第10話 Westermarck effect
恥ずかしい話だが、俺は女性人気が全く無い。
前世で好きになった人は数多いが、両想いになれたのは妻だけだ。
その妻との間に出来た娘が、シャロンである。
彼女とはよく遊んだが、今思えば他の家庭よりかは接する機会が少なかったように思う。
だからこそ俺は帰宅した時、どれだけ体調不良であっても、どれだけ疲労困憊であっても、シャロンが望めば一緒に遊んで時には外出もした。
妻からは「馬鹿兄妹」と言われるほど、仲が良かった。
流石に高学年になるにつれて
シャロンに嫌われたら、生きていく自信が無かったからだ。
「嫌い」
その一言だけで、俺は自殺していたかもしれない。
それくらい、娘のことを愛していたのだ。
でも今は―――
「たっ君、あーん」
「恥ずかしい」
「良いの。バカップルなんだから」
相変わらず、司は笑顔を絶やさない。
転生当初、東洋人特有のアルカイク・スマイルに慣れず恐怖心すら感じたが、今は何てことは無い。
ただの可愛い微笑みだ。
今日も今日とて、屋上で昼食を楽しんでいる。
目の前に並ぶのは、
・おにぎり
・たこさんウィンナー
・サラダ
非常に質素だが、俺達は庶民派。
医師の家柄だといって、高級食材をそれほど好んでいない。
フランス料理も少量で且つ待機時間が耐えられないくらいだ。
ウィンナーはちょっと焦げているが、不味いという訳ではない。
「胡椒、かけた?」
「うん。隠し味に。後、
「ありがとう。美味しいよ」
「えへへへ♡」
ギューッと、司は抱き締める。
「気持ちはありがたいが痛いよ」
「あ、ごめんね」
直ぐに離れた。
それから、手を見る。
「でも、傷害事件で肩を打撲した直後にまた、怪我するって、おっちょこいだね?」
「そうだな」
人質事件で負った傷は、「公衆便所で用を足した帰り道、
あまりにも不自然な理由だが、ロビンソンが診断書を用意した為、本物となった。
診断書がある以上、法的に疑いようの無い事実となる。
スキャンダルを掴まれた政治家や芸能人が追求を逃れ、病院に駆け込み、診断されるように。
診断書は時に悪用出来てしまうのが、悪人にとって長所であろう。
包帯で巻かれた手を、司は優しく触れる。
「もう、たっ君は不幸体質だな?」
「厄年ではなく?」
「厄年だと1年だけじゃない? 不幸体質は一生もの。だから私が守ってあげなくちゃ」
「……」
なるほど、分からん。
ただ、司が俺の事を心配しているのだけは分かった。
その思いは、素直に嬉しい。
「たっ君、大好き♡」
「はいはい」
「たっ君も言ってよ?」
「肯定したろ?」
「だーめ。ちゃんと表現しなくちゃ。私、分かんない。馬鹿だから」
才媛の癖に何言っているんだ?
俺は、溜息を吐き、
「結婚式の時で良いか?」
「! 本当?」
「ああ。気持ちはありがたいが、あまり言うのは意味が軽くなってしまうような気がする。済まんな」
「……分かった。じゃあ、その時で」
前世では妻子に素直に愛を伝えていたが、転生後は感性も日本人になりつつあるのだろう。
アメリカ人の時のような感情表現は、恥ずかしくなり、あまり言えなくなっていた。
これも、記憶転移の影響の一つなのだろう。
「本当だよね?」
「何が?」
「結婚式。私、たっ君が思うほど、簡単にたっ君以外に『好き』って言わないから。軽くないから」
「知ってるよ」
「どちらかと言うと、重い方だから」
自分で言うのか?
