのだが、スターリンやフルシチョフなど、歴代書記長のそっくりさんが演説したり、KGBのコスプレをした人が目に付けた客を拘束するサービスが行われるだけあって共産趣味者が多く訪れる。

 日本人客もロシア語は喋れないが、国歌は歌えるという猛者が居るくらいだ。

 店の駐車場には、東ドイツの国民車であるトラバラントが並び、東ドイツ懐古主義者オスタルギーも集まっている。

 客の中には、旧ユーゴスラビア出身者も居り、彼等は、ユーゴスラビアの国旗を掲げ、ユーゴスラビア懐古主義者ユーゴノスタルギヤを楽しんでいる。

 ニコライのような共産趣味者には、ここは聖地の様な場所であろう。

 もっとも共産主義は、政府が危険視しているイデオロギーの一つだけあって、公安警察の監視も激しい。

 客に偽装した私服警官らしき男が、1人1人の顔をチェックしているのが分かる。

 ニコライも監視対象名簿に載っているかもしれない。

「「「万歳ウラー!」」」

 曲が終わると万歳三唱ならぬ、万歳ウラー三唱だ。

「『ソ連が恋しくない者には心が無い。ソ連に戻りたい者は脳が無い』……か」

 コロンとグラスの氷を鳴らしつつ、ニコライはウォッカの瓶を抱き締めて眠るのであった。


 北大路家では、

「煉、本気で結婚するの?」

「そうですね。ゆくゆくは、そうなるかと」

「そう……」

 皐月は、安心した表情で俺を抱き締める。

 昔から司の恋を応援していたから、自分のことの様に嬉しいのだろう。

 俺達が居るのは、お風呂。

 男子高校生とその母親が混浴するのは中々無いだろうが、この家では年齢を重ねても関係無い。

 アメリカでは混浴の文化が無い為、転生当初、俺は酷く戸惑った。

 しかし、慣れれば何のそのだ。

 こんな美女と混浴出来るのも、日本人ならではの特権だろう。

 文献によれば、日本では江戸時代まで混浴が普通だったという。

 それが禁止になったのは、明治時代の事。

 この時代、キリスト教が合法化するなど、西洋文化が入って来た事で混浴文化が否定された。

 男色もよくある話だったのに厳しくなっていく。

 日本は国家としては重要な成長を遂げた半面、大事な文化を失ったのだ。

「たっ君、背中大きいねぇ」

 背中に頬擦り。

 折角、洗ったのに皮膚が擦れ、赤くなっていく。

 頬擦りの所為で浴槽のお湯は波が起き、溢れ出す。

 俺がアルキメデスなら、「Eurekaエウレカ」と叫んでいた事だろう。

 皐月も微笑む。

「相変わらず、仲良いわね? で、ヤッたの?」

 曲がりなりにも養母とは思えぬ発言だ。

 もっとも、自身が若い時に産んだ為、娘の性にも抵抗が無いのだろう。

 実際、若い母親の下で生まれた娘は母親同様、若く出産する事がある。

 北大路家もその類だ。

「ヤッてないよ。たっ君、意外と純潔運動家だから」

「あら、最近の野郎にしては、珍しいわね?」

 皐月が胸を押し付けて来る。

 司より、皐月の方が大人な故、体が出来上がっている。

 司 →可愛い

 皐月→妖艶

 であるが、この場では皐月が好みだ。

 司の手前、口が裂けても言えないが。

「母さん、俺はこう見えて福音派なんだよ」

「そう? 聖書読んでる所見た事無いんだけど?」

「隠れて読んでいるんだよ」

「それなら、エロ本を読みなさい。性教育よ」

「何ちゅう母親だ」

「・性病

 ・性犯罪

 ・育児放棄ネグレクト

 しなければ良いわよ。生殖活動で得られる快楽は、人間とイルカだけに与えられた特権なんだから。楽しく生きましょ?」

「……」

 多くの出産にも皐月は、医者として立ち会ってきた。

 そのような経験から、行き着いた価値観なのだろう。

 スッと皐月の目が細くなる。

