第8話 本当にすまないと思っている

 目覚めは最悪だった。ほとんど眠れなかったに等しい。

 季節は冬。だるくてしょうがないが布団を蹴り上げて起床する。

 頑張れ、俺。一週間経てば、唯一の心の支えである新米二人の時間がやってくるのだから。頑張れ、俺。負けるな、俺。

 俺はまだ眠りたがる頭を左右に揺らし、強制的に覚醒を促す。そして寝ぐせが直ってない髪のまま、事務所へと向かった。




「おはようございます!」


 事務所に入ったらもう寝起きなんて言い訳は効かない。元気に挨拶をする。 


「やぁ、おはよう。今日も元気だね」

「社長、おはようございます!」


 社長に向かって少しトーンを上げて挨拶する。

 彼はコーヒーをテイスティングしながら部屋の中心に置かれたソファで足を組み優雅にくつろいでいた。

 その姿まさに俺が憧れる大人像ダンディズムだ。いつか俺もこんな大人になりたいものだ。


「今日は……オーディションの結果を聞きに来たんだよね」

「はい、そうです。どうでしたか?」

「……また頑張ればいいよ」


 結果はあえて言わずに励ましの言葉を送る。新人の俺への最大限の配慮だろう。

 つまりは今回も駄目だったのだ。

 これで俺の本日の事務所での予定は終了。レッスンは予定に含まれていない。社長もこの後は自身の収録があり、出かけることになっている。確か洋画の吹き替えだった。俺もいつかやってみたいなあ、吹き替え。

 どうせだし事務所の掃除でもしようかと考えていると社長は事もなげに大事なことを話しかけてくる。


「そういやもう12月だね」

「はい、そうですね」

「12月といえば改編期だ。万物は常に循環している。創造し、破壊し、再生する」

「……今度出演される作品の台詞ですか?」


 彼が今の台詞を喋るようなキャラを演じた記憶は俺にはない。


「私の考えた台詞だよ」

「なるほど。台本渡されていないのに読み合わせが始まったかと思いました」

「わはは! そんな意地悪するはずがないだろ!」

「それもそうですね! わはは!」

「わはは!」

「わはは!」


 愉快に間抜けに笑いあう俺たち。

 一通り笑った後、陽気に社長は俺の肩を叩く。

 それはもうとてもかっこいい声でさらりと重大告知をする。


「君が出演していた新米、今月で終わりだから」

「わは…………は?」


 演技ではなく本気の間の抜けた声になった。


「新米……新米ってあの?」


 社長は俺の背後に回り、今までの頑張りをねぎらうように肩をもむ。


「このような事態になってしまい……プロデューサーとして……本当に申し訳ないと思っている」


 全身に力が入らない。頭の中が真っ白になっていくようだった。


「まあ次があるさ。次があるのだから頑張ろうね……んふっ」


 声優としての仕事が0になった俺にも社長は笑って話しかける。いやなんだか笑いをこらえてるが吹き出すかのような……まさか無様な俺のことを笑っているのか!?

 いや違う。社長はそんな人じゃない。俺はこの人を信じている。


「新米は今月で終わるがまだ収録は残っている。君になら言う必要はないだろうがそれでも大事なことだから言っておく。終わるとわかっていても手を抜かないようにね」


 こうも立派なことを言う人が人を笑うはずがない。


「……はい、頑張ります」

「それじゃあ私は収録へ行ってくる」

「……マグカップ、俺が洗っておきます」

「おう、ありがとう! 気が利くね!」


 俺はマグカップを洗う。茶渋が残らないように丹念に底を磨く。

 そして社長の教えを思い出す。


「手を抜かないようにか……抜くつもりはありませんが全力を出せるとも限りませんよ……」

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