第2話
「おす」
バス停に辿り着くなり、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。
声のした方向を振り向くと、列の最後尾に見慣れた顔を見つける。
面長の短髪に、ひょろっとした体格。下の名前は忘れたが、確か、
専攻分野は違うが、同じ大学で、この付近に住んでいるのか、こうしてたまに顔を合わせる。
「ああ、おすおす」
「今日はまた一段と寒いな」
「だな」
適当に挨拶を交わし、自分も列に加わる。
列は自分と笹島を含め四人で、この男を除いて見知った顔がもう一つある。笹島の前に立っているのは、黒縁眼鏡を掛けたスーツ姿の中年男で、この人もバス待ちの時はしょっちゅう出くわす。話をしたことはないのでわからないが、普段から乗り合わすということは、この人もこのあたりに住んでいるのだろう。
だから今回、少し気になっていることがあるとすれば、先頭に立つ茶髪ロンゲの男の方だ、
焦げ茶色の革ジャンパーに、所々煤けたカーキ色の作業ズボン。鞄も何も背負わず、両の手をズボンのポケットに突っ込ませている。
サラリーマンではないことは断言できるが、かといって土木関係の業者にも見えない。
第一手荷物が少なすぎる。
「そういえばさ」
「え? ああ」
笹島に話しかけられ、一旦茶髪ロンゲから視線を外す。
「また出た。放火魔」
「嘘。今度はどこで」
「俺の寮の近く。びっくりしたよ。サイレンがやけに近いなと思えば、一筋向こうにある家がボワボワ燃えていてさ……まあ、幸い、家の人は皆間一髪で助かったみたいだけれどね」
ふあ、と眠そうに欠伸をして、笹島が首を垂れた。
その調子だと、早朝から未明くらいか。ボヤ騒ぎで眠れなかったのだろう。
笹島の言う放火魔とは、最近この町をにぎわしている頭のおかしい奴のことだ。
今朝はニュースを見ていないのでまだわからないが、今聞いたそれが同一犯の仕業とするなら、被害はこれで3件目。いずれも深夜から未明の発生で、その手口も民家ばかりを狙う極悪非道振りである。幸いなことに死者が出たという話は聞いていないが。
「まあ、健全な一般市民としては、一刻も早く犯人が捕まることを願うばかりだ」
「健全? 少なくとも俺にはお前がそうは見えないな」
「ん?」
笹島の言葉の真意を問おうとしたところで、先にバスが到着した。
扉が開いて、茶髪ロンゲを先頭にぞろぞろと中へ入り込む。
地方から地方へ乗客を運ぶバスなので、客よりも空席の方が目立つ。
よって吊革に頼る必要もなく、笹島と目配せした後、後部座席の二列シートに陣取った。
「ああ。今日の講義なんか絶対に頭に入らねぇ」
「毎度のことだろう? 火事のせいじゃない」
それでは発進します、と運転手のやる気のないアナウンスが流れた後、アナウンス通りバスが発進し始めた。椅子に腰を沈め、窓の淵で頬杖をつく。ひんやりとした外の空気に晒されていたこともあって、暖房の僅かな温もりでも一安心してしまう。
「あ、それで気になってたんだがどわっふ」
笹島に話しかけるのとほぼ同時、身体が思い切り前のめりになった。
前の座席に顎を打ち付けた数秒後、バスの車体が急停止したことに気が付く。
「ってえ」
発進したんじゃなかったのかよ。くらくらする頭を持ち上げ、車内を見回す。
他の乗客もバスが急停止したことに戸惑っているのか、現状を確認するかのようにきょろきょろと視線を彷徨わせていた。
「クソ、携帯電話が」
横では、笹島がかがんで足元を手探りしている。
どうやら、急停止した時の衝撃で携帯を落としたらしい。ポケットの位置にもよるだろうが、確かに、携帯くらいポロッと落としていてもおかしくはない衝撃ではあった。ついでにいえば、顎のヒリヒリもまだ治まらない。
「あーもう、どこいったー? そっち落ちてない。ねぇ?」
「うーん。こっちには落ちてないなぁー」
適当に脚を動かし、固い感触にぶつからないことを確認する。
今、視線は足元よりも、フロントガラスの向こう側。
より正確にいうならば、バスの前方に釘づけになっていた。
てっきり猫でも飛び出してきたのかと思ったが、その予想より遥か大物が飛び出してきたらしい。
バス前方直近2メートルもないような道路の真ん中。
そこに、進路を塞ぐようにして一人の女が佇立していた。
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