第30話 幼馴染みの豊かな表情は、俺だけが知っていたい件
日の光が窓から差し込んでくる。
ぽかぽか陽気に照らされたソファの上で、意識が朧気になっているのは東城美月だ。
先週の事務所内でのミニライブは大盛況。
今までで一番身体は軽く、一番気分が乗った。
その様子はおそらくあの場にいた園児たちにも伝播してくれただろうし、何より和紀自身も楽しそうに演奏を奏でていた。
和紀があんなに楽しそうにピアノを弾いているのを見たのは何年ぶりだっただろうか。
気付けばアレンジを加えた和紀の演奏を口ずさむようになっていた。
そしてそれは幸いにも白井さんにまで伝わってくれた。
まさか一気に「TRUE MIRAGE」の関係者にまで昇格するまでは考えていなかった。これは嬉しい誤算だ。
「キリちゃんと、サキちゃんにも紹介しないと……だねぇ……」
和紀の存在すらまだ知らないであろうメンバーの二人も、彼の演奏を聴けばひとたび虜になるに違いない。
これから和紀はトゥルミラの曲にたくさん関わって、たくさん全国ツアーも一緒にまわって、全国にその名を轟かせるようになっていくスゴい人物なのだから。
それに、白井さんにも正式に和紀の存在は認知された。
わたし専属のマネージャーという肩書きももらってくれた。
これで公私ともども和紀とももっと一緒にいられる時間が長くなる。
マネージャーの仕事は多岐に渡る。
演者のスケジュール管理に全国ツアーの帯同、私生活の管理などなどなど。
特に美月は私生活に関しては完全に投げっぱなしだった期間が多い。
高校から宿舎に入って、ダンスと歌とトレーニングのみに全てを費やしてきたからだ。
うとうとと意識が遠のきだすなかで、美月の思考も徐々にフェードアウトしていく。
さっきはここぞとばかりに甘えてみたものの、やはりガードが堅いのは昔から変わらないようだ。
「……何年も待ったし、今の待ち時間くらい、たいしたこと……ないもん……」
和紀がマネージャー業務をたくさんたくさん頑張ってくれている間、自分も自分を磨き続けよう。
和紀が自分の隣に立つ頃には、絶対的な存在感を示し続けられるように。
ひとまずは、一眠りした後に。
そのために和紀は今一から経験を積んで頑張ってくれている。
さきほどちょうど和紀は自分の部屋を見に行くといって後ろポケットから鍵を持って行った。
おそらくはマネージャー業務の一環であるお部屋掃除にでも行ってくれたのだろう。
いつもは宿舎の自室を白井さんや他のマネージャーさんがやってくれていた。
その分をこれからは和紀が引き継いでくれるということだ。
「和くんが、お部屋に来てくれるんだぁ……」
ほのぼのと、日の光に当たりながらゆっくりと瞼を閉じるその瞬間だった。
「……あれ?」
ふと自分の中で方程式が構築されて、カチカチカチとパズルのピースがハマっていく。
なぜ気付かなかったのか。
今まであまりにもマネージャーさんに投げっぱなしすぎていたために完全に失念していた。
マネージャーさん=おうち掃除してくれる人。
和くん=とっても大好きな幼馴染み。
和くん=新人マネージャーさん。
→大好きな幼馴染みの和くんに、わたしの部屋をすみずみまで見られてしまう。
「……ぁぁぁぁぁあああああばばばばば!! かず、かずくん!? 和くん、すとっぷだよぉぉぉ!!??」
意識が完全覚醒した美月は、飛ぶようにソファから抜け出した。
ペタペタと裸足のまま外へ向かっているとも気付かずに。
その部屋の向こうでは既にある種の戦争が起こっていることを、彼女は知る由もなかったのだった。
○○○
「……すげぇなアイドル」
これはまさに、「ごっちゃぁ」と言った表現が最適だ。
わざわざ、気持ちよさそうにうたた寝をしている美月を起こすまでもないとは思っていたが、これはこれで起こしておいた方が良かったのかもしれない。今後の美月のためにも。
箱詰めされたままの段ボールに投げ散らかされた空のペットボトル。中身を出しているのかいないのか分からない荷物類にファッション雑誌の献本類等々などetc。
唯一救いなのが不衛生が過ぎる生ゴミだけはきちんと処分されていることだろう。
「っし、やるか」
これもマネージャー業務の一環だというのならば喜んでやらせてもらおう。
「まぁ、美月が片付けできないってのは今に始まった事じゃないしな……」
床に散らばったモノを本格的に整理しているうちに、ふと昔のことを思い出す。
中学生の頃、お互いの家を行ったり来たりするなかではよく起こりえたことだ。
――か、和くん! わたしのおうちに来るのは大丈夫! だから10分だけ待ってください!
その場のノリの勢いで美月の部屋に入るとなった時、彼女は必ずこれを言っていた。
10分後に美月の部屋で楽しくお茶をし始めた時、クローゼットの中が妙にキシキシと音を立てていることは少なくなかった。
「あの時から何も変わって……いや、悪化してるか、これは」
テレビであれだけ完璧冷静を装っているトップアイドルがこんな体たらくだということは、あまり知られない方がいいのかもしれない。
あの件を機に、なぜか美月にはテレビのバラエティ番組への出演依頼が増えているという。
因果関係がはっきりしているかどうかは定かでは無いが、どこか美月のクールな笑顔のなかに年相応の女の子らしい笑顔が増えてきたからではないかと白井さんは分析している。
とはいえ美月は昔から年相応な女の子だし、むしろ今までの方が気張りすぎていたくらいだ。
やっと時代が美月に追いついてきたと思うと、幼馴染みとしても誇りに思うものの……。
ふと、どたどたどたと古いアパートの廊下を駆け抜けてやってくる足音。
「かかかか和くん! これは違うんだよ、その、えっとちょっとお片付け後回しにしてただけだから! ……ホントだから!!」
パァンと勢いよく扉を開けて入ってくる美月。
髪はボサボサだし、裸足だし、焦って目は右往左往しているし、ダボダボのパーカーを着ているし。
とてもクールビューティ系で売っているトップアイドルとは思えない出で立ちだ。
「分かってる、分かってるから。起きたんなら一緒に片付けしよう。な?」
「……はーい」
イヤイヤそうに頬を膨らませて、俺の隣に座った美月はファッション雑誌をちょっとずつ、ちょっとずつ仕分けていく。
その様子はさながら、片付けを嫌がる小学生のようだ。
こんな美月の可愛らしい一面を、世間がもっと知ってくれたらそれに勝る喜びもない。
美月の人気の火はこれから更に広がっていくことも間違いないだろう。
美月が一番になるに当たって、この可愛らしさはビジネスの上でも武器になる。
だが――。
「? どしたの、和くん」
きょとんと澄んだ瞳で真っ直ぐにこちらを向く美月を見ると、変なことを考えてしまう自分が嫌になる。
トップアイドルにまで登り詰めた幼馴染みの本当の顔を、俺だけが知っている。
こんな可愛らしい幼馴染みの本当の姿が、他の皆にも知られてしまうことを考えると――少しだけムカついてしまうことに。
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