第33話 後輩のピラフがとても美味しかった件

 机いっぱいに広げた楽譜はこれまでのTRUE MIRAGEが打ち出してきたシングル曲の全譜面だ。


 1stシングル「真実の蜃気楼」。TRUE MIRAGEのデビュー曲にしてクールビューティーのイメージを位置づけた、言わずとしれた代表曲だ。終始短調を使ったこの曲は、明るいアイドル音楽ばかりだった当時の日本にくさびを打ち付けるものとなった。


「……パイ」


 2stシングル「世界中のどこにいても」、3rdシングル「快楽主義者」は1stシングルの曲調を踏襲しつつも、メリハリのついた格好良いダンスとメンバー全員の妖艶な表情を全面に打ちだした。メンバー全員が成人を迎えたことにより、「幼いながらも格好良い」から「大人びた格好良さ」を強調できるようになっていった。


「……せーんパーイ」


 4thシングル「紅き獅子」、5thシングル「アンブレイカブル」と6thシングル「永久不変」はこれまでとは打って変わって情熱的な曲調となり、人気に火がつき始めた美月を正式に不動のセンターとして据えた楽曲になった。その甲斐あってかTRUE MIRGEは一気に認知度を上げ、中心人物である美月は「国民的アイドル」と呼ばれるまでになった。


「お昼ごはん、食べないんスかー?」


 そして7thシングルの「千の剣で斬り裂くように」は――。


「えびピラフ、冷めちゃうっスよーーーーーーーーー!!」


「どわっ!?」


 ふと、トゥルミラの曲に没頭していた俺の耳に大きな声が届いた。

 ぐわんぐわんと脳内が揺れている。

 ふんわりと香るバターの匂いにようやく気付いた頃には、可愛い後輩がジト目でこちらを覗き込んでいた。


「お、おぉ……ありがとう、セナ」


「譜面に齧り付くのもいいっスけど、朝から何も食べてないじゃないっスか。身体壊したら元も子もないんスからね! ご飯の時は楽譜はしまう。ご飯はきちんと食べるっス!」


 わざわざ持参してくれたのだろうオレンジ色のエプロンを巻いた後輩は、二人分の皿を机の上に置いた。


 黄金色に輝くお米と程よく大きな鮮やかな色をしたエビ、そして爽やかな白胡椒の淡い匂いが、朝から何も食べていなかった俺の食欲を底から甦らせてくれていた。


 「ぐぅぅぅ」と情けなく音を上げた腹の虫が、今の俺の現状を分かりやすく伝えてくれている。


「いただきますっス」


「……いただきます」


 プリプリのエビの食感と、甘みの残ったニンジン、その他野菜の味が染みこんで程よく塩っ気のある米はスプーンで掻き込むスピードをどんどん速めてしまうほどの魔力がある。


「流石にめちゃくちゃ美味い。ヤバい、美味すぎる」


「まだお代わりあるからゆっくり食べるっス」


「お前はおかんか」


「先パイが生活力無さすぎるんスからね!?」


 何故か叱られた。

 隣の部屋の美月よりはあると思う。


 ……いや、日々の生活をレトルト食品やカップ麺で済ませている以上俺も多くは人のことは言えないか。

 自分で自分の生活を顧みながらえびピラフを掻き込んでいると、セナはぽつりと呟いた。


「にしても先パイ、ここ一月でめちゃくちゃ変わったっスね」


 セナの目線の先には電子ピアノがある。

 スピーカーにヘッドフォン、ソフト音源にマウスその他もろもろなど、おおよそ作曲に必要な安物器材が散らばっている。

 かつて物置棚にしかなっていなかったそこには、数々の譜面やメモやコード進行表が張り巡らされている。

 思えば美月のマネージャーとなってから一月が経ち、今まで一切触ってこなかったピアノに毎日触れていることになる。


「もしかしてトゥルミラが帝都音楽祭に来るっていうから先パイ、張り切っちゃってるっスか?」


「……まぁな」


「エンジンの掛かり方が独特すぎるっス! 今まで3年間頑として動かなかったのに……そんなにトゥルミラが好きっスか! そんなにトゥルミラに会いたいっスか! カガリじゃダメだったって言うっスか!」


