第10話 大好きな人が遠い

 俺は家に帰ると手を洗わずにパソコンを立ち上げる。

 何か月ぶりか、インターネットブラウザを起動する。

 そしてつぶやいたーで理冬のアカウントを確認する。


「こ、これは……」


 見なければ良かったと後悔する。


「いや、まさかな……」


 情報を照らし合わせていくと事態は悪化していく。


「米と……光浦社長が?」


 まず年齢差が合致する。

 外車でデートということだが社長も外車(AT)を所有している。

 そして日付も合致する。

 どうやらYMと40歳年上の社長の二人はどしゃぶりの大雨の中こっそりと大胆に事に及んだらしい。


「脳が……脳が死ぬ……」


 ありえないとは思うも不安は拭いきれない。雨漏りしている廊下を雑巾がけしているようだ。

 外車と一括りされているがメーカーが違う可能性だってあるんだ。

 それに社長には美人な奥さんがいる。まあでもずっと若い頃にファンに手を出して業界から干されたなんて噂も聞いているが。

 胃がきりきりと痛み始めた。


「今日は……おかゆにしよう……」


 冷蔵庫には冷凍食品が多く貯蔵してある。その中でも奥のほうにおかゆは眠っている。


「賞味期限は……一か月前だけどまあ大丈夫だろう」


 後は皿に移し、電子レンジで温めるだけ。

 空いた時間。俺はデートが休みだとはわかっていながらも音声通話アプリを起動した。

 すると一件の通知が来ていた。

 相手は米沢米だった。現在はオフラインの状態。今朝の時点でメッセージを送ってくれていたのだ。

 彼女のメッセージは俺の疲労困憊の心を癒す。


「罰ゲーム見た。新くんめっちゃ嗚咽してて草。またご馳走してあげるから楽しみにしててね」


 そのメッセージを読んでいる間に俺の目からは大量の涙が流れていた。


「米ぃぃぃぃぃぃ……」


 こんな子を疑う俺が愚かだった。喜びと同時に自分の惨めさを痛感した。

 テーブルにおかゆを置いてテレビに電源を入れる。4K対応49インチのテレビだ。一人暮らしの身には贅沢だが初主演が決まった時に思い切ってローンで購入した。まだ一年半残っている。


 その思い出のテレビで米と唯一共演したアニメを鑑賞する。

 〇ルマゲドンでもこんなには泣かないぞと思うほど号泣しながら一晩中見続けた。一話目から涙が止まらなかった。


 涙の理由は物語に感動したからではない。


 アニメ放送時は初主演ということで浮かれきったテンションで見ていたので気が付かなかったが改めて見直すと本当にひどい。


 そう、涙の理由は俺の演技のひどさだ。


 まず第一に滑舌が良くない。それにキャラの動きよりも早く先走ってしまっている。見れば見るほど拙さが見えてくる。

 俺が監督だったら間違いなくリテイクものだ。なのに放送後もリテイクされずDVDやBlu-rayとなって出荷済みだ。生き恥が全国発送されている。海外配信もされているので俺の生き恥は地球の裏側ブラジルまで届いている。


 それにしても米の演技の上手さよ。微細な心理の動きを正しく読み取り的確に声を当てている。毎話出てくるレギュラーではないが存在感を示している。同時に俺と喋るシーンがあったら間違いなく主演を食っていた。原作者の先生も彼女の演技を痛く気に入り、自分が生み出したキャラなのにますます好きになったと打ち上げで酒に酔いながら何度も繰り返していた。

 酒は人間から本音を引き出す。原作者の立場として演者の贔屓はなるべく控えたいだろうがうっかりと漏らしてしまったのだろう。

 まったくの同意だ。


 この作品は彼女の演技で持っている。作画は微妙、アクションも微妙、音楽はやすっちい、脚本も原作の多くを改変している。

 忘れてはいけない主演が糞。


 1クール見通す頃にはティッシュ箱が空になり、ゴミ箱には涙と鼻水を吹いたティッシュで山を成していた。


「……ふぅ」


 感情をぶちまけたことにより俺は賢者タイムに入っていた。何週間ぶりかの心の平穏を取り戻した。

 窓の外から聞こえる小鳥のさえずりを聞きながら、俺はとある考えに至る。


「……声優、やめようかな。彼女の彼氏も」


 これは挫折ではない。心の保身だ。

 俺は米沢米を好きのままでいたい。プラトニックな愛のままでいたい。ここでいうプラトニックは性欲とかではなく、純潔という話だ。

 このままだとファンからアンチに変貌してしまう気がした。縮まらない差にコンプレックスを感じ、彼女をまっすぐ見ていられなくなる気がした。

 好きなのに大好きなのに、好きと呼べなくなってしまう。

 傷つけたくないのに傷つけてしまう。

 そんな日が訪れてしまいそうな予感がした。

 だから距離を置く。きれいなままで残したいから。


「我ながら女々しいな……」


 ところでいわゆる女々しいという点だが、これは女性に限らず男性にも多くあてはまると思う。男にもいわば女みたいな点がいくつも持っている。だけど男はこれを頑なに認めようとしない。これは俺も一緒で、少年漫画で泣き喚く男キャラに必ずと言っていいほどに抵抗感を抱いてしまう。

 俺自身、割と泣き虫な面があるけどでは他人にそう指摘されたら顔を真っ赤にして否定すると思う。やっぱり図星を突かれると認めたくないものだ。


「今度の収録で全部伝えよう……社長にも米にも」


 いやはや恋とは人をおかしくする。彼女のことを考えると俺はまるで仕事が手に付かなかった。高校野球児の恋愛禁止令なるもの、過干渉や自由の束縛だとやり玉にあがるが俺には一概に否定できない。

 いやはや恋とは人をおかしくする。全てを諦めたことで胸がすっと晴れたのに、涙がまた溢れて来た。

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