第36話 後輩のおかげで会場昇格を勝ち取れた件

 鍵盤を強く押し込みながら、俺はミニライヴの時のことをふいに思い出していた。


 ――ピアノの人めっちゃうまかったー! もっと聞きたい! もっかい聞きたい!!


 ――悪いなぁ、アンコールは厳しめだ。指が吊っちゃってな……。


 たった4分16秒の曲を本気で1回弾ききっただけであのザマだ。


『一つ、お伝えしておくべきことかと思いましたので』


 あの後、白井さんに話し掛けられたことは今でも覚えている。


『そうですね、40分間。和紀くんがTRUE MIRAGEのライヴに本格参戦するとなれば、おおよそ40分はピアノを弾き続けられるほどの体力はほしいです』


 通常ピアノリサイタルであっても、40分間×2セットを本気で弾き続ける体力を要求される。

 その上ライヴともなると拡声器を使ったとしてもその時のファンの熱気や応援などにより音はさらに届きにくくなる。

 そしてTRUE MIRAGEキャストの耳に確実に音源を届けねばならないことを考えると普段の2倍ほどの音量が必要になるだろう。


『和紀くんの音楽センスは誰もが認めるものでしょう。ですが、もし生演奏を舞台上でするとなるならば、音楽を奏で続ける持続力も頭に入れておいてもらえればと思います』


 たかだか1曲4分程度でバテている場合などではないということだ。


「お、来たっスね。何かリクエストがあればカガリの先輩がパーフェクトに弾ききってくれるっスよ」


「え、マジっスか! そりゃやべっス! じゃ『ロマンティック列車』とか……弾けたり? ほら、ミスティーアイズの……」


「ん、行けるっスよ」


 一応曲は知っている。記憶とセナからの音源を探ればいけそうだ。

 『夏のソナチネ』の曲に意識を重めに割いても大丈夫だな。


「お、俺はボカロPの『黙れクソ雑魚ナメクジが』とか聞いてみたいっス!」


「もちろん行けるっス」


 初耳だ。セナのスマホから音源提供がなければ100%死ぬ。

 というか物騒な曲名だな。


「あたしトゥルミラのアンブレイカブル聞いてみたーい」


「ウチの先パイ、極度のトゥルミラドルオタっスから100%行けるっスね」


 初耳どころか聞いた回数だけなら100回はくだらない。

 訂正するとしたら100%行けるではなく、1000%行けるってところだ。

 目を瞑っても弾ける。美月パートならアレンジは10種類ほどお手の物だ。


 既にイヤホンからはふんわりと覚えているミスティーアイズの曲が流れている。

 予約曲は3曲先まで埋まった。残り時間はあと17分。まだ体力は充分に残っている。


 ピアノを弾き続けられる体力を身につけるには主に二つ。

 一つ、普段から指動かすための基礎である「ハノン」を忠実にこなす。

 一つ、曲を繰り返し練習して、無意識にでも鍵盤を押せるように指の動きを脳ミソにすり込んでいく。


 ハノンは毎日忠実にこなすようにした。腕の吊りはおかげさまで少しずつなくなってきている。

 この30分では常に指を動かし続ける必要があり、初見の曲も瞬時に聞いて理解し、アレンジコードを構築しアウトプットしていく必要がある。

 後はこの本番さながらの緊張感のなか、観客の期待感に応えるためにノーミスで弾ききることは絶対に経験の糧になる。


 パフォーマンスありきの音楽エンターテインメントはノーミスであればあるほど、曲を繋げ続ければ繋げ続けるほど、その技術に対する驚きと感動は指数関数的に上昇していく。


「もしこの会場が気に入って下さったら、色んな人のリクエスト曲お待ちしてることをお友達さんにも伝えてあげてほしいっス~!」


 くわえてセナのコミュ力のおかげで曲を聴いて笑顔で帰ってくれる人へ宣伝も忘れること無く、通りがかった人はほぼ確実に立ち寄らせることに成功している。


「リクエスト、ですか」


 そして一人の女性が、セナによって引き留められた。


「はいっス! 会場盛り上げるようなアップテンポの曲だとピアニストも気分が乗ってくれるっス!」


「そうですね、じゃ、歌い手さんのアレンジなんですけど……! あ、でも全然有名じゃ無いから知らないですよね……!」


 場が温まってきたと感じるや否や、人集めと同時に勢いで盛り上げる曲をリクエストしてくれるように誘導もしてくれている。

 だが、セナの活躍はこれでは止まらない。

