【セナ視点】 先パイのことが、大好きだった件

 突然のトップアイドルの登場に、誰もが目を疑った。


「どうでしょう、藤枝和紀くん」


 東城美月はぐっと握ったその手を離さない。

 和紀は頬をぽりぽりと搔いてみながらも、美月の目を真っ直ぐに見つめる。


「向こうのステージはどうするつもりなんだ?」


「キリちゃんとサキちゃんの二人が最も得意とするのはステージ上でのダンスなんです。TRUE MIRAGEのライブの最初は、彼女たちの美技で場を慣らしていくのが基本戦略ですから」


 得意げながらも表情を変えずに語る美月の様子をどこかおかしそうに笑う和紀。

 

「ミスティーアイズとのコラボに続いて、TRUE MIRAGEとのコラボという箔があれば和くん・・・の注目度ももっと上がるはずですよ」


 得意げにポニーテールを揺らす美月に、とうとう和紀は堪えきれずに「ぶはっ!」と正大に吹き出した。


「呼び方、作りきれてないぞ」


「はうわっ!?」


 背中から見ていても分かる、慌てた様子で美月の身体がビクンと跳ねた。

 和紀はひとしきり笑った後にすっと美月に手を伸ばしていく。


「分かった。そういうことならよろしく頼むよ、TRUE MIRAGEのセンターさん」


 そう言う和紀の目には、先ほどのような鬼気迫る表情は宿っていなかった。

 どこか楽しむようなその目は、いくら尽くそうとしても香雅里が届かなかった表情だ。


 大きくこくりと頷いた美月は和紀の後を追うようにステージを登る階段へと向かっていく。

 テレビの前で見るような、格好良い姿ではない――年相応の無邪気な少女のような、愛くるしい表情で。


「――うんっ。頼まれた!」


「……お前人の話聞いてた?」


 それに軽く突っ込む和紀の表情すらどこか穏やかだ。


 香雅里は一人、前を行く二人を見送る。


 和紀はピアノの前に座るや否やTRUE MIRAGEがカバーした曲のイントロを弾いていく。

 一部それ・・を知っている観客たちから黄色い歓声が上がり、会場の期待値が急激に上昇する。

 

「そうだったんスね」


 用意していたみちるとのライン会話をそっと閉じた香雅里。


「今度はTRUE MIRAGEだーーーー!?」

「またトップアイドルじゃんやば!」

「なんかいつもよりかわいいー!」

「両方の会場でトゥルミラとか、マジすげーじゃん!」


 思わず聞き惚れてしまう澄んだ声と共に美月がステージ入りすると、会場のボルテージは一気に最高潮まで跳ね上がった。

 

「そのヒトは先輩の後ろどころか、最初から隣にいたんスね」


 ――トゥルミラ、最近どこのチャンネルでも出てるっスねぇ。


 ――日本で一番勢いのあるクールビューティ系のアイドルグループだからな。


 ――そういえばトゥルミラが出てる番組いっつも見てるっスもんね。もしかして和紀先パイ、こないだから思ってたんスけどドルオタって奴っスか?


 ――トゥルミラに関してはそーかもな。ホントすごい奴だよ。ダンスも歌も昔より格段に上手くなってる。相当練習してここまで来たんだろうな。


 己のどす黒い感情で喉が焼き付く。

 いっそ全て吐き出せば楽になれるのに、舌の根が爛れて言葉にもできない。

 そんなの言えるわけがない。

 先パイがようやく己の全力を引き出せる相手が見つかったというのに。

 東城美月が心の底から羨ましく、心の底から妬ましい、なんて。


 でも――。


 和紀が燻って、譜面の提出課題をなかなか出せずにいた時ですら頭の中にはそのヒトの存在がずっとあったというのならば。


「敵うわけないじゃないっスか、そんなの」


 ステージ上で縦横無尽に駆け回り、踊る東城美月のその姿。

 素人目で見てもいつもの動きと明らかに雰囲気が違う。


 いつもは格好良くクールで、場にいる観客から羨望の眼差しで見られる大人びた孤高の雰囲気のライブが多い。

 それが今回和紀の緩急激しいピアノの伴奏も相まって、東城美月の「少女らしさ」が垣間見えるものになっている。


「……っていうか、可愛すぎるっスよ」


 意識なく呟いてしまうほどに舞台上の美月と和紀は輝いていた。

 弾けんばかりの笑顔と和紀のピアノと寸分違わぬタイミングで舞う姿。


 まるで事前に綿密な練習と打ち合わせでもしてきたと言われてもおかしくないクオリティのそれをまんまと見せつけられてしまうと、嫉妬も、後悔も、羨望も全てが消え去ってしまう。


 ――ふと香雅里の携帯に着信が入る。

 滲んできた視界を振り切って、相手の名前も見ずに出る。

 スマホの向こう側からはやけに興奮した声が飛び込んできた。 


『セナちゃん、とんでもない隠し球持ってたじゃない!』


「みちる、さん?」


 電話の相手は佐々岡みちるだった。

 彼女は『く~っ! 悔しいなぁ!!』と興奮気味に呟きながら、ステージ上の彼女を語る。


『うん、明らかに動きが違うもの。テレビで持てはやされてるTRUE MIRAGEとはまた違うね。音楽へのキレも、ダンスも、表情も! 「先パイは凄い隠し球持ってるっスから!」ってセナちゃんが言った時、だいじょぶかな~って思ってたのに……!』


「段違いに輝いて見えるっスね。で見るって感動を越えた輝きが」


『やっぱ分かっちゃうよね! そう、ちゃんとアイドル・・・・してる。ホント、私が焼いちゃうくらい相性ぴったりじゃない。これ、いよいよウチも危なそうだな~。観客もみんな虜になっちゃってる。私の時以上かも』


「そっスね。多分、見てるのは観客カガリたちじゃ、ないっスけどね」


『あれ、セナちゃん?』


 口を開けば開くほど、言葉がなかなか出てこない。

 掠れて、震えて、前進から力が抜けていく。

 視界がぼやけて、頭の中ではうわべを取り繕おうとする言葉だけがぐるぐるとまわっていく。


 ――先パイのピアノが好きだったはずだった。


「ホント、ずっと言ってたじゃないっスか。先パイは、凄いんスよ。カガリは先パイの、ピアノが大好き、っスからね」


 和紀のピアノは、香雅里の人生を変えてくれた。

 和紀のピアノは、誰にも負けない世界一のピアノだ。

 香雅里はそれをずっと追っていたのだから。

 無気力で、何にもなくって、空っぽで――残念な香雅里だった高校生の時からずっと。

 でもそれ以上に、こんなにも心がぐちゃぐちゃになってしまうほどに。



 ――その美しいピアノを超えて、先パイのことが大好きだったんだ。




『……そっか』



 電話越しのみちるは一言同意だけして、それ以上は何も言わないでいてくれた。


 

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