第7話 一人暮らしの男の見苦しくも哀れな深夜

 電気ケトルが音と蒸気を吹き出す。

 俺はロックを解除し、あらかじめ蓋を開けていたカップラーメンにお湯を注ぐ。

 実家から分けてもらった円形の醤油皿で蓋の上から蓋をする。

 三分間待つ。子供の頃は暇を持て余すと長く感じた時間も、くたびれた大人になった今ではぼうっとしていればあっという間に過ぎていく。

 待つ間に溜まっている洗い物を済ませようかと考えはするものの行動には至らない。


 ふと今日の罰ゲームがつぶやいたーにちゃんとあがっているか、反応はどうか気になり、スマートフォンを手に取った。

 反応は上々。1000人ものユーザーが共有シェアをしてくれている。ネタに振り切っているので俺に興味のない層にもある程度関心を持ってくれたようだ。それに30秒だけと短めなのが受けたのだろう。ちなみにこれが米だと2000は固い。そもそもファン数が違う。それに俺がユーザの立場だったら男なんぞよりも女の子の動画を好むに決まっている。


 つぶやいたーは確認の作業だけに留める。これ以上居座るとエゴサしてしまう。俺のような新人を話題にしてくれるファンは極わずか。ただし熱狂的なファンが一人いてくれて、たいそう暇を持て余しているようで俺のことだけを呟く専用アカウントを作りbotではなく手打ちで毎日呟いている。有難いが時折セクハラまがいな言動を見せるので積極的な接触は控えている。


 お湯を注いでから二分が経過した。待ちきれず俺は蓋を開いてかたやきそばみたいな麺をむさぼる。

 別に麺の硬さにこだわりがあったからではない。眠気がすぐそこまで来ていたからだ。

 麺と具だけを摂取し、スープは残す。

 声優デビュー前の一人暮らしを始めたばかりの頃ならこのままベッドに横たわるところだが、気力を振り絞って歯磨きをしに洗面台に向かう。

 歯磨きを終えたらお待ちかね就寝の時間。

 ベッドにもぐりこみ、部屋の照明を消す。


「明日は午前10時に事務所に行って、午後はバイト……」


 明日の予定確認。声にすることでより記憶に残るようにしている。


「新米二人の収録……バイト……」


 そして今日の振り返り。やり残したことがないか確認作業。


「デート……しばらくお休み……」


 毎日できたらやるルーチンワーク。

 しかし今日だけはその日課をサボるべきだった。


「……デートお休み……デートお休み……」


 忌々しいトラウマと今が重なる。


「……もしかして俺、またやっちゃいました?」


 そう、過去と現在が重なっている。

 神話を再現しようとしている。

 どちらもゲーム目的で俺に近づいている。


「違う!! 米はそんな女じゃない!!」


 深夜に腹の奥から絶叫セルフツッコミしてしまう。

 何度も同じ過ちを犯さない。俺は主観的にも客観的にも米沢米という女性を見て好きになったんだ。

 正直に言うと俺には女性不信の節がある。出会う女性を疑うところからコミュニケーションが始まる。人見知りならぬ女見疑りだ。

 〇撃の〇人に出てくるようなクソデカの壁を作っている。

 話しただけであっさり落ちるようなちょろい童貞ではない。

 初めて会った時のことを思い出す。アニメ収録前に親睦を深めるためにもちょっとしたお茶会が開かれた。




 話題は声優らしく好きなアニメだ。


「俺は……〇ョジョが好きですね」


 聞かれるがままに俺は答えると離れていた米沢米が反応する。


「あ! ボクも〇ョジョ好き!」


 知ってはいたが〇ョジョは老若男女世代性別問わず愛される名作だ。

 女性にも人気とは知ってはいたが実際に遭遇するのは初めてだった。


「奇遇ですね。何部が好きですか」


 どうせ三部だろう、と俺は決めつけていた。そして好きなキャラは主人公だろと。


「ボクは五部が特にお気に入り! 好きなキャラはミ〇タ!」


 んんんん! 好き!!

 俺の心の壁はウォール〇リアくらい序盤で崩れ去った。俺の心の壁はクソザコだった。

 平静を保ちつつ、会話を続ける。


「俺も五部が一番ですね……〇チャラティが好きです……かっこいいし、スタンドもトリッキーだし」

「えー、ミ〇タも充分トリッキーだと思うだけどな」


 あくまで集団でのお茶会ということを忘れて俺たちは会話を続けてしまう。

 その後すぐに先輩に止められてお茶会は再スタートする。

 もしも止められていなかったら俺たちはずっと会話を続けていたことであろう。




 名前よりも彼女の推しを先に覚える出会い。匿名SNSでも本名や出身地、職業を知らないが性癖(誤用)だけは把握しているという謎の関係。

 それでも充分の心地よさがあった。オタク友達のままでいることもできた。だけど俺は嫌だった。友達のままでは嫌だった。俺だけが彼女を特別扱いし、彼女からは俺を特別扱いされずただの同僚として認識されるのは嫌だった。だから思い切って告白した。そして奇跡的にもOKを貰えた。

 しかし未だに恋人らしい行為をしていない気がする。そしてそれを気にしているのは俺だけの気がする。


「我ながら実に女々しい……」


 エナジードリンクを飲んだ時のような眠気と目の冴えが両立する矛盾した半覚醒状態がようやく崩れ始めた。

 意識が遠のいていく。最後に思い浮かべるのは米沢米の顔だった。

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