と、突っ込みそうになるも、何とか言葉を飲み込む。
煉の記憶で知ったが、
それが功を奏したのか、
俺は見ての通り後遺症は無い。
皐月曰く、「奇跡」という程の回復の様だ。
もしかしたら、俺達は本当に運命の赤い糸で結ばれた仲なのかもしれない。
「でも、たっ君が若し、他の女の子に惚れても怒らないからね?」
「俺の人生だから?」
「そう。私の人生にたっ君を引きずりこむのは、本意ではないから」
「……」
重い癖にこういう事があるのは、司だ。
俺は箸を置き、司の頭に触れる。
そして、結び目を解く。
「あああああああああああああああああああああああああああああ!」
司は、大絶叫。
アフロヘアのようにこんもりした髪型を手で押さえ、再び結び直す。
「何するの?」
「泣き出しそうなくらい、俺に惚れてる癖に一丁前に恰好をつける馬鹿には持って来いな罰だと思うが」
「!」
慌てて司は、目尻を拭う。
涙目になっていたのは、無意識だったのだろう。
「これほど出来た美人を俺だって手放したくないよ」
「たっ君……」
「だから、無理しなくて良い。重くて良い。全部受け入れるからさ」
「!」
ガバッと首に抱き着く。
そして思いっ切り、叫んだ。
「私だって手放したくないよ! 好きだもの!」
運動が苦手な癖に、俺の首を絞める力は強い。
火事場の馬鹿力というやつだろうか。
純愛にしては重過ぎる。
とても常人には、耐えきれないだろう。
「たっ君、だ~い好き♡」
司による頬擦り&キス攻撃。
日本人女性には、中々見ない情熱的だ。
ラテン系と気が合うかもしれない。
「はいはい」
それらを甘んじて受け入れつつ、俺はお握りを頬張るのであった。
……塩、多過ぎ。
しょっぺ~なぁ。
本人曰く、
「
との事だ。
当然、校区外にもその噂は響き渡り、他校からも見に来る事もある。
が、現在は見に来たり、恋文を送ったりしても交際の夢が叶う事は無い。
何故なら、俺が居るから。
「おいおい、あの犯罪者、まだ居るぜ?」
「くそ。まるで金魚のふんみたいだな?」
「本当だな」
悪ガキ共は、司に話しかける
司の傍には、俺が殆ど一緒に居る。
帯同しないのは、司が、
・生徒会
・トイレ
・体育
の時くらいだろう。
「今日は、どのくらいで終わりそう?」
「分かんない。終わったら連絡する」
「分かった。じゃあまた後で」
「ああ」
司は、生徒会室に入っていく。
この時間帯、俺は暇だ。
生徒会の会議は、何時も長時間。
議事録によれば、最長8時間かかった事もあるという。
ライトノベルやアニメでよく見るように、ここの生徒会は、非常に権限が強い。
学校が集めた学費の一部を使い、政策の資金に使用したり、生徒に不人気な教員を教育委員会に通報したりしている。
一介の生徒会にこれほどの権限を与えるのは、やり過ぎ感は否めない。
しかし、これまで生徒会が不祥事を起こした事が無く、公約も遵守されている為、この学校には、この方法が最適なのだろう。
(図書館か喫茶店か射撃部か……)
暇潰しの方法を考えていると、
「失礼しました」
職員室の扉が開き、女性が出て来た。
目が合う。
瞬間、俺の力は抜けた。
「……」
女性は、微笑む。
「初めまして。シャロン・ブラッドリーです」
生徒会室で司は、女子生徒に囲まれていた。
今は、休憩時間。
長時間の討論の疲労を癒すには、ガールズ・トークが必要不可欠なのだ。
「先輩、煉先輩の婚約者って話、本当ですか?」
「うん。そうだよ」
「「「ほおおおおおおおおおおおおおお!」」」
黄色い声が飛ぶ。
女子生徒達が、興奮するのも無理無い。
注目しない方が無理だろう。
「先輩、婚約者ってどんな方なんですか? 見た目は怖そうですけど?」
「全然だよ。家では、主夫って感じだし」
「え? 家事を煉先輩がするんですか?」
「そうよ。ほら」
司がスマートフォンの写真を見せる。
「「「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」」」
今度は、鼻息荒く興奮した。
写っているのは袖をたくし上げ、二の腕を見せつつ、包丁で野菜を切る煉。
腕毛が一切無く、筋肉で覆われたその細腕は細マッチョ好きな女子生徒の琴線に触れたのだ。
婚約者を自慢出来て、司も誇らしい。
「でしょう? だから、結婚したら主婦になる必要は無いんだよ」
その時、後輩の1人が悪気無く言う。
「でも、家事も出来てこんな筋肉美だったら、引く手数多ですね?」
「う……」
否定しがたい事実に司は、意気消沈。
そうだ。
煉とは両想いだが、彼が自分の重さに耐え切れる保障はどこにも無い。
時々、年増の女性に惚れた男性が結婚後、やがて、結婚生活に飽きて若い女性に走る場合がある。
司は年増ではないが、煉も男だ。
司よりも若く美しい女性が現れれば、惹かれてしまう可能性は十分にある。
口では愛を伝えても時間が経過すると共に、仮面夫婦になる事例も多い事だろう。
(……たっ君、浮気しないよね?)
