第3話 これが俺たちのデート

 生乾きの私服を着て恐る恐る外に出る。大雨は通り過ぎ、空には満月が浮かんでいた。

 そして腕時計で時間を確認する。


「11時まで30分……全力で飛ばして、コンビニで飯買うのを諦めればギリギリ間に合うな……」


 デートに遅刻は許されない。

 ペダルに足を置いたその時だった。

 スマートフォンが鳴る。その着信音を聞くと俺は反射的に画面を確認せずに耳元に当てる。


「もしもし新井です! 社長、何か用ですか?」

「よ~~~新くん~~~~相変わらず鳴らしてから出るのが早いね~~~~」


 ろれつが回っていない社長の声だった。電話越しでも酒臭さが伝わってくる。


「いま三次会で君のバイト先の近所で呑んでるんだけど君も来ないか~~~~い?? 若い子いなくておじさんさびしいんだよ~~」

「社長、おじさんと言ってもまだ40後半ですよね?」

「か~~~~優しい~~~~~~~そう言ってくれるの新くんだけだよ~~」

「あの、社長、せっかくのお誘いなんですがこれから別件の約束がありまして」


 いくら社長の頼みとは言え、デートには代えがたい。

 しかし、


「今ね、監督と呑んでるんだよ。君を紹介したくってさ~~」

「うっ……それはっ……!」


 心が揺らぐ。突然訪れた滅多にないアピールチャンスに戸惑う俺。

 たまにモブの声当てで監督の目の前で演技を披露する場面がある。俺は張り切って演技をするのだがそのたびに音響さんから引き気味に「もうちょっと力抜こうか……」とリテイクをたびたび食らっている。

 だからこそこうして社長から直々に口添えいただくなんてそうそうなく、今逃したら二度と訪れないかもしれない。

 しかし、しかしだ……デートもまた、そうそうないのである。一度すっぽかしたら、信頼というのはなかなか取り戻せないと俺は思っている。それもデートの直前に飲み会が入ったなどと説明をしてみろ。仏様とて良い顔をしないだろう。

 仕事を取るか、デートを取るか。はっきりできないまま悩んでいると電話の向こうで会話が聞こえる。


「光浦さーん。夫人が迎えに来てますって。もう店の前に着いてるとか」

「えぇっ!? 妻が!? まだ電話してないのに!? というか現在地も言ってないのにどうして!?」

「さあ? GPSでも仕込まれたんじゃないですか?」

「待たせるとまずい。怒らせたらもっとまずい」


 悩んでいるうちに状況が秋の空のように変わる。


「ごめん、新くん。状況が変わった。今の話は忘れてくれ」


 わかりました、と返事をする前に一方的に電話を切られる。

 腕時計を見るとすでに10分が経過していた。


「やば! 遅刻する!!」


 俺は今日一番の最高速で自転車を走らせた。



 家に着いた俺は着替えをせずにパソコンデスクの前に。

 パソコンの電源をつけて5秒でパスワード入力画面に到達。

 俺は高速ブラインドタッチで記号を含む12桁のパスワードを入力する。

 カタカタカタ、タンッ!


「……決まった……」


 そう思っていたが普通にタイプミスしてて再入力する羽目に。


「落ち着け、俺……こういう時は慌てたら駄目だ……冷静に一文字ずつ打ってけ……」


 ピアノに触りたての幼児みたいに人差し指だけで入力する。

 無事に入力を済ませると通話アプリが自動で起動する。米沢米のアカウントはオンライン状態を示していた。

 俺がログインするとすぐに向こうから通話の呼びかけが来る。神レスポンス超嬉しい。

 クリックし、通話を開始する。


「もしもしー新くん聞こえてるー?」

「聞こえてるよー」

「……うーん? 新くんの声、聞こえないよ?」

「まじか……」


 マイクの抜き差しや設定の類は絶対にいじらないのでその周辺のトラブルではないだろう。

 ありえるとするならば指向性マイクの位置だ。これは自慢だが、俺のマイクはゲーム実況者も愛用のちょっといいマイクなのだ。生活音やパソコンの起動音を拾わずに声だけを拾うようになっている。

 どうしてそんなマイクを持っているかというと声優としての演技の練習用ではなく、実はかつてゲーム実況者として活動していた時期があり、その頃からの相棒である。

 角度を調節し、声を出してみる。


「あ、聞こえた聞こえた。新くんの声聞こえてるよー」

「ごめん、ちょっと遅刻した」

「別に気にしてないよ? 今回はボクが付き合ってもらうほうなんだから」

「んじゃ早速取りに行きますか。準備はできてる? 俺はできてる」


 通話アプリの裏でとっくに起動済みだ。全データをSSDにぶち込んでいるので爆速である。


「ちょちょ、待って。まだゲームすら起動してないんだって。なんかボクよりも張り切ってない?」

「そりゃそうでしょ。彼女に頼られたんだ。張り切らない男がどこにいる」


 俺たちがこれからやるゲームは全世界全世代に愛されるTHE WORLD IS MINEというゲームだ。今日はそのゲームのラストダンジョンの最奥に眠る秘宝【空飛ぶ布団】を手に入れる。

