【白井視点】 トップアイドルが更なる進化を遂げていた件
「――ってあれ!? 松山さん、幼稚園の見学者さんはどこです!?」
経理の鈴木さんに雑務の伝言をしているうちに、見学者一行が消えていた。
廊下の向こう側から能天気に歩いてきている松山さんに声をかければ、彼は「おぉ、それなら」と奥の部屋を指さす。
「アンサンブルスタジオ3に入ってるよ。美月ちゃんが練習したいっつってたし、連れの子も楽譜持ってたしな。現役アイドルの練習風景なんざめったに見れるもんじゃないだろうからなぁ。いい思い出になりゃいいが――って、白井さぁん!?」
松山さんのお話が終わるより先に、私は廊下を駆け抜けていた。
白井久美子……一生の不覚!
まずい。
これは非常にまずいことになった。
美月さんと和紀くんの関係は他の誰にも知られてはいけないトップシークレットだ。
和紀くんが一緒の空間にいれば、良くも悪くも美月さんの表情は極端にだらしなく和らいでしまう。
おそらくは使い物にすらならなくなるだろう。
今まで画面の中でずっとずっと恋い焦がれていたヒトが今目の前にいるという状態を、美月さんがただただ看過していられるわけがない。
それにいくら和紀くんが天下の帝都音大生だとしても、トップアイドルとのいきなりのセッションがそんなに上手くいくわけがない。
「一刻も早く、止めなくては……!」
ズレるメガネを差し置いて、急いでドアに手を掛け部屋に飛び込む。
すると、ふと気付く。
部屋の奥から聞こえてくる、原曲より少し早めでアップテンポになった滑らかで壮大な演奏。
美月さんのパートを重点的に落とし込んだであろうピアノアレンジは無駄がなく、それでいて曲の良さを全く削いでいない。
そして負けずとも劣らない剣舞のダンスと、半音上げた音程にいとも簡単に合わせた華麗な歌声。
ダンス本体の格好良さにくわえて美月さん
思わずメガネを直して視界を作る。
「わぁぁ……!」
「すっげぇ……かっけぇ……かわいい……!」
「ふんっ! ふんっ!」
園児たちの表情は明るく照らされていた。
ある子は神がかった演奏を続ける和紀くんの音色に耳を澄まし、ある子はうっとりと壇上の美月さんを眺め歌を口ずさみ、ある子は美月さんのマイクスタンドを使った剣舞姿を真似し始める。
皆の視線を釘付けにしている美月の輝きは、異彩を放っていた。
クールビューティー系アイドル「TRUE MIRAGE」。
その通称のままに、メンバー全員がクールなイメージを持たれていることから曲やダンスも格好良さに振り切ったものが多い。
ターゲット年齢層は男性とおおよそ10代後半から20代の女性。
CD売上げデータやライブ観客層で見てみても、幼児を含めた若年層にはどうしても近寄りがたいイメージがあるらしい。
対して今のアイドル界を牽引する「ミスティーアイズ」は佐々岡みちるさんを筆頭に若年層からの支持も幅広い。
曲もポップで万人受けするようなアイドルソングを提供し、若年層と購買層を同時に獲得し続けている。
だからこそアニメのOPテーマに起用されたり、今のアイドル界で不動の一位を誇る彼女たちの高い壁に、「TRUE MIRAGE」はこれまで幾度となく阻まれ続けている。
だが――。
今、和紀くんが弾いている『千の剣で斬り裂くように』は意図的に美月さんの為だけにスピードを調整しているようにさえ思える。
美月さんの歌声がより美しく煌めいて聞こえる音階への転調、美月さんのダンスがより美しく華麗に舞うようにテンポを落とし、美月さんの最高に可愛い表情の時を見計らって和音を整える。
「TRUE MIRAGE」というアイドルグループを、東城美月という人物を全て知り尽くさなければ出来ないであろう神業だ。
美月さんも、そんな和紀くんの音楽と期待に全力で答えられている。
まさに二人の息がぴったり合った、二人だけのセッションだ。
私は考える。
よもや和紀くんは、美月さんにとって危険な存在でしかないと考えていた。
だがそれは違う。
和紀くんの存在で、彼女は凄まじい化学反応を起こしているのかもしれない。
だとするならばこれは好機だ。
社運を賭ける、価値はある。
「和紀さん……。もしかするとあなたは、『TRUE MIRAGE』の届かなかったあと一歩を可能にする最後のピースなのかもしれませんね……」
――器材貸し出しというなら、実技試験のラストコンサートで結果を出していただくのが近道かなとは思いますね。
私のあの言葉はこれで何ら意味を持たなくなった。
彼を囲うならば今すぐに。
美月さんの全力を引き出せるならば、大学生だろうが何だろうが関係ない。
「この二人なら、もしかしてミスティーアイズすらも……!」
――「TRUE MIRAGE」東城美月がアイドル界で一番であると証明する。
それこそが社を救ってくれた彼女に対する最大の恩返しだ。
これはスタープラネットミュージック――いや、白井久美子が掲げる悲願なのだから。
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