第44話 幼馴染みがアイドルの顔をしていた件

『ジャズバンドLOCK STARァァァァァッファイッ!!!!』

『ォォォォォオオオ!!』

『イケイケどんどん会場上げるぞォォォォォッファイッ!!!!』

『オオオオォォォォ!!』


 1階で行われている円陣の声が2階にまで響いていた。

 誰もやってこない2号館の長いソファ。

 うずくまる美月の隣に俺は静かに腰を落とした。


 カシュッ――と。

 俺用に買ってきたチョコチュロスを一口噛めば、砂糖とチョコの気怠い甘ったるさと、じとっとした油が口の中に広がっていく。

 だが年に一度の学祭のチュロスともなればそんな味も自然と全てが美味しく感じられた。


「チュロス美味いな。チョコ味もこれはこれで味ちゃんと染みてる」


 美月は俯いたまま、ずずずとつぶつぶ入りのアップルジュースを飲んでいた。

 そのままぷはっと小さく息を吐いた美月は、俯き気味の体育座りから体勢を変えること無く呟いた。


「来るの、早いよ」


「もう少し遅れて来た方が良かったか?」


「……や、ありがと」


 言うと美月は、こてんと身体を俺の方へと預けた。

 小さな頭が肩口に乗る。

 こういう時は、大概何かを言いたいのになかなか言い出せない時だ。

 昔からの美月のクセは、未だに治ってなかったらしい。まぁ、分かりやすくてこっちとしてはありがたいけどな。

 美月の方にシナモンシュガーのチュロスを差し出すと。


「ん」


 美月は申し訳程度に口を開いた。


 ――食わせろってことかよ。


 美月の口元にチュロスを持ってくと、かぷりと小さな口でかぶり付く。


「おいしい」


「小学生か」


「むぅ、じゃ和くんも食べてみてよ。シナモンたくさんおいしいよ」


 今度は美月がチュロスを俺の口に近付けてくる。


 いや、というか、これは、流石に間接……!


 美月の口端にはシナモンの粉が少量ついている。

 とはいえ改めて表情を見ていると。

 いつものように、にへらっとしただらしない笑顔を魅せる幼馴染み・・・・ではないもう一つの顔がそこにはあった。

 クールビューティーなトップアイドルTRUE MIRAGE不動のセンター、東城美月として、すらりとしたスタイルを十全に活かしたアイドル風のナチュラルメイクだ。

 キリッとした目つきに毛先の一本まで整った美しいポニーテール、真っ白な頬にぷるんと艶のある唇。

 そんな余所行きの格好良い美月がシナモンをぺろりと舐め取るその姿は妙に艶めかしい。


「お、俺にはチョコのがあるから、間に合ってる」


「だめ。食べるの」


 なのに対応はいつもの幼馴染み対応だ。美月としての二つの顔が一度に襲ってこられては、こっちの脳ミソがやられそうになる。

 今日はいつも以上に美月からの押しが強い日だ。

 負い目もあって逆らえるわけがない俺は、仕方無くされるがままにチュロスを頬張った。


 じっと隣でこちらを見続けてくる美月の影響があまりに大きそうだ。

 砂糖の甘さとシナモンの香りが口いっぱいに広がるが、味自体がどうもうまく伝わってこない。


「……オイシイ」


「あははっ、和くんも小学生みたいだよ」


 からかうように笑って、美月は目元を拭った。

 ここに来て初めて見た美月の笑顔だった。

 少しだけムキになった俺は、今度はチョコチュロスを美月の前に持っていく。

 間接キスを少しだけ気にした俺の心を味わうといい……ッ!


「じゃ今度はチョコの方食べてみると――」


「はむっ」


「――秒で!?」


「これもおいしい。帰りにチョコも買おっかな」


「まだ行けるのか!?」


「む、確かに。わたしが行く頃にはもう売り切れちゃってるよね、そっか……」


「そういう問題じゃないと思うんだが」


 真剣に考え込み始めた美月が、世間で知られるクールビューティーなイメージとはあまりにかけ離れすぎて思わず笑ってしまう。

 すると、ふとジジジと校内放送のノイズが入ってからアナウンスが流れる。


『音楽祭出場者各位に伝達します。第4公演15分前です。出場者は所定の会場へ移動して下さい。繰り返します――』


 時計を見てみれば公演開始の15分前だ。

 帰ればセナがそれなりに怒ってるんだろうなぁと思いながら、俺は呑気にチョコチュロスをサクッと頬張った。


「迷惑かけちゃって、ごめんね」


 やっと顔を上げてくれた美月が絞り出すような声で言う。

 