「幸せにしなさいよね?」

「分かってるよ。でも、その前に母さんが先だな」

「え?」

「俺達に気を遣い過ぎだよ。母さんには再婚して欲しい」

「幸せになれって事?」

「ああ。働き過ぎだよ。過労死させたくない。伴侶はんりょに助けてもらって―――」

「もう居るわよ。貴方が」

 そう言って、皐月は抱き締める。

 豊満な胸に俺は、顔を埋められた。

「こんな重たい娘を受け入れて来るのは、世界で貴方しか居ないわ。ありがとうね?」

「……」

「こう見えて私も結構、重たい方だから。閉院後は貴方に養ってもらおうかな?」

「え? お母さん、閉めちゃうの?」

「そりゃあ愛息子まなむすこに心配されたらね? 防衛大学の教え子も育ってるし、後は2人次第よ。2人が結婚したら私は引退。息子に養ってもらいつつ、生まれてくるであろう孫の世話をしたいわ」

「そうだね。私、頑張るよ」

 俺をサンドイッチにして、2人は微笑み合う。

(仲が良い母娘だ事)

 俺は苦笑いしつつ、皐月の胸を堪能するのであった。


 同じ頃、大使館。

「……」

 ナタリーは、ネットを駆使して必死に色んな文献を読み漁っていた。

 内容は記憶転移に関する事。

 彼女の疑問は、

『記憶転移が事実ならば、本物の北大路煉の人格はどうなってしまったのか?』

 という事だ。

 煉と話していると、どうもブラッドリーが憑依、あるいは乗っ取っている感が否めない。

 論文などで紹介されている実例だと、その様な事は書かれてはなく、元の人格を残しつつ、趣味や嗜好が影響された位で人格自体が変化するのは、紹介されていない。

 そこでナタリーは、ある仮説を立てる。

(……煉はブラッドリーに取り込まれた?)

 煉が別人になった事も長年、一緒に住んでいる家族や友人等は気付いている筈だ。

 然し、誰もそれに違和感を持っている節は無い。

 病弱であった煉に対し、配慮した結果、誰もつつかなくなったのかもしれないが。

 それにしても、異常だろう。

 もう一つ、不思議な事がある。

 ブラッドリーの死体が綺麗さっぱり消えている事だ。

 以前、CIAが入手した写真には死体が確かにあった。

 然し、何処にも埋葬された証拠が無い。

 死体安置所モルグに運ばれた記録も無い。

 神隠しの様に消えているのだ。

(……若しかして)

 ナタリーは、冷や汗を掻きつつ、ある記事を探す。

 数分後、見付けた。

 ―――

『【人体改造受けた「超人兵士」、仏軍倫理委が容認】

 仏軍が軍の倫理委員会の報告を受け、身体能力を増強した「拡張兵士」の開発を許可する方針を打ち出した。

 8日に公表された報告書では、医療措置や義肢、装置の埋め込み等による体力、認知力、知覚力、精神力の増強について検討。

 これによって兵士が兵器システムと交信して所在場所を突き止めたり、同僚の兵士と連絡を取ったり出来るとした。

 他にも考えられる介入措置として、苦痛やストレス、疲労を防ぐ為の医療措置や、兵士が捕虜にされた場合に精神力を高める薬物にも言及している。

(以下略)』(*3)

 ―――

 死刑を嫌う癖に人体改造は認める不思議な国だ。

 然し、本題はそんな事ではない。

(まさか……生体強化戦士パイオニック・ソルジャーが……?)

 論文の事は一旦忘れ、ナタリーは、世界中の国軍や情報機関、PMC民間軍事会社のサイトをハッキングしていくのであった。

 

「参考文献・出典]

*1:ソヴィエト・ロシア軍歌集積所

*2:ウィキペディア

*3:CNN.co.jp 2020年12月10日 一部改定

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