第3話

「で、燃えてたのって、どの辺りなんだ」

「ああ、俺の下宿先の、一筋違いにある民家だよ。俺はずっと部屋に籠ってたんだが、サイレンの音がやかましくて寝れやしなかった」

「で、家が丸々一軒燃えていたと」

「そうそう。あれはやばかった……あれ、本当にどこいった? 俺の携帯」


 バスが発進した後も、笹島は横でガサゴソとしている。

 どうやら、あれから本格的に携帯をなくしてしまったようだ。

 まあ、なくした範囲がバス車内という限られた空間だ。絶対に見つからないということもないだろうし、最悪、回送の際に運転手にも探してもらうようにお願いしてもいいだろう。


「それとさ、あんな人この辺りにいたっけ?」

「そんなことってお前……ああ、あの女か。かなりの美人さんだったな。まったく」

 なるべく小声になりながら、僕たちは最前列に座る女を眺める。

 先程バスを急停止させた挙句、無理やり乗り込んできたその女は、見た目は二十歳前半。

 バスに乗り込んできた時に横顔をちらっとしか見ていなかったが、高い鼻筋に、くっきりした目元、雪のような白肌も相まってか、かなりの美人であることが伺えた。


「何。お前あんなのが好みなの。やめとけ。顔は良いかもしれないけど、性格の悪さが髪から滲み出ているだろ」

「あー……髪、ねぇ」


 特筆すべき、という程のことでもないが、彼女の髪の毛は確かに異様に見えなくもない。

 端的に言えば、ウェーブのかかった茶髪。長さは肩口くらいまで。

 それだけなら、別に何とも思わない。茶髪の女なんて僕の地元にも穿いて捨てる程いた。


 ただ、所々、艶や光の反射では誤魔化しきれないほどの濃い部分が目立つ。まるでストライプ柄のような配合だ。

 それを奇抜と捉えるかファッションの一環として捉えるかは、今までファッション雑誌と無縁だった僕にはわからない。まあ、似合ってなくはないからありはありなのだろう。

「見慣れない奴を見ることには見慣れている」

 ついさっきまでかがんでいたはずの笹島が、いつの間にか腕を組んでどや顔だった。

「はあ」

 それは、お前もあの女を見たことはない、という回答でいいのか。

「いいか。ここは海岸線沿いだ。海面上昇による天災に見舞われることもある。洗濯物を干せば塩くさい時もあるし、他府県からやってくる暴走族が一晩中馬鹿騒ぎを起こすこともある」

「論点ずれてないか?」

「うん。だからまあ、海沿いというのは理不尽な事象の影響を直に受けやすい場所なんだ。多少よそ者が多くてもそれ自体は気にならないな」

「内陸からやってきた僕らも一応よそ者だけれど」

 確か、長野県だったか。海岸沿いの暮らしを夢見て遠路はるばる来た口なのだろう。

 多少、ロマンチストだったところで同じ穴の貉、人のことは言えないか。

「あー。そういえば、大学では昔話や妖怪の研究をしていたんだったか」

「民俗学だ。今は宇治拾遺物語に出てくる火車についてレポートをまとめている」

「かしゃ?」

「ほれ」

 聞き返すと笹島が一冊の本を鞄から取り出し、付箋の張られたページを見せつけてきた。

 一瞬では何が描かれているのかよくわからない。しかしよくよく見てみれば、そこには黒煙を巻き上がらせた醜悪な猫が、一人の女を担いで連れ去ろうとする様子が墨画調で描かれている。何だこれ。

「これが、鳥山石燕が描いた『火車』という妖怪だ」

「はあ」

 確かに、その猫の絵の右上には「火車」と書かれている。

「猫の妖怪なのか。以前流行っていたあの……」

「石燕の絵では猫だな。お前の言う通り、猫又と同一視されることもあるが、こいつのやることは主人の敵討ちとかじゃない。人をたぶらかすわけでもない」

「いや、そもそも化け猫についての知識すらないからわからないんだが」

 そんな専門的な説明を交えて妖怪ロマンを披露されても困る。

「死人に猫を近づけてはならない、とか、聞いたことないか? 古くから猫が死人を跨ぐことは不吉の前兆とされ、忌み嫌われてきた。火車が死体を連れ去りに来るのだと」

「ふうん」

「そもそも『火車』とは仏教用語で、罪人を地上から引っ張る地獄からの車のことを差す。で、この妖怪もそこから派生した。諸説あるが、棺桶ごとかっさらったり、生きたままさらったり、結構えげつない話ばかりで……」


 スイッチを入れてしまった手前、笹島に対しては申し訳ないがさすがに面倒くさくなった。「あーはいはい」と話を打ち切り、窓を向く。

 車窓の向こうには波打つ海面。地平の彼方に広がる青を眺めて、少し考える。

バスに乗ってきた女について。

 正確には、その髪について、僕は、あれをどこかで見たような気がする。

 あ「れ」でっ。

 今度の衝撃では舌を噛んだ。

 先っちょの方。鋭い痛みも束の間、次はお尻が座席から浮き始める。

 どこかでけたたましいブザーの音。続いて、乗客のざわめきが絶叫に変わる。

無重力になりながら、「ええええええ、おおい! おい!」笹島と二人、互いに顔を見合わせ、僕らも絶叫して。

 その一瞬。

「あ」

 後ろから何かが降ってきた。手のひらサイズで、薄っぺらい。誰かの携帯か?

耳元を通過し、ゴトンと着地したのは、足元ではなくバスのフロントガラス内側。

本来なら道路が続くその先に、あまりにも近すぎる海面が目に入った。


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