司は、不安に包まれるのであった。
同時刻。
俺は学校前の喫茶店で、愛娘と御茶していた。
正確には、「元」愛娘だが。
「学校を案内してくれてありがとうね? ええっと―――」
「北大路煉です」
「そうそう。言い難いから下の名前で呼んでいい?」
「はい」
努めて冷静に振る舞う。
まさか、愛娘が学校に来るとは思わなんだ。
「煉君は、何年生?」
「高校2年生です」
「若いねぇ~」
シャロンは、嬉しそうにクリームソーダをストローで啜る。
昔からクリームソーダ好きは変わらない様だ。
「今後は、
「軍属なのに?」
「あら、どうしてわかったの?」
しまった、と思ったがもう遅い。
CIAから教えてもらった、とは当然言えない。
「いや、この辺、軍属が多いからですよ」
学校近くには在日米軍基地がある為、当然、校区内にも軍属が住んでいる。
他所から来た人には分かり辛いが、仲良くなると軍人と軍属を判別し易くなる。
俺は即興で噓から出た実をする。
「実家が病院だから、軍属の方も来るんです。当てたのは勘ですよ」
「なるほどねぇ。そういえば、そのキタ何とかって病院の院長、女性だよね?」
「はい」
「時々、基地にも来るね。アメリカの医学を学ぶ為に」
そうだった。
勉強熱心な皐月は、基地の病院にアルバイトで行く事があったのだ。
「そうかそうか。あの美人な医者の子供か。でも、失礼だけど、あまり似てないね?」
「養子ですから」
「あ、ごめん―――」
「良いですよ。よく言われる事ですから」
地雷を踏んだとシャロンは後悔しているようだが、俺が気にしていない事を見ると直ぐに笑顔に戻る。
変わり身が早いのも、昔からだ。
底抜けのプラス思考。
それが、彼女の性格である。
「じゃあ、本当の両親を知らない?」
「ええ」
「私と似てるね?」
「え?」
「私もね。お母さんは知ってるけど、お父さんとはあまり交流出来なかったんだ。昔は仲良かったけど」
「……」
「中学くらいから私も思春期になって、意図的にお父さんを避けるようになったの。それで、仲直り出来ないまま去年、東欧で死んじゃった」
「……」
シャロンの目に涙は無い。
死を受け入れている様だ。
「仲直りしたかったなぁ。本当に」
「……愛してるよ。今でも」
「え?」
どこからか聞こえた父の声。
周りを見回すも当然居ない。
「……えっと、今何か聞こえた?」
「いえ、何も」
俺は
多汗症並に汗が滴るが、外見は冷静だ。
「多分ですけどお父上は、今でも愛していると思いますよ」
「え? そうかな?」
「はい。親子の絆は、そう簡単に崩れませんから」
「……そうだよね。ありがう。元気出た。お礼にジュース、奢るよ。何か欲しい物ある?」
「いえ」
俺は、腕時計を見て、
「ちょっと、用事の時間です。楽しめました。ありがとう御座いました」
そう言って5千円を置く。
「これは?」
「今日の代金です」
「え? 子供に支払わせる訳には―――」
「大人だよ」
「え?」
俺は、さっさと出て行く。
「?」
シャロンは首を傾げつつ、5千円を見詰めるのであった。
暫くして、シャロンは気付く。
(あれ? 幻聴の内容、彼に言ったっけ?)
父の言葉は、はっきりと耳にこびり付いている。
『愛しているよ。今も』
と。
直後、煉はこう言った。
『お父上は、今でも愛していると思いますよ?』
……単なる偶然だろうか。
去り際にも彼は、意味深に、
『大人だよ』
と言った。
(……記憶転移が彼?)
まさか、とシャロンは首を振る。
確かに記憶転移は実例があるが、父親に起きたか如何か分からない。
若しそうなら、業界で有名だった彼の事だ。
違う体でもその知識と経験から教官として引く手数多だろう。
(……まさかね)
必死で疑惑を頭で否定していると、何かに気付く。
彼の座っていた席が、びっしょり濡れていることに。
(多汗症なのかな?)
あの位の高校生が自分で言うのもなんだが、美人とお茶出来るのは、興奮する出来事だろう。
(……念には念を入れよ、ね)
日本で覚えた
[参考文献・出典]
*1:日本経済新聞 2016年7月6日 一部改定
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます