【セナ視点】 先パイの表情が鬼気迫っている件
B会場の舞台裏で、香雅里はしきりにスマホの時間と和紀からの連絡を待っていた。
公演開始まであと5分。
舞台裏でも音楽祭委員の生徒がしきりに和紀の所在を聞いてくるが、香雅里は何も知らされていない。
むしろ香雅里が一番知りたいくらいだ。
「先パイ、何してるんスか……! あと数分でもう公演始まっちゃうっスよ……!」
E会場でミスティーアイズとコラボした影響が観客の中では相当大きかったらしく、今回B会場へと上がった和紀へ掛かる期待度もこれまで以上に跳ね上がっていた。
この会場にも既に開始前から700人ほどの人が詰めかけている。
また佐々岡みちるとの夢のコラボが見られるのか、はたまた別の大物がゲストとして登場するのか。
「どちらにせよカガリもまだ何も聞いてないっスよ……。いや、でも先パイならワンチャン凄い秘策を思いついていたり――? こっちも秘策あるといえばあるっスけど……」
そう独りごちながら香雅里はスマホを見つめ続ける。
ここまで会場を昇格させてきた和紀には不思議な力がある。
ストリートピアノ形式であそこまで動員数を上げたのも、一大学生がミスティーアイズのトップボーカルをも動かしたことも、普通では為し得るようなことではない。
香雅里もまた、観客同様に和紀に期待している一人になっているのだから。
――と、ふと舞台裏のスタッフがザワつきを見せ始める。
その騒がしさの中心人物は、息を切らせながらようやく現れた。
「遅れて悪かったな、セナ。何とか間に合った!」
「……先パイ! ホントっスよ! どこ行ってたんスか!」
気付けばポスポスと和紀の肩にグーパンを入れていたセナ。
その心は、心配と安堵でいっぱいだった。
「で、今度の戦略はどうするっスか?」
この20分。和紀がただ行方を眩ませた訳では無いことを香雅里は知っている。
どこか他の所で何らかの交渉をしてきたか、またはもう一度みちると濃い打ち合わせをしたのかはしらないものの、何か凄いことをしてくれていることだろう、というそんな幻想を――。
「いやぁ……どうしよう。ヤバいな、ホントにどうしよう……ヒトいっぱいいるな」
「……ふぇあ?」
――目の前の先パイは、ものの見事に粉砕していった。
「これからの戦略練るための用事だったってことは……!?」
「いや、悪い、全然関係ないんだあれ。セナも舞台上がったら怒られるしな。いやぁ、割と詰んでるんだよな。……復活したばっかの美月に声かけるのなんだし、掛けられるとしても第5公演だろうしな」
最後にボソリと呟く和紀の言葉は、香雅里の耳には届かずにいた。
香雅里としてはそれどころではなかったからだ。
あまりの衝撃に思わず頭を抱える。
頂点まであと一会場。
すぐ隣の会場ではもうそろそろTRUE MIRAGEの特別コンサートが始まる。
ただでさえ客が食われる可能性が高い上に、他の会場も最後公演を有終の美で飾るべく本気のプログラムを組んでいる所が多い。
言わば第4公演は最大の勝負所なのである。
まさか何も策がないとは思っていなかったが、こういう時の備えのために香雅里の秘策があった。
「ふふん、仕方ないっスね。そんな先パイに朗報っス!」
そうして自信満々に香雅里はスマホを見せた。
開かれたライン画面に書かれていた相手はミスティーアイズのセンター、佐々岡みちるだ。
『やっほーセナちゃんお疲れさま! もし第4公演でも皆が私を待ってるようならいつでも呼んでね!』
『ありがとうございますっス! にしてはみちるさんの姿見えないっスけど……』
『もうステージの前で見てたりはしないよ。先輩くんが先輩くんだけで頑張るって決めたんなら私はお邪魔さんだもん』
『なるほどっス』
『でもセナちゃんのためなら、いつでも一肌脱ぐからなんでも言ってよね! 準備運動はバッチリしておくから!』
一連の文言を読み終わった和紀は、若干引きつった笑みを浮かべていた。
「い、いつの間にライン交換なんてしてたんだ……?」
「? ついさっきっスよ。お話しやすくて大変助かるっス」
「流石のコミュ力が過ぎる。……ありがとうな。こんなに協力してくれて」
いつものように優しく頭をポンポン撫でる和紀。
香雅里はむず痒さと嬉しさで目を細める。
「でも大丈夫だ。指ぶっ壊れてでも観客湧かせてくるから」
ベリベリと湿布とテーピングを剥がす和紀の姿からは、若干の痛々しさと異質さが感じられた。
「あいつとコラボする時は最高の舞台と、最高の条件でやって、絶対に勝てるって分からせてやらないとだからな」
「せ、先パイ……?」
ゾクリ――と。
並々ならぬ覚悟を放つ和紀の後ろ姿を見て、香雅里は小さく手を伸ばす。
だが、その袖を掴むことは出来なかった。
和紀が和紀の信念を持って戦いに出ると言うのならば、香雅里は信じて送り出すしかない。
――何がそこまで先パイを駆り立ててるっスか?
