第43話 幼馴染を泣かせてしまった件

 TRUE MIRAGEのライブは15時半からの予定だ。

 白井さん曰く、美月は電話でも連絡が取れない状況だという。

 今の時刻は14:50過ぎ。第4公演とTRUE MIRAGEのライブ時間まではあと30分ほどしかない。

 みちるさんが完全に帰ってしまった現在、俺とセナは次なる会場への下調べを行っていた。

 ついにキャパも1000人を越える。今まで以上に厳しい戦いを強いられるなかで、大体の客の流れを今一度把握しておきたかったからだ。

 だが、たった今そんなことをしている場合では無くなった。


「先パイ、いきなりガッチリ固まっちゃってどうしたっスか? 大丈夫っス。カガリが精いっぱい緊張解してあげるっスから」


 あの舞台以降からなぜか頬を紅潮させているセナは俺の真横で言う。

 それに距離感が近い気がする。俺とみちるさんが代わりに運営に怒られたことを知ってか知らずかセナは心底嬉しそうだ。

 セナが嬉しいならそれに越したことはないけどな。

 そんなセナの肩をポンと叩いて、俺は広々とした会場を見渡した。


「セナ、悪い。用事が出来た。俺ちょっと出てくる」


「――っては!? 次の公演まであと30分しかないっスけど!?」


「大丈夫だ、ちゃんと戻ってくる」


 スマホを片手に握りしめて、俺はB会場である正門前屋外ステージの舞台を駆け下りようとする――が、セナが袖を握って離してくれない。


「そ、その用事ってのは、さっき来た誰かからの連絡と、関係はあるっスか?」


 妙にぎこちない様子でセナが再度、袖をぎゅっと握ってくる。その手は少し震えているようでもあった。

 

「……ああ」


 こんな曖昧な応えしかできない申し訳なさがあれど、全てを言うわけにはいかない。


「それは、先パイがそんなになってまで全力で頑張ってきたことよりも、大事なことっスか!」


 セナの目線の先には湿布で固められた俺の指がある。

 休み無く勢いと気迫でゴリ押すスタイルのピアノは、もちろん身体への負担もそれなりにはある。

 アイシングと湿布治療で既に30分ほどの時間を取られている以上、ここで会場の下見を行わないことはステージ降格の危機もそれだけ増えるということだ。だが――。


「……悪いな。俺が行かなきゃいけないことなんだ」


 これまで美月はどんな舞台でも途中で投げ出すなんてことはなかった。

 人前に出るときは常に体調を万全にしてきているし、信頼しているマネージャーである白井さんからの連絡すらも受け取らないなんてことは有り得ない。

 それこそが美月のトップアイドルとしての矜持だったはずだ。


 美月に何かあったというのならば、俺が動くしかない。俺が美月を探し出して説得する。それが東城美月のもう一人のマネージャーの仕事であり、美月の幼馴染みでもある俺の役割なのだから。


 セナは「ふぅっ」と小さく息を吐いて呟く。


「……了解っス。その代わり、ここまで来たからには絶対トップ取りに行くっスからね。サクッと用事済ませてくださいっス」


 ぱっとセナは手を離してくれた。


「助かる。ありがとう」


 念を押すように言って背を押してくれた彼女に小さく手を振って、俺はすぐに会場を後にした。


 再度スマホに目を向けながらラインでの美月の名前を探し出す。

 美月がこんな時に行きそうな所といえば……どこだ。

 人が多いところを歩いているならそれなりに騒ぎになりそうだし、じこんな短時間でそれほど遠くに行っているとも思えない。


 早歩きしながら美月へ電話着信を鳴らす。

 白井さんからの電話に出ないんだったら、俺からの電話にも出てくれることはないだろう。


 どこから、どこから探せば――!