 通りがかる人が増えてきた瞬間を見計らって入室間際の女性――そして周りをも巻き込むかのようにセナはプレゼンを始めた。


「いや、知らない曲でも大丈夫っス。ウチの先輩、ちょっと頭バグっててその場で聞いた曲すぐ弾けるみたいなんで」


「え、えぇ!? で、でも今別の曲を……!?」


「あんま関係ないらしいっス。ね、先パイ?」


 冷や汗混じりに頷く俺。

 周りの人の視線が一斉に刺さり始める。


 『夏のソナチネ』からミスティーアイズ『ロマンティック列車』へ繋げるための転調箇所を探しつつ、俺はこくこくと頷いた。


 すると今度は隣の男性がからかうように言う。


「じゃ難易度激ムズのアニソンって言われてる曲とか行けたりすんの?」


「ぜひ中で確かめてもらえれば……っスね! どの曲っス?」


「えっと、確か――」


 セナの誘導で続々と人が入ってくる。

 楽曲もアップテンポで迫力のある曲が増えてくる。

 みんながみんな、「この曲が弾けるならばそれ以上に難しい曲だとどうなるんだろう?」という興味本位でリクエストしてくるようになるからだ。


 もちろんその全てに応えていく。

 セナの頑張りと観客の期待に応え続けるために聞いて、理解し、覚えて、弾く。



 次第に周りの喧噪に押されてセナからの声は聞こえなくなり、セナがリクエスト承諾した曲の情報だけがイヤホン越しにダイレクトに届くようになってくる。


 そして――。


『10時30分になりました。第一公演終了の時間です』


 校内アナウンスと共に、30分間走らせ続けていた曲はようやく終着点を迎えてくれた。

 ジンジンと痺れる指の疲れをようやく脳が認識し始めた、その時だった。


「すっげぇぇぇぇ!?」

「ホンットに弾ききっててウケるんだけど!!」

「カッコよかったよー!」

「次もうちょっとおっきい会場でやってくんねぇと入れないぞー!!」


 全方向から届く拍手で、俺は初めて自分の周りにこんなにも人が集まっているんだと認識した。

 15人ほどしか入るはずの無いサークルの空き室は人でいっぱいになり、廊下にまで人だかりは続いていた。

 ここからじゃセナの姿すら確認できない。


「ありがとう、ございました……! 次はもうちょっと大きいハコで皆さんにお会いできればと、思ってます……! また、是非聞きに来てやってください……!」


 多少ふらつく身体に鞭を打ち、俺は鳴り止まない拍手に向けて深々と頭を下げたのだった――。


『音楽祭出場者各位:第1公演における観客動員数通知(10:00:~10:30)


A会場:帝都音楽大学メインホール(1421/1500人→94.7%)→器楽専攻ピアノ科 大瀬良真緒

B会場:正門前屋外ステージ(457/1000人→45.7%)→作曲指揮専攻科4年 島内彰シマウチアキラ・吹奏楽アカデミー

C会場:体育館ホール(562/800人→70.3%)→器楽専攻ヴァイオリン科4年 遠藤薫エンドウカオル

D会場:多目的ホール(382/500人→76.4%)→オペラ同好会

E会場:東門前屋外ステージ(683/500人→136.6%)→和楽器ロック《SINOBI》

F会場:本館前ステージ(122/300人→40.6%)→ピアノ専攻科2年 加藤汐音カトウシオネ

G会場:本館特大教室(118/100人→118%)→音楽療法研究会

H会場:2号館アンサンブルスタジオ(14/50人→28%)→声楽専攻科1年 今村焦人イマムラショウト一岡健聖イチオカケンセイ

I会場:2号館軽音部サークル室(24/30人→80%)→ジャズバンド《LOCK STAR》

J会場:部室棟2階元演劇サークル室(39/15人→260%)→作曲学専攻科3年 藤枝和紀』


《第2公演における会場のご案内》


A会場:大瀬良真緒       →変更無し

B会場:島内彰&吹奏楽アカデミー→E会場に降格

C会場:遠藤薫         →変更無し

D会場:オペラ同好会      →変更無し

E会場:和楽器ロック《SINOBI》→B会場に昇格

F会場:加藤汐音        →G会場に降格

G会場:音楽療法研究会     →F会場に昇格

H会場:今村焦人・一岡健聖   →J会場に降格

I会場:ジャズバンド《LOCK STAR》→変更無し

J会場:藤枝和紀        →H会場に昇格  』

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