第6話
一体どんな因果関係があってこの男の死が世界平和に繋がるのかはわからない。
ただ、タマが殺せと指定する男は、このまま放っておいても事故で死ぬだろうし、わざわざ僕が手にかける必要もない。
科学的な話にこじつけたところで、タイムトラベラーなど最初から存在しないことは明白だ。子供騙しにしては少々凝りすぎだが、大人を騙すには至らない。
「……何を言っているの? 現に時間を巻き戻して、止めているじゃない」
「ああ、確かに『時間を巻き戻して、止めている』。でも、それだけだ」
彼女の言葉をそっくりそのまま返し、しかし、主張は曲げない。
時間を戻す?
時間を止める?
なるほど。タイムトラベラーなら簡単にできそうだ。
ただ、彼女が僕に要求してくる内容は、あまり未来に関係しない。
「ふうん……じゃあ、この話はご破算ね。九死に一生のチャンスはなかったということで」
「チャンス? ただの殺人がか?」
彼女から背を向け、一旦自分の席へ戻る。座席で真横に倒れた笹島を窓越しにどけ、代わりに僕がかがんだ。「さっきから何を」「お、あったあった」笹島が座っていた席の真下に、目的の物を見つける。
それは、白く、平らな電子機器。笹島が落とした、スマートフォン。
バスが海面直下した時、真後ろから耳元を掠めていったので大体どの位置に落ちていたのかは見当がついていた。丁度時間も止まっているし、勝手に操作したところで咎める人間はこの場にいない。
「いや、待って。……これはあなたにとって損な話じゃないわ」
携帯電話の電源ボタンを入れたところで、余裕を失い始めた彼女の声が背後から聞こえた。タマは僕が何をしようとしているのかをやっと察したようだ。
「あなたは何か勘違いをしている。だから。よく話を聞いて」
「知らん」
説得に構うことなく、ディスプレイを表示させた。
ロックがかけられていなかったことに助かったと思う反面、犯罪者にしては警戒心が足りなさすぎると少し呆れる。まあ、だからこそあんなことを平気で言えるんだろうけれど。
「『ボワボワ燃えている』のを見ているのに、『ずっと部屋に閉じこもっていた』なんてな」
当初から些細な違和感はあった。
例え窓越しからだったとしても――。
一筋違いの軒がどのように燃えているのかなど、わかるものなのだろうか……?
「……あった」
画像フォルダのとある写真に行き着き、指が止まった。
撮影日時は今日の未明。
橙に染まる画面の中心には、火の粉と火柱に覆われた大きな影。
夜闇を背景に、どこかの一軒家が丸々燃えている。
アングルからして、家の真正面。つまり、被害家屋の玄関先で撮影されたものだろう。
それが、何枚も何枚も、病的といえるほど保存されていて、見ていて鳥肌が立つ。
「あんたは、本当の放火魔が本当は誰かを知っていて、その上で別の人間を僕に殺すようけしかけた」
では、そのメリットは?
振り向いて、再びタマと正対する。
恨みがまし気にこちらを見据える青の瞳。その眼に睨まれるのは、これが初めてではない。
そういえば、笹島は猫の妖怪だと言っていたか。
「これを機に僕も罪人にするつもりだったのだろう? なあ、火車」
自分一人が助かるために誰かを殺すということ。
それが彼岸における罪の定義とするなら、この現状を打開したところで僕は罪人だ。
何せ僕は「自分の為なら、他者がどうなっても構わない」人間。この一件がなければ、笹島の悪行すら見逃していた偽善者だ。
よって、一人を放火犯、もう一人を殺人犯として――
二人まとめて、この大きな棺桶ごと地獄に送ってしまえばいい。
だけど、まだ僕は完全な悪人ではない。
まだ、地獄は遠い。
「――せっかく、あなたも引いてあげようと思ったのに」
大きな瞳孔が縦に割れ。
くっきりとした鼻梁が崩れ。
きめ細かい肌が体毛に包まれ。
美女が化け猫へと、その正体を露わにしていく。
「願い下げだ。だから、あんたとの交渉も決裂だな」
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