第40話 トップアイドルがご機嫌だった件
帝都音大の空気は、未だミスティーアイズの余韻が抜け切らずにいた。
今までの会場は全てが室内だったから分かり辛かったが、現役トップアイドルが作り出した空気はここまで長く尾を引くものだったのかと少々驚きを隠せない。
浮き足だった空気の中で、ピンポンパンポンと軽快なチャイム音と共に運営のアナウンスが流れ出す。
『音楽祭出場者各位に伝達します。14時から始まる第3公演の15分前になりました。出場者は所定の会場へ移動して下さい。繰り返します――』
午後からの部は14時から、15時30分から、16時30分からの3公演だ。
午前の部はJ会場(キャパ15人)のスタートからだったのを考えると、今のE会場(キャパ500人)は相当のものだ。
会場へ行く道を歩きながらセナは正直に呟く。
「せ、先パイ、ストリートピアノ作戦は継続っスか……? これだけのキャパはカガリでも捌き切れる気がしないっス……。もしお役に立てなかったら、ごめんなさいっス」
「大丈夫だ。これまでセナはよくやってくれてる。屋外になるってことで運営には機材追加は頼んでるしな。これで少しは音でお客さんを拾って来れればいいんだが……」
元より、狭い範囲と少人数を相手にこなしてきたストリートピアノが通用するとは俺も思っていないものの――。
今できることと言えば、屋外ピアノ用に音声増幅のためのパワーアンプにスピーカーと、より遠くまで音を響かせるようにしてもらうことだけだ。音割れが怖いがな。
ピアノ単体で勝負となると、室外は音の反響もなく室内より部が悪いのは元より承知している。
「屋外は
I
「ほ、本格的に大ピンチってやつじゃないっスか……!?」
分かりやすく頭を抱えるセナだが、何とか打開策を見つけようとしてくれている。
いよいよ舞台袖に向かうとなると人通りも少なくなってきた。
そろそろ出番が始まる、そんななかだった。
「あ、やっほーセナちゃんだ! 元気してる~?」
チュロスをもぐもぐと頬張って俺たちの前にあらわれたのは――。
「み、みちるさんっス!?」
――天下のトップアイドル、佐々岡みちるさんだった!
彼女の艶がかった長い茶髪がふわりと風に乗る。黒いサングラスを外せば、その真っ直ぐな瞳がセナと俺に向けられる。
白いボタンが可愛く添えられたベージュの半袖トレンチコートとバーバリー風のチェック柄を合わせたような服に、丈の長いスカート姿。まるで衣装だと言われてもおかしくはないほどの可憐さを兼ね備えている。アイドルは私服姿すらもお洒落だった。
そこにいるだけで圧倒的な
「あ、先パイくんも一緒だ。どもども、みんなのアイドルみちるさんです! 会場アップ順調みたいだね、さっすがセナちゃん!」
「メインは先パイのピアノっスけどね」
「え、そうなの!? 先パイくんが伴奏してセナちゃんが歌ってってタイプじゃなかったんだ!?」
「出場登録は先輩だけっスから。セナはあくまでお手伝いっス」
セナは少し素っ気ない様子でみちるさんの質問を受け流す。
「へ~~。じゃ案外、先パイくんのピアノも相当な腕前なんだ?」
「ふふん。先パイのピアノは世界一っスから」
何でお前が自慢げなんだ。
「ふーん。でもそっか、お手伝いか~。オーケストラの子は合いの手入れたりしてたし、和楽器ロックのとこに至っては、尺拍子やら鳴子なんてお客さんに渡して一緒に曲演奏してたりするみたいじゃない。音楽は舞台上だけがパフォーマンスじゃないんだから。お客さんは元より演者自身もどんどん気持ち巻き込んで、もっともっと楽まなきゃね、セナちゃん」
「……っス。先パイのお役に立ててる今も、充分楽しいっスけどね」
「なら良し!」と笑顔で、セナの頭を優しく撫でるみちるさん。
セナは撫で撫でに抵抗することもなく、しぶしぶといった感じで受け止めているようだ。
「でも音楽が本当に好きな人はたぶん、聞いてるだけじゃどうにもならないことってあるから。勝手に身体が疼いちゃうっていうのかな? そんな音楽に出会えること祈ってるよ」
「みちるさんはこれからどこへ行かれるっスか?」
「そうなんだよね~。ちょっとここらをまわって満足したら、歌い足りないしカラオケでも行ってみよっかな~って。さっきのはグループ版のヴァルクロだったけど、ソロのも久々歌いたいし。それに最近ヴァルクロ担当してから久々にアニメ熱高まってきてね。私たちアニメカバー曲とかもたくさん出してるじゃない?」
「『恋のトライアングル』の『サザンクロス』に『チューブラベラー』とか、めっちゃ好きっス!」
「え~知ってくれてたんだ、ありがとうセナちゃん! そそ、だからなおさらね。2時間だけじゃみんなに楽しんでもらえるのにも限界があったもん」
確かに、それは会場の空気が未だミスティーアイズに浸っていることから間違いは無いだろう。
その空気を機敏に察知しているこの人は、やっぱり根っからのアイドルなんだろうなと俺たちに思わせるには充分だった。
去り際にサングラスを掛け直して、華麗に手を振っていくみちるさんは――
「あ、そういえば言い忘れてた!!」
何かを思いだしたかのように、セナに耳打ちをした。
(こないだの話、気が向いたらよろしくねっ)
俺に聞こえないように呟いた後、今度こそ舞台裏に戻っていくみちるさん。
相変わらず、掴み所のない人だ。
だが。
みちるさんの言葉が何度も頭のなかで繰り返される。
観客でも何でも使えるものは全て使うし、ノれるものは全てノってこその音楽こそが、J会場から続けてきた俺の音楽だった。
舞台上に置かれたピアノ。周りには増幅装置である機材が置かれている。
今までとは少し趣向の違うセットだ。
舞台袖まで来てセナ言う。
「結局先パイ、大丈夫っスか? その、リクエスト聞きに行かなくて」
「あぁ、それよりセナ。ミスティーアイズがカバーしたアニソン曲、覚えてるか?」
「なるほど! ミスティーアイズ色に染まってるからそのカバー曲を攻める作戦っスね! 確か……さっき言った、《恋のトライアングル》OPの『サザンクロス』、『チューブラベラー』。《ヴァルクロ》EDの『鞘の中で眠る』とか、後は――」
「いや、とりあえずそれだけあれば大丈夫だ。あとは随時いつものようにイヤホンで追加しといてくれ。知ってる曲ばっかならこちらとしてもやりやすい」
「……はぁ」
――音楽が本当に好きな人はたぶん、聞いてるだけじゃどうにもならないことってあるから。
みちるさんは断言した。
――人を魅了させるエンターテイメントな音楽、期待してますよ。
長年アイドルのマネージャーをやっている白井さんは、俺を試すように言っていた。
その言葉の中に入っていた「人」が観客だけではないのならば――。
皆に歌ってもらえるような伴奏をしていけばいい。こちら側のセナさえも思わず歌ってしまうような、一体感のあるエンターテインメントを目指して。
時刻はちょうど14時。第3公演の始まりを知らせるブザーが会場内に響き渡っていった。
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