『あ、和くんだ、やっほ』



 ――ワンコールだった。


 

「み、美月……!?」


『なに驚いてるの、和くんから電話してきてくれてるのに』


 声が若干くぐもっているような気がした。

 俺は走るのを止めて少しだけ息を整える。


「白井さんが探してたぞ。ライブ前なのに姿が見当たらないって。でも連絡ついてよかった。な、今どこにいる――」


『みちるさんとの共演、カッコ良かったよ』


 俺の声を遮るようにして、美月はぽつりと呟いた。


『次、B会場なんだって聞いたよ。おめでと。和くんってば、やっぱりすっごいなぁって思った』


「……美月?」


 その声はやはりいつもとは訳が違った。

 どこか思い出したくないものを持ってきて絞り出しているかのような、哀しい声だ。


『みちるさんとのコラボ、ホントに即興? ってくらいに息ぴったりだったもん。後輩さんとのデュエットも盛り上がってたし、お客さんもすっごく熱気があったね。和くんのピアノも、勢いあって、迫力もあって……色んなところからお客さんがどんどん会場に来てるの見てね。見てる私も、和くんがどんどん認められてくのが、嬉しく、なって――』


 美月の声は上ずっていた。

 その瞬間、俺は全てを遅れて理解してしまった。


 ――俺は、馬鹿だ。大馬鹿だ。


 今回、俺はとにかく会場を大きくすることを考えていた。

 A会場に行って大舞台で最大限力を発揮することこそが、TRUE MIRAGEの今後に繋がるとさえ思っていた。

 上に行くために使えるものはなんだって使う――つもりが、それ以前の問題だ。一番大事な所を失念してしまっていた。

 マネージャーとして失格……どころか、美月の幼馴染みとしても失格だった。


「美月、分かった。大丈夫だ、もう話さなくていいから。どこにいるかだけ教えてほしい」


『……やだ。おしえない』


「じゃこのままほっといたらライブまでに帰って来れるのか?」


『……がんばる』


「絶対無理なやつじゃないか。場所さえ教えてくれたらチュロスとジュースは買ってくから。腹ごしらえして頑張ろう」


 苦し紛れにそう言うと、数秒の間を置いて電話口からくぐもった声が聞こえてくる。


『……シナモンたくさんまぶしたやつがいい』


「任せろ埋もれるほどかけて行く」


『ジュースはアップルがいい』


「昔からリンゴ好きだったもんな。つぶつぶ入ったやつな?」


『うん。つぶつぶの売ってるの?』


「ボイスパーカッションサークルがな。すぐ買える。目の前にあるからな」


 会話が続くと、少しだけ声が明るくなってくれた。

 だが場所だけは頑なに教えてくれない。


 どうしたものかと考えつつもチュロスとアップルジュースを買い並んでいるうちに、ふと電話越しから聞こえてくる音があった。

 サックス、トランペットなどの管楽器類のものだ。


 俺は急いでスマホの会場通知を見た。

 吹奏楽アカデミーがやっている体育館ホールならもう少し違う音も聞こえてくるだろう。

 少数の管楽器を用いる組の次会場となれば――。


 2号館アンサンブルスタジオ、ジャズバンド《LOCK STAR》か……!


 チュロスとアップルジュースを手に急いで2号館へと向かう。奇跡的に電話は繋がったままだ。


『でも和くん、こんなことしてる場合じゃなくないの?』


「こんなことしてる場合じゃなくない。美月がそんな状態のままの方が俺は嫌だ」


『会場上がらないと、白井さんに怒られちゃうんじゃないの?』


 2号館の正面を突き抜け、楽器の最終確認をしながら円陣を組む《LOCK STAR》の面々を横目に階段を駆け上がる。


「かもな。まぁそれでもいいんじゃないか――」


 そして駆け上がった先には、隅っこのソファの上で体育座りをしながらうずくまり、小さくなってスマホを耳につける幼馴染みの姿があった。


「幼馴染み傷つけたツケより大事なもんはないからな」

『幼馴染み傷つけたツケより大事なもんはないからな」


 美月は俯いていた顔を上げる。


『和くんだ』

「和くんだ」


 美月の目尻と頬が、少しだけ赤くなっていた。

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