第11話 後輩に悔しい思いをさせてしまった件

「アタシの勝ちね」


 学内の一中間試験だというのに、ホールはまるでコンサートの後かのような拍手喝采に包まれていた。

 超絶技巧練習曲をほとんどミス無く弾ききった8分間。大瀬良が創り上げたあの空間は、やはり誰の目から見ても圧巻だった。

 なぜか大瀬良嫌いのセナでさえも、舞台上の彼女を思わずじっと見つめ続けているほどに。


 拍手が鳴り止まない中で、舞台袖に帰って来た大瀬良は開口一番にそう言った。


「アタシは、この大学のトップとしてウィーン向こうに飛ぶ。異論はないわね」


 息も荒く、額からは一筋の汗が流れていた。

 側に置いてあったペットボトルの水を煽った大瀬良は確かめるように問うた。


「あるわけがない。観客数見ても、演奏の質見てもな。超絶技巧をあそこまで壮大に弾ききられたらお手上げだろ」


「ふんっ。当たり前じゃない。大学1年からの3年間、ずっと実技試験の評価はS+を貫き通してたんだから」


 帝都音楽大学の実技試験は大きく分けてS+、S、A、B、C、Dの6種に別れている。

 C評価がおおよそ60点――いわゆる単位認定のボーダーとなり、S+ともなると学年で1人もらえるかもらえないか。

 俺がCとBの間でふらふらしているなかで、大瀬良は常に最上位であるS+を取り続けている。比較など出来ようはずもない。


「期末での実技試験がアタシのこの大学でのラストコンサートよ。いい? その時もちゃんと見に来なさい。アタシはちゃんと言ったんだからね?」


 ずいと顔を近付けてくるのは大瀬良。

 汗で頬に貼り付いた紅の髪が妙に艶がかっていた。


「あー、分かったよ」


 俺の返答を聞いた大瀬良は、「ふんっ」と鼻息荒く俺たちに背を向けて――。


「バッカみたい」


 吐き捨てるように、飲み干したペットボトルをゴミ箱に投げ入れた。


 カツカツカツと強気な足音を残してホールを去るのと対照的に、ホールでは未だ多くの人が大瀬良の演奏の余韻に浸っていた。


「学食行くか、セナ」


 パイプ椅子に腰掛けて動かないままのセナに声をかける。

 が、反応は返ってこない。


「……セナ?」


「あばっ!? あ、ハイっス! そ、そっスね! 学食、カガリ狙ってるやつご飯があるっス」


 急に我に返ったセナはわたわたしながら手を振っていた。

 くりくりとした小動物のような目を左右に揺らしながらセナは続ける。


「トンカツビフテキ定食が今500円らしいから狙い目っスよ! 先パイ、売り切れる前にダッシュっス!」


 俺の手を握って、セナはまるで逃げるようにホールの外へと向かっていく。

 ホールから出るにつれて聞こえてくる大瀬良真緒への賛辞の言葉を聞く度に、俺の手を握るセナの力が強くなっていくのを感じていた――。



○○○


 俺の住むボロアパート、ミアカーサの階段は非常に急勾配だ。

 両手に買い物袋を持ってしまえば、階段を登るだけで一種の筋トレのようになる。

 日も徐々に暗くなり足元も見えづらくなるから気をつけなければならない。

 くわえて、4階の部屋まで行くとなればいらないことも考えてしまうのも常だ。


 セナは珍しく「今日の晩ご飯は何にするっスか~~?」なんておどけて聞きながら俺の隣でスキップするようなこともなく、直帰した。

 曰く。


「インスピレーション浮かんで、いい詞が書けそうなので今日は帰るっス!」


 ――ということらしい。

 それにセナも実技試験間際だった気がする。

 学科試験まではまだ間もあるし、そんなに急ぎすぎる必要もないのだろう。


 そういや最近、美月も見ていない。

 大瀬良の演奏を聴いてからふと会ってみたくなったがやはりトップアイドルの忙しさは並大抵のものではないのだろう。


 今日はおとなしくちょっとセナを見習って、たまにはカップ麺以外のものでも作ってみるかな――と。


 4階への階段に差し掛かった、その時だった。


「あ……ったた……たた……」


 黒色の帽子にサングラス、くわえて恐らく身バレ防止のマスクをした少女が階段の中腹で蹲っていた。


「み、美月!?」


 その少女――東城美月は俺を見るや否やサングラスを鼻まで下ろして「か、和くん……!?」と驚愕の表情を見せた。

 俺は自分が買い物袋を持っていることすら忘れて荷物を投げ捨て美月に駆け寄っていた。


 階段が急だから足元を踏み外したのか!?

 すねでもぶつけようものなら骨が折れててもおかしくはない。


「大丈夫か、怪我は! 病院行くか……って、そもそもマネージャーさん? に連絡でも――!」


「ちょ、待って、違うの、違うんだよ、和くん」


 美月は恥ずかしそうに顔を紅く染めていた。

 申し訳ないが一大事だ。そんなものに構っているわけにはいかない。


「美月、ひとまずもうちょっとだけ上がろう。立てるか?」


「あ、あはは、立てるよ、立てるけど、えっとね――?」


 肩を担いでやると、美月は「はうわっ!」と何とも情けない声を出した。

 怪我というよりかは……どこか……。


 へなへなと再び倒れ込もうとすると、美月はふくらはぎを手で押さえ始めた。


「き、筋肉痛、ってだけなの。ここ、エレベーター、ないから……。今日、たくさんダンスレッスンしたから、あはは……」


 拝啓、大家さん。


 どうか、このボロアパートにエレベーターを付けて下さい――。

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