「何をそんなにムキになってるんだ……」


 「ばーかばーか先パイのばーか」と、俺の肩目がけてぽすぽすと緩いパンチを繰り出してくるセナの力は少し強めに思えた。


「トゥルミラだけってわけでもないだろ。ミスティーアイズのみちるさんも来るんだろ。それこそセナは誘われてるんじゃないのか? あの話どこ行った?」


「うぐっ!? い、痛いとこ突いて来るっスね……!? そ、そっちはそっちで……こう、まだ……なんとも……っスけど……」


 セナの返しが妙に歯切れ悪い。

 あの時ラーメン屋でみちるさんからもらった名刺は、未だ返答することなく財布の中に大事に入れているらしい。

 セナの演奏を聴いて、みちるさん自らがスカウトしに来たというあの件はよっぽどのものだ。


「……も少しだけ、考えたいっス」


 セナは答えと一緒に飲み込むかのようにピラフを口の中に掻き込んだ。


「アピールするためには、出るより他ないからな、音楽祭には」


 帝都音楽祭。

 毎年6月下旬に開かれる、一般参加型の帝都音楽大学一大イベントだ。

 学内である一定の条件を満たした数十人が、学内にある大小様々な持ち場ハコにて思い思いに音楽を奏でていく。

 その日は大学が一般人向けに公開されるため、観客はそれぞれ聞きたい場所に足を運ぶようになる。

 ステージは30分の発表が全部で5回。

 前回の演奏で観客の人数が多ければ多いほど、次のステージではハコが大きくなっていくというシステムだ。

 最終的に、帝都音大の最も大きなハコ・・――A会場となるメインホールを30分独占してコンサートが出来るというのは、帝都音大生のなかでも何よりの栄誉になる。



 要するに、演奏家としての人気が高く観客動員数が多ければ多いほど大きなホールで演奏でき、知名度や実力が無ければただ一人小さなステージで閑古鳥が鳴く中で演奏しなくてはならなくなる。



 確か去年の一番下のハコ・・であったJ会場は、人入りの一番少ない部室棟の一部屋だったっけな。

 3人しか聞きに来なかったという。

 演奏家としては地獄でしかない。



 一方、お祭りと言われるだけあり、毎年それなりに著名なアーティストを学内に招いてアーティスト独自のステージも開かれる。

 今年はそれでやってくるのがTRUE MIRAGEとミスティーアイズの二組だ。

 国内二大アイドルグループというのだから世間の注目度も例年よりは高くなっている。



「そもそも、先パイは学内基準・・・・満たせるって言うんスか? あれ、普段の成績と音楽祭向けの成果課題が伴ってなきゃなかなか通らないって言うじゃないっスか。カガリも応募したのに今回落ちたんっスよ」



 帝都音楽大学の総生徒数はおおよそ1200人。

 うち、30分のステージを4回こなせる且つ学内人気勝負ということもあって、上を目指そうという気概のある者で応募がおおよそ100グループ近く。

 その中から一般向けに喜ばれそうな演目を行うであろう者を成績と成果課題などから加味して学内委員会で選定し、絞られるのがおおよそ10グループということもあり、毎年参加者に選ばれるのですら相当な倍率になってくる。

 ――が。


「もう通ってる」


 大学から送られてきた音楽祭参加許可の通知表を見せると、セナは食い付くように紙に縋る。


「ってぇぇぇぇ!? 何でっスか! 先パイ普段の成績ドチャクソのくせに!」


「こないだ出した成果課題のが上手いこと通ってくれたんだ。はっはっは」


「か、会場! 会場はどこっスか!」


 勢い余ったセナは、初回30分のステージ番号が書かれた用紙をぴらりと落としていった。


 Aが一番良くて帝都音大のメインホール。収容人数はおおよそ1500人。

 Jが一番最悪で部室棟の一部屋。収容人数はおおよそ15人。


 そんななか、俺が最初に担当することになる会場は――。

 セナが俺と用紙を交互に見る。

 凄く何かを訴えたがっている目だ。

 俺が小さく頷けば、ようやくセナは口を開く。


「……じぇ、J会場……っスか……」


「……普段の成績がめちゃくちゃ悪いせいで、一番端っこに追いやられちまった」


 俺は、最下層からの下克上を目指すことになっていた――。

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