「迷惑なんて掛かってないから気にするな。それに謝るのはこっちの方だしな」


「……なんで」


「いくら非公式とはいえ、TRUE MIRAGEより先にみちるさんとコラボするのは間違ってた。もっと別の方法を探すべきだった。本当にごめん」


 言うと、美月は俺の手をぎゅっと握ってきた。

 貼った湿布のヒンヤリ感が強まっていく。


「こんなにボロボロになってまで考え抜いた方法が、間違ってるはずがないよ。それに、みちるさんとのコラボもホントに格好良かったもん。キラキラしてて、とっても熱くて。……だから、ちょっとわたしが耐えられなかっただけで」


 美月は俺の腕をぐっと掴んだ。


「日本一のアイドルと日本一の演奏家が組んじゃったら、わたしは何も勝てるものがなくなっちゃうって。和くんが、どこか遠い所に行っちゃう気がして……なんとなく」


 最後の方にボソッと言うのが、何とも可愛らしかった。


 まるで離さないように身体をさらに俺に預け始めた美月。

 その手には力がこもっている。


「じゃやっぱダメだ。俺は美月が悲しむような演奏はしたくない」


「和くん、なんか、頑固になっちゃった?」


「頑固でけっこう」


 美月はクスリと笑った。

 抜け殻になっていた俺をここまで復活させてくれたのは間違いなく美月のおかげだ。

 美月がこんな俺を未だに見ていてくれた。俺にピアノの楽しさを思い出させてくれた。手の届かない所まで行っていた幼馴染みと、今もこうして楽しく話せるようになった。


 ゴールがゴールではあるが、そんな美月の目標を叶えられるのならば何だって協力したいと言ったのは俺の方なのだから。


「そもそも美月は一つ勘違いしてる」


「……かんちがい?」


「日本一のアイドルはみちるさんじゃなく、美月だってことだ」


 俺の断言に、美月は本気で頭に疑問詞を浮かべているようだった。


「売上げもランキングも負けちゃってるし、ライブ会場のキャパも敵わない。それに……多分みちるさん、わたしのこと眼中にないのに?」


「それは美月の全力が誰にも引き出せてないからだ。格好付けて言えば、美月の限界突破がまだって所だろうな」


「おぉぉ、カッコいい。でもなんで、そんなのが分かるの?」


 なんで――とは、何でだろう。


「美月のダンスは俺が小学校から一番見ていたし、あの時から今に至るまでずっと美月のファンだったから……か? 美月の全力は俺が一番引き出せるのは昔から思ってたことだし、いや、でもそんな当たり前のことは何でには入らな――」


「わ、分かった。うん、とっても分かった! もうだいじょぶ! もうだいじょぶだよっ!!」


 全てを言う前に美月に口を塞がれてしまった。

 指についたシナモンの甘さが口の中に入ってくるほどに押しつけてくる。

 その状態のまま、美月は顔を真っ赤にしたままで言う。


「わたしでも、みちるさんに勝てるかな」


ふぁああぁはふぇう勝てる


「……そっか、勝てるんだ。そうだね、和くんが言ってくれてるんだもんね」


 言って、チュロスの残りをまとめて咥えて美月は静かに立ち上がった。


「美月?」


「ありがと、和くん。もう大丈夫」


 背中を見せるその姿は、まさしくトップアイドルの様相だった。

 綺麗な歩幅で2号館奥へと向かうアイドルに、俺は言う。


「出口あっちだぞ」


「お化粧直しするの。たくさん泣いちゃったから。だから――先に行ってて・・・・・・


 先に、の意味が分からなかったがあの様子なら本当に大丈夫そうだ。


「分かった。公演終わったらそっちのライブも見に行く。頑張ろうな」


 すると美月はくるりと身体を反転させて、幼馴染みとしての・・・・・・・・満面の笑みで言い切った。


「わたしも和くんの力になりたいから、頑張るっ」


 走り出した美月の後ろ姿を見て安心した俺は、チョコチュロスの最後の一口を無理矢理口の中に詰め込んだ。

 第4公演の始まりまでは、後5分を切ろうとしていた――。

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