第8話 自解

 本当は朝が来ると同時に退院したかったのだが、事情を聞いた福田が病院に飛んできたことで、その計画は破綻となり、結局、最終検査と福田からの説教を受け、退院したのは二日後の午前となった。



 入院していた二日間は、共によく晴れていた。二日前まで、入り口に積もっていた雪は全て溶けており、タイル張りの通路には薄っすらと水が張っている。



 退院祝いと言われて渡されたが、本心は見るに見かねてだろう。福田から貰った、煙草の匂いがするコートを羽織って、司は駅へと向かう。



 左手の包帯が寒さで引き締まる。伝線する血液の流れが、どうにも気持ち悪い。



 生きている。その現実を現実足らしめているような気がしたからだ。



 司は、自分が死にたいわけではない。死んでしまうかも知れない最愛の人に、生きていて欲しい。それだけであった。



 逆に言うのであれば、司にとって、自分が死ぬ事などどうだっていい。

 春子のいない現状。それ自体が、司に生き辛さを与えている。本当に春子が死んでしまったら。そこには辛いと言った情緒も、死にたいといった願望も生まれない。



 生きる意味が分からないが、死にゆく理由も見つからない。



 生きる屍とはよく言ったもの。十中八九、司はそれになる。なら、指を無くした理由はそれだけなのか。

 自分が屍になるのを恐れたから。春子を、自分を生かすために生かしたのか。



 結果だけで語るのであれば、それは間違いである。今この時点で、司は文字通り身を削って、春子の命の恩人となった。

 帰れないことをただ謝り、不幸を共有することに怯えて怖がってる妻に、命を与えた。



 しかし、治療法がいつ見つかるかは分からない。死神との契約がいつまで続くかも分からない。司の命が、どこまで持つか分からない。



 だからこそ、自分が生きている内は、死なないようにする。

 その心が司の内にどれだけあるか。ただ、本心ではないにしろ、虚心でもない。

 感情の内には確かに有り、思考の内にも有った。それは、変え難い事実であった。



 二日ぶりに来た、病院からの最寄り駅。そのホームで電車を待つ時間を、司は何処か遠く感じていた。



 目の前で進行されていることなのに、夢を見ているかのような。微睡みに似た空気であった。

 数分後、乗り込んだ電車はとても空いていた。通勤ラッシュもとっくに終わり、大学生らしき二人組と、シルバーカーに寄りかかる老人が一人いるだけだった。



 ベンチシートの端に腰を下ろした司は、座席に角に収まるように身体を傾ける。

 病院にいる間はあまり寝付けなかった。無意識のうちに緊張していたのだろう。

 一人になった途端、一気に体の力が抜けて、瞼が重くなる。



 流れていく外の景色と真っ暗闇を何度も繰り返す。乗り過ごさないように、自宅の最寄りまでは頑張ろうと抗っていたが、福田のくれた一回り大きいコートが決定打となった。



 大の大人が、暖かい布に包まれるようにして眠っている。滑稽ながらも、可愛らしい状況。



 ただし、その欠けた手を、握ってくれる人は隣にいない。


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