ずっと気になっていた。
和紀のピアノが復活してくれたことは何よりも嬉しかった。
だが、その出来事はあまりにも唐突すぎるものだった。
KAGARI楽器製作所の一人娘として、普段はわがままを一つも言わなかったのに和紀のアパートを丸ごと買い取ってもらった。
そうすることで、いつか和紀がピアノを弾くことに目覚めたときに思う存分練習出来るように環境を整えたかったからだ。
そして実際にその日はやってきた。
和紀が急にピアノを弾きだして一ヵ月、TRUE MIRAGEのアレンジ曲を中心に譜面と睨めっこをすることが多くなった。
物置場と化していた和紀の部屋の電子ピアノは常に電源が付くようになっていた。
音楽祭に向けて毎日毎日練習して、元の勘を戻そうと奮闘していた。
それまで試験日前しかピアノを弾かなかった和紀が、今や音楽祭で2番目に大きなキャパを誇る会場で、指をあんなにボロボロにしてまで頑張ろうとしている。
――
考えないようにしていた。
和紀のピアノが復活してくれたのならばそれは何より嬉しいことだ。
ずっと和紀の本当のピアノが聞きたかった。
今、ようやくその夢が叶おうとしている。
和紀のピアノがずっと好きだったのならば、それでいいじゃないか。
――なのになぜ、こんなにもモヤモヤしているのだろう。
考えずにはいられなくなっていた。
和紀と誰よりも長い時間を過ごしたのは香雅里自身である自負があった。
それに、みちると初めて会ったラーメン屋では告白紛いのことまで言ってしまった。
きっと彼をこの手で奮い立たせられるだろうとさえ思い始めていた。
なのに鬼気迫る表情でステージに上がろうとする和紀の手一つ握れない。
多分その表情を向けられている相手は、自分じゃないだろうから。
「……先パイ」
ポツリと呟いた小さな言葉すら、和紀にまで届かない。
舞台裏からステージ袖までのたった数メートルが、果てしなく遠く感じた。
彼のすぐ後ろを着いていっているつもりだったのは、もしかしたら自分だけで――。
その時、ふと視界の端に艶やかな一房のポニーテールが揺らいだ。
モデルようなすらりとした体躯にキリッとしたクールな目つき。キュッと引き締まった口と小さく美しすぎる顔。
「失礼します」
クールな美貌から放たれた、大人の魅力に溢れる高く澄んだ声。
同性から見ても惚れ惚れし憧れるほどの格好良さを持ったその女性は、香雅里が伸ばせなかったその手を瞬時に追い抜いた。
「マネージャーからの許可が下りましたので、よろしければ私も参加させて頂ければと思います。先ほど、ミスティーアイズの佐々岡みちるさんとコラボレーションしていたようなので」
和紀の手首をガッチリとその手で掴んだ少女は、クールな笑みを浮かべて言い切った。
「今度はわたし――TRUE MIRAGEの東城美月と、コラボレーションしていただけませんか?」
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