第20話 鮮烈
交互に現れる両足に合わせて焦点が動く。
足元だけを見ている。故に、此処が何処か分からない。いつの間にか星も見えなくなっていた。
田んぼの敷き詰められた畦道か。背の高い杉の木が立ち並ぶ山道か。それとも、ようやく逃げ出せた、光の絶えない街の歩道か。
何処だっていいけれど、誰に肩を叩かれることもなく、朝を迎えたい。
足の先、指の先から、血管を介して冷気が侵入していく。追い出すように漏れた白息は、死神の顔をすり抜けた。
「運命ってのはね、何をしても逃れられないことを言うんだよ。どれだけ小さな理由であっても、変わる要素がある時点で、それは運命じゃない」
虚ろな瞳は銀一色。闇夜でも輝く死神の眼は猫のように。遠くの何かを見ているようでありながら、何物も捉えていないようでもあった。
「人ってね、重なった偶然を運命とイコールで繋げたがるんだ。でもね、偶然って一つでも狂ったらぜーんぶ変わっちゃうんだよ?」
子どもを諭すような、ゆったりとしたペースで。一つ一つの文言を、死神は丁寧に口にする。
「カーナビの指示を全て無視しても、絶対に同じ場所に辿り着く。そういうのを運命って言うんだ。でも実際に無視を続けたら、少なくともお目当ての場所には着かない。司クンは、そのくらい適当な事を言ってるんだよ」
──この死神は、何を言っているのだろう。
「いくら
──俺と春子の繋がりは、そう簡単に途切れるモンじゃないんだよ。
「それ以外にも……例えば、君とあちらの両親が犬と猿くらい不仲だったら? 君の恋愛対象が男だったら? 君の奥さんが男性恐怖症だったら?」
──そんなこと、仮定でしかない。現にいま、俺たちは夫婦になってるんだ。運命以外のナニで、他人と結婚するってんだ。
「いま、仮定の話だって思ったでしょ? その通り。でもこれ全部、いつ何時でも有り得た現実だよ?」
議論をしたところで、司と死神の意見は平行を辿るだけで交わらない。
運命は、それそのものに強大で壮大な力を宿している。人間が一人いたくらいでは押し退けられず、飲まれ、溺れる。
その水は体重よりも軽い。軽いはずなのに身体は沈み、底に近づくほど、圧させるよりも引かれていく。
楽しいよ、面白いよ、とは誘わず。飴も餡子もないけれど、せっかく入ったなら底までおいで。同じあなたで、帰れる保証はないけれど。
無責任を咄嗟に埋め込んで、それでも何食わぬ顔で許される概念。それが司にとっての運命。どうしようもないまま、どうにかされて、如何にかなってしまう。司は、そういう運命を信じてる。
けれど、死神のはそうじゃない。沈んでいく間に溺死もするし、その水を熊が飲みに来ているかもしれない。そうなれば、近づくことすら放棄するだろう。他にも、大企業がその土地を買ってコンクリートで埋めていることだって考えられる。
もし、どれだけ埋めても在り続けるようなら。死んでいても、この世にいなくても。どんな状態でも、その水池に向かい、身を投げるなら。
大事でもない事柄にも縛られる。命よりも大切に抱きしめる。それこそが運命と呼べるもの。そこまで行ってようやく運命として在る。死神はそういう運命を語ってる。そういう二つの運命観を、二人は投げつけ合っている。
正誤で解釈できる範疇にない。運命を法律では保護できない。丸とペケもよく弾く。目を覚ますたびに、愛することの出来ない隣人と目が合う。罵詈雑言が届かない中、無視することも出来ず、不仲に同じ方向へ進んで行く。
事実だけで嫌気がさす。現実だけで怒りが湧く。それが平行線であり、なぞる者の宿命である。
「ちなみに、運命と宿命も同じくらい違うよ。何かしらのモノが先にあって、後から命が宿ったのが宿命。運命には後も先もない。ずーっと何処かで在ったんだ」
「お前は、俺と春子を否定したいのか?」
「そんな気はないよぉ~。僕はただ、違うと思ったら口に出しちゃうだけ。賛成だの反対だのはどーだっていいもん」
「つまり、自分と違うのは全て、間違いにしたくて仕方ないと?」
「そうじゃないよ。ただ単純に言いたくて堪らないだけ。死神ちゃんはとっても素直なのだ♡」
いつかのように。両頬に人差し指を当て、新人アイドルがするようなポーズをとる死神。
昂りを置き去りにして。司は其処にある、真白でか細い手首を掴む。振り落とすように腕を振るうと、重心の偏った踵がハラッと浮かび、死神諸共倒れていった。
覆い被さる形で上を取った司。荒い呼吸に充てられても、死神は微笑むだけだった。
「ありゃりゃあ~。冗談のつもりだったのに、押し倒されちゃったぁ」
語尾の音階を上げて、乙女のように赤らむ死神。
「こんな夜更けで、しかも外なんて。優しくしてくれなきゃぁ……ダ・メ・だ・ぞ……?///」
死神の
今夜、月が空にいなくてよかった。
画質の悪いブラウン管テレビのように、眼に映る光景は鮮明とは程遠い。それを補うように活性化した四感はきっと、この場で感じた全てを忘れない。
快楽とストレスの境界に佇む、生々しく柔らかで、手触りのいいグロテスク。
首に影の蝶が止まっても、その羽はきっと欠けている。飛んだところで長くは生きられない。ならばチョーカーにでもしてやろう。永久でいいなら、生かしてやれる。
「今度は、ちゃんと掴めたね。いいよ。そんなことでいいのなら」
意図的か。それとも自然発生のイベントか。銀一色の死神の瞳が段々と輝き、本来の配色を取り戻していく。
死神の眼を見ても、メデューサのように石にされることはない。しかし、人気のない真っ暗闇の中で唯一輝くソレを、人間は本能的に美しいと思ってしまう。迫りくる荒波より驚異的で、木漏れ日よりも静粛に、満たされたような感覚と共に。
呑まれたと気付くころには、既に袋の内にいる。当然と言えば当然なのだろう。紛うことなく、死神は神なのだ。だからきっと、可笑しなことはない。信じて救いを求めても。体温の感じないか細い首に、象った蝶で祈っても。
「死神。二週間だ。二週間与えるためには、何がいる」
右目が大きく見開かれる。対照的に、左目は痙攣するような瞬きを繰り返す。首を絞められたままの死神はニヒルに笑う。悲哀を笑顔で抱き返すように。親指を抜いた6本の指で、荒ぶる喉仏の輪郭を撫でる。
愛は無い。けれど愛が無かったとて、触れられたなら。
威嚇は水に浸した画用紙のように、ポロポロと崩れていく。肉体は精神ほど複雑じゃない。とても素直で、とても阿呆だ。
「二週間なら、それなりに大きくないとね。だとすれば……うん。君の声。それと、聴力が、欲しいかな」
科学が理を解剖するまでの世界はきっと、誰もが妄想するファンタジーと大差なかったと思う。意味と理解の追いついていない世界は、残酷で在りながら、夢があった。
分かることが増えたことは、ある意味世界をつまらなくさせたのかもしれない。
そう考えると、司が得た死神と取引するチャンスは、現代に降って湧いたファンタジーで、絶対に伸びる寿命は、神が語る運命そのもの。
神がいて、運命が目の前にあって、ファンタジーが巻き起こっている。それなのに一切ワクワクしないのは、妄想が現実になったから。第三者より外にいた自分が、当事者になってしまったから。
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