第三章 国民的アイドル、幼馴染みの大学に潜入する。
第29話 幼馴染みの甘えん坊さに拍車が掛かってきている件
「美月には生活力が無い、ですか」
『はい。宿舎にいた時のアイドル管理は主にマネージャーやスタッフが代理でしたのでそこまで大事にはなっていなかったのですが、恐らくは残念なことになっている可能性が高いと思われます』
断言しつつも、若干ためらいがちに電話越しで呟くのは白井さんだ。
とはいえ、個人の部屋の汚さどうこうまで知っている必要もないのでは……とは思わなくもない。
「まぁ別に良いんじゃないんですか? それが原因で何か困ることっていうのもないでしょうし」
『真夜中に唐突に
「……実害出てるんですね」
『今何もないというのがそれこそ、嵐の前の静けさという感じがしてなりません。こちら側としては先手を打っておきたいのです。和紀くん、お手数ですが確認できそうならばお願いしてもよろしいでしょうか。美月さんのお部屋に入れるのなんて、私と和紀くんくらいしかできないでしょうし、私は次のライブに向けた事務作業で今は手一杯で……』
それは俺が「TRUE MIRAGE」の美月プライベートマネージャーを務めることが決まって一ヵ月が経った頃だった。
あれから特に生活自体は変わっていない。
もう少しすれば「上」の許可が取れ次第、俺もスタープラネットが保有するスタジオを美月と共に自由に使えるようにしてくれるらしい。
その間までは美月のお守りが俺の主な役割ってところだ。
その第一仕事がまさか美月の部屋事情の調査だとは思ってもいなかったが。
電話の向こうでは、『畝くん、新曲の打ち合わせの西川さんと連絡取れた?』『白井さん、内線3番でライブホールの赤松さんからお電話です』と忙しなく動いている様子が分かる。
「かずくん? だぁれ……?」
なぜか今日も日当たりの良い俺んちのソファでうたた寝をしている美月。
もぞもぞと這い出てソファから首だけだらんと伸ばし始めた。
すぐにでもまた瞼と瞼がくっついてしまいそうだ。
良い具合に日も風も当たって気持ち良いもんな。
分かるよ。
でもここ俺んちだからな?
そんな美月を「白井さんだよ」と一言で諫めつつ、話は続く。
「ひとまずは了解しました。まぁ美月に限ってそんなことになるとはとても思えませんがね」
『これもマネージャー業務の一環ということで、どうかよろしくお願いしますよ。あまりにも他の人に頼らずに自立した姿を見せて頑張ってしまう美月さんですから、身内であればあるほど頼ってしまうようですからね』
「誰にも頼らずに心を壊してしまうよりかは全然良いですけど」
『ふふっ、そうですね。幼馴染み×マネージャーと、公私ともども身内になった和紀くんは、美月さんからしてみれば心の拠り所でしかないはずですよ。私もついぞ、そこまでは入り込めませんでしたからね。それでは』
電話越しでも分かる苦笑いと共に白井さんは通話を切った。
「美月ー」
「……はぁい、美月は……ここでぇす」
完全に寝ぼけている美月は、手をひらひらとソファから出して手招きをしていた。
「白井さんから連絡。一人暮らし先の部屋チェックだってさ。一緒に行くか? それとも俺だけ行ってささっと済ませてくるか?」
ソファに回り込むと、ラフなパーカーとデニムショートパンツ姿で寝転ぶ幼馴染みがいる。
艶がかった黒髪が逆向き、真っ白いおでこが露わになっている。
何というかあまりに無防備すぎる気がするぞ、これは……。
「もうちょっとここでねる。かぎはうしろのポッケのなかだよ」
「はいはい、分かりました。ほら、取れないんだから立って」
「やだ。だっこしてとってって」
「お前は幼児か……」
俺の突っ込みも全く聞くそぶりなく、「んっ」と両手を伸ばす美月はあまりにも妖艶さが増していて――。
小中高の頃も甘えん坊さの気質はあったが、ここに来て拍車が掛かってくるとは誰が思おうか……ッ!
ごろんと寝転ぶ美月の背に手を回して腰を浮かせる。
「ふわわぁぁぁ」と意味不明な吐息をもらす美月。
手の平にはぷにっとした女の子独特な柔らかさが、耳には美月の途切れ途切れの吐息が、鼻には甘いシャンプーの香りが入ってくる。
これは仕事の範囲内。
煩悩は殺せ。
もしここで間違いなど起ころうものなら美月のアイドル生命は終わると思え。
美月の1位の夢なんて吹いて飛ぶように消えてしまうと思え。
落ち着け藤枝和紀。
己を滅せ藤枝和紀!
その後の感触は覚えていない。
気付いたら手の中には美月の部屋の鍵があった。
ということは、俺の理性がちゃんと働いてくれたのだろう。
「……ちぇ」
美月は、身体を下ろすと若干つまらなさそうに口を尖らせていたが。
当たり前だ。今の美月はトップアイドルなのだから。
美月のスキャンダルたった一つで白井さんにも、他のメンバーにも、事務所にも、全国のファンにも迷惑を掛けることになる。
可愛い幼馴染みにはそんな大勢の人間を敵にまわしてほしくはないのだから。
「さっさと終わらせるか」
また再びうとうとしだした美月の頭を軽く一撫でして、俺は自室を後にする。
「……ばーか」
お天道様にのみ発せられたであろう美月のぽそっとした一言は、俺の耳に届くことはなかった。
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