第10話 ライバルの音楽が、俺の原点を思い出させてくれた件
先ほどの俺の演奏の時とは打って変わって、ホールは超満員だった。
大瀬良が大観衆の前で礼をすると、ガヤガヤとした喧噪もまばらになっていく。
帝都音楽大学の実技試験は、観客開放型の試験でもある。
同世代のピアニストの演奏を生で聴く機会ということもあるので、貴重な枠組みにはなっている。
まぁ俺の時はセナくらいしか観客がいなかった辺り、この席の埋まりようは凄まじい。
だからこそ最強の学食チャンスだったのだが……。
そんな俺は、大瀬良の計らいで何故かホールの舞台袖という特等席に居座っていた。
大瀬良の弾いている後ろ姿をじっくりと見ることが出来る、正真正銘の特等席だ。
わざわざこんな所を用意してくれなくても、ホールの後ろで立って聞いているくらいでも良かったんだけどな。
たった1曲の4,5分間の為にこれだけの人が押し寄せてくるところはまさに、大瀬良真緒というピアニストの魅力たる所以なのだろう。
「受験番号18。器楽専攻ゼミピアノ科、大瀬良真緒です」
「自由演奏楽曲は、フランツ・リスト。超絶技巧練習曲第4曲――『マゼッパ』。間違いはありませんか?」
「間違いありません」
教授の確認に対して大瀬良が毅然として言うと、再びホール内はざわめきに包まれた。それも当然だ。
超絶技巧練習曲はそもそも、ピアノを弾く全ての者にとって最も難しい曲群とされる内の一つだ。
鍵盤上での広範囲による指の高速移動、オクターブ間の連続移動、音の強弱。
どれをとっても一朝一夕に表現し、弾き切ることは難しい。
これを弾けるピアニストがそもそも少ない上に、8分間という長丁場をしのぎ切る体力も要求される。
大瀬良が椅子につくと、辺りは水を打ったように静まり返った。
フランスの叙述詩ヴィクトル・ユーゴーの描いた「英雄」像をダイナミックな音楽に仕立て上げたリスト。
基本強気でいつも挑戦的な大瀬良にもぴったりな曲であることは間違いない。
「憎い選曲してきたっスねぇ、あの女豹」
「入学試験の時と一緒の授業だった時にちらほら聞いてたくらいだけど、それでもすさまじく上手いんだよな大瀬良のは。まさに鬼に金棒って感じだ」
「そういうトコじゃないっスよ。あれ、絶対先パイ意識して選んできやがってるっスよ。きっとまだ入学試験の順位が2位だったことを根に持ってりゃがるっス」
「入学試験の時の結果なんか今さらだろうに。さっきと今の観客数見たら特にな。……いや待て待てなんでお前こんなところにいるんだ。学食はどうした」
「振り返ったら先パイがいなかったから戻って来たに決まってるじゃないっスか! あの女豹なんかに先パイ取られてなるものかっス!」
急に俺の隣のパイプ椅子に腰を下ろしたのはセナだった。
茶髪のセミロングをぶんぶん振り回して、舞台上の大瀬良を睨み付けるその姿、まさに天敵を見て威嚇する小さなチワワだ。
なんでお前まで特等席にしれっと座ってるんだという突っ込みは今はもはや無粋なのだろう。
「お前大瀬良となんかあったのかってくらい嫌いだよな……」
「グルルルル」と静かに唸る後輩をよそにホールの照明がふっと落ちる。
スポットライトが大瀬良だけを映し始めると、待ってましたとばかりに彼女の存在感がホール全体に響き渡っていく。
力強い主旋律と体全身を使った表現力。
一つ一つの音が粒のように重なり合ったその音楽には、気付けば先ほどまで大瀬良を目の敵にしていたセナでさえも息を呑んでいるようだった。
「勝つためのピアノでここまで弾き続けられるの、凄いっスね……」
大瀬良真緒の音楽は「勝つ音楽」だ。
一昨年行われた全日本音楽コンクールでは見事最優秀賞を獲得。
ついで昨年行われたユーラシア国際音楽コンクール予選突破。
それにより今年の秋にはオーストリアへの短期留学も決まっている。
毎年様々なコンクールに出て、徹底した「勝つ音楽」を実践している。
大瀬良が1年の頃から掲げてきた目標である「世界で一番のピアニスト」への階段を着実に上っている証左でもある。
かつては自分も勝つ音楽をしていた。
コンクールでの上位入賞、他よりもより良いパフォーマンスを求めていたが、求めれば求めるほどに心はピアノから離れていった。
「勝つためのピアノだからここまで弾き続けられたパターンだろうな、あれ」
「? どういうことっスか」
「勝つことが楽しいんだよ。人に勝てる、誰よりも自分が上手いんだって世間に認めさせる。そういうモチベーションだから練習も苦にならないし、ああいう大舞台で大観衆に見守られながら弾くことも気持ちよくなる。強い音楽ってやつかな」
「な、なるほどっス……。なんか良さげな詞を思いついたら嬉しくなっちゃうカガリとは全く別のタイプっスね」
「それはそれで一つのタイプだろうよ」
「じゃ、先パイはどういうタイプって感じなんスか?」
セナの素朴な疑問だった。
「そういや、そうだなぁ」
高校の頃までは、ずっと勝つための音楽を強いられていた。
だがよくよく考えてみると――。
――ねーね、和くん! この時の音って、こーんな感じの踊りっぽくない!?
不協和音を奏でると、不思議そうに眉を潜めて身体をぐねっと曲げる彼女の姿が脳裏に浮かぶ。
――そこの音、すっごく好き! なんていうか、『みんな私見てー!』って感じ!
まるで目の前に観客がいて、全員に向けて万歳をして自分の存在をアピールするようなポーズをする、あの頃の幼馴染の姿が浮かぶ。
「俺が鍵盤触ってるときに満面の笑みで踊ってくれてた幼馴染を、もっと喜ばせるために弾いてたタイプだったかもな」
ふと、美月の顔が横切っていった。
おそらくこの間美月と会うことがなければ永遠と封じられた思い出だったかもしれない。
俺の答えに、セナはきょとんと眼を丸くした。
「ピアノが楽しかったころの思い出、か」
大瀬良の卓越した音色を聴きながら。
セナの純粋な眼差しを受けながら。
なんだか無性に、音楽の原点である美月に会いたいような気がしてきていた。
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