 そう、これが俺たちのデートだ。オタクの、時代の最先端を行くリモートデートだ。直接会えなくてもこうして通話アプリでいくらでも会話ができる。現実世界ではどこに行けなくても電脳世界ならどこへだって行ける。

 つくづく良い時代に生まれたと思える。


「よし、行くぞ。出発!」

「出発~!」


 準備を整えてダンジョンの攻略にかかる。


「米隊員ストップ! この先は強い敵がいる!」

「なんと! それではどうすればいいんですか、隊長!」

「倒してもいいがそれだと武器が壊れてしまう! この後も強敵と戦うのでなるべく温存したい! それならばどうする!」

「……スニーキング?」

「正解!」


 深夜にも関わらずテンションマックスでダンジョンを攻略していく。

 面と面を合わせてゲームをするのも楽しいが、離れた場所にいながら同じ目的を持って遊ぶのもこれまた楽しい。こんな窮屈な時代だが最高の贅沢と言える。

 しかし至福の時間はそう長くは続かない。


「おっと!? 米隊員!? 攻撃を食らい続けてるぞ! 反撃しろ!」


 米が操作するキャラクターがサボテン軍団に取り囲まれていた。

 俺は剣でまとわりつく敵を剥がすが肝心の米が、


「……」


 全くの無反応になってしまった。

 俺は機材のトラブルではないとすぐにわかった。これはお決まりの流れだ。


「米隊員ー起きろー! 死んでしまうぞー!」


 そう、寝落ちである。

 雪山に遭難したかのように俺は叫んだがぐっすりと眠りについてしまったようだ。

 抵抗むなしく米はHPが0になり、ダンジョンから強制退去。入り口まで後戻りだ。


「……さてと」


 俺はマイクをミュートにして攻略を続ける。

 ……いつの時代になってもデートとは二人の時間が合わなければできないものだ。先程も話した通り、彼女は売れっ子の声優。家に帰っても忙しい。約束の時間になるまでに日程の確認したり台本を読んだり仕事の準備をしていたことだろう。

 情けない話で手伝うことも代わってやることもできない。

 俺ができることといえば彼女が欲しいと望んだレアアイテムを取ってくることくらいだ。

 それから一時間、俺は黙々とダンジョンを攻略し最深部に到達。ボスのドラゴンを倒し、無事に【空飛ぶ布団】を手に入れた。

 そして脱出アイテムを使い、ダンジョン外へと帰還。無事に秘宝を持ち帰った。

 ミッションを終えた俺はゲーミングチェアの背もたれに後頭部を置いた。そして目薬を差して目頭を揉む。


「はー、なかなか骨が折れたな……」


 何度も潜ってはいるが必ず誰かとパーティを組んでいた。今回は初めてのソロでの挑戦だったが一度も死なずにクリアすることができた。なんとか経験が生きたようだ。

 部屋の時計を見ると深夜一時。米はログイン状態のまま眠っているようだった。


「……よし」


 ここからは大変気持ちの悪い話なので読み飛ばしてもらっても構わない。このリモートデートに密かな楽しみがある。俺が彼女が寝落ちしても文句の一つも言わないことにも繋がっている。

 音声出力をマックスにし、スピーカーからヘッドフォンに切り替える。

 すると向こうから僅かに声が聞こえる。


「すー……すー……」


 彼女の寝息だ。

 俺とは環境が異なり、彼女は常々ヘッドセットで通話している。だから例え寝落ちして多少姿勢が変わっても口元の近くにマイクがあり、必ず音を拾ってくれるのだ。

 目を閉じ、イメージする。

 するとどうだ、彼女は俺の耳元で寝息を立てているように感じられる。寝息ASMRだ。そして布団にくるまってみろ。まるで一緒に寝ているかのような感覚になれる。癒しのひと時。これで一日の疲れなんて吹っ飛んでいくぜ。何よりの最高のご褒美だ。

 ……どうだ、気持ち悪かろう。俺もきもいと自覚している。だからこのことは彼女にも言ってない。酒に酔った勢いでこぼしてもいないはず。墓場まで持っていくとは言わず、閻魔大王様にも内緒のつもりだ。

 しかしこの寝息ASMR、いずれ癌にも効くようになるが一つだけ致命的な弱点があり、


「……う、うーん……? うわああああ!? またボク寝てた!!!? ごめんね! 新くん起きてる!!?」


 米の寝起きがすごくうるさいことくらいだ。

 まともに不意打ちに食らった俺はチェアごと後ろに倒れてしまった。

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