第21話 過誤

 2日。その時間を得るために、死神は指を二本求めた。

 2週間。その時間を得るために、死神は五感の内の一つと声を求めた。



 突然現れ、突貫で築いた二人の関係を支えるのは取引。常に浮遊する死神と地上を歩く司。物理的な要素を除いては、二人の関係に上下は無い。



 死神と司の取引が、互いに直接的な利益を与えることはない。司が失う。春子が得る。それだけを淡白に取り行い、時に中身を変えて、必要なだけ繰り返す。

 欲しければ差し出せ。差し出すなら用意しよう。隙間にさえ情熱は籠もらない。



 死神は人間になりたいと願うバケモノではない。自身に体に立ち替わる肉を求めてはいない。ただ取引を元に奪って、奪った者が望む者のところへ、運命を与えるだけ。



 司の寿命は延びない。億万長者にもなれない。解散してしまったバンドの再結成も叶わないし、春子の病も治せない。

 透明人間がランウェイを歩いても、誰一人としてその顔を覚えてはいない。



「言っておくと、君の鼓膜も喉も声帯も残る。奪うのは”機能”だけだよ」



 より輝きだした死神の瞳は、いよいよ獣のそれと遜色がない。

 スポットライトのようだが、視線を奪うのは照らされた演者ではなく、ライト本体。主役を食う光は、さぞ目立ってタチも悪い。



「でもいいの? 知っての通り、君の奥さんは寿命しか延びないし、大口取引したところでサービスとかもないよ?」



 春子が病に陥った時。司は出来る事は何でもやると心に決め、自分に誓った。そして実行してきた。



 毎日のお見舞。早寝早起き。栄養バランスを心がけた三回の食事。公私共に自立した生活。

 タンスの奥にある十八禁本たちの紐かけはとっくに終わっていた。あとはゴミの日に出すだけだった。

 心配されないように生きようと思った。小さくて笑えるくらいの、頑張る理由を作りたかった。



 春子は、無意識に自分を周りの為に割いてしまう。自分を構成する要素が10だとしたら、9は周りの為に使っている。気付かぬうちに、使ってしまっている。自分のことに使えるのは1。若しくはそれ以下。それなのに、本人はいつも笑っている。



 曰く、こちらが1を差し出すと、それが返って来た時は2にも3にもなっているらしい。



 『だから私は充実してる。他の人より幸福という意味ではないけど、他の人より自慢できる幸福を知っていて、身を任せていられるから』



 いつか思った、の心に倣う。心に倣って、枯渇が続くひとに寄り添う。憧れの隣で生きるようになってもずっと、肩の貸し方を迷ってしまう。

 宿り木として、傍で佇むなら。自分が少しでも、春子の手のかからない場所で居られるのなら。春子はもっと、自分の為に動けるはず。



(いや、きっと……)



 動かない。司の分が空いたなら、春子はその分を別の何かに使う。

 卑屈の型に嵌めるつもりはない。虐げの箱にしまう気もない。



 もっと明快で、単純に。



 多田春子は、そうやって生きている。そうやって生きていく。

 死なない限りは変わらないところまで、育ってしまっただけのこと。



 司の意志と行動が実らないことなど、本人がよく知っている。何故なら司は旦那だから。惚れた人と一生を添い遂げる。人生に於ける、幸福と定められた縛りを求めた人だから。



 なら、司の想いは無意味なのか。



 努力しても叶わないなら、それは努力じゃない。叶うまでやるのが努力だと、誰かが言った。

 叶わない夢なんてない。諦めなければきっと叶う。続けることが大事だと、誰かが言った。



 でも、報われない努力は確かにある。出来ないことは必ずある。では、何処かに叶うべき努力はあるのだろうか。叶うべき夢はあるのだろうか。



 そんなの、これまでも、これからも、ずっとない。



 人間がそれらに片思いするだけで、想われることはない。勝手に好きになって、勝手に嫌いになって。都合よくフラれたことにして、付き合っていたみたいに、培ってきた過去の一番高い所に飾っている。


 長い間放置して、その間に積もった埃を見ないように、いつも遠くに飾っている。ピントが合わないくらい高くに祭っている。

 手に届かなかった物ほど、美しく輝いて見える。嘘ではないだろう。けれど、理由と関係はきっと違う。

 初めてそれを見つけた時、それはどんな宝石よりも綺麗だった。どんな愛情よりも尊く、どんな初恋よりも煌めいて、幾度振り絞った愛の言葉より、心臓を苦しめる。



 そんな色をしていた。そんな形をしていた。



 伝えなくて、誰に咎められるでもなし。

 届けなくて、何に罰せられるでもなし。



 意思が感情を沸かし、勇気がちょっとだけ味方をしてくれる。例え届かずとも、届くと思って。そんな純粋だった過去を、否定したくないだけ。



 夢であれ、希望であれ、誉れであれ、愛であれ。手垢を付けられないとなったら、蹴とばして傷物にするしかなくなる。

 責任を押し付けて嘆くことはしたくない。ストレスを当てつけて、身勝手に苦しむことはしたくない。


 その美しさにのめり込む。何処かで違うと反転してしまうくらいなら、のめり込んだままがいい。一度好きになったなら、そのままずっと好きでいたい。


 気付いてしまったら、きっと不幸になるから。裏切りを感じてしまったら、もう二度と信じられなくなるから。

 夢は夢のままで見たいから。美しいと思っていたいから、人はそう見える場所に置いておく。



 司にとっては、生きている春子がそういう存在だ。だから、結婚しても遠くがいい。



 今この世界で生きている。それだけで美しい人だから、生きていて欲しい。春子の幸せは世界の幸せ。春子みたいな人が生きている。それが世界を素敵にする。



 そんな人だから、出来るだけこの世に置いておいて、自分はそれを遠くから見ている。



 片思って、信じ込んで、疑いを忘れて、愛している。



 箱入り娘が純粋なのは、その箱が不純で出来ているから。純粋を切望する不純たちがいるから。

 環境まで純粋である必要はない。自分が幾ら汚れたって構わない。聖水を、聖水のまま残せるなら。春子が、そのままの春子でいてくれるなら。



「いいだろう。くれてやる。ただし……」



 より深く鳩尾みぞおちを刺し、握る力を強めた司。死神は、相も変わらず微笑んだまま。



「ただし、今すぐに奪え。この瞬間に、両方とも」



 迷いが無い事を、正直というか愚直というかは知らない。だが言葉が相反していない以上、それらは二人三脚を組ませられる。手を繋がせて、同時に襲わせることが出来る。



 真っすぐを善とする人は物悲しい。捻くれは徳ではなく、損を回避するための知恵だというのに。


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