第2話 声優としてのライフライン(中華料理屋のバイト)

 俺がせんぶり茶を飲み、そのリアクションでスタジオに爆笑の渦を巻き起こしたその後の話。

 俺は次の現場へ向かうためにスタジオを後にする。

 外に出た瞬間にわかる。


「どしゃぶりだ……」


 音と湿気。屋根の下にいても不愉快になるほどの大雨。

 リュックサックを開いて中を確かめるが折りたたみ傘しかなかった。


「やっぱり車で行かせて正解だったな……」


 着替えは次の現場にある。だから濡れてもノーダメージだ。


「うおおおおおおお!!!!!」


 俺は大雨の中を自転車で突っ切る。

 次の職場は静謐とは程遠い油と火が飛び交う中華料理屋だ。俺は調理を担当している。

 声優を志しているが今の俺の生活に欠かせない重要なライフライン。主役に一度抜擢されただけで軌道に乗るほど声優業界は甘くなく、まだまだモブキャラに声当てをするぺーぺーの新人だ。

 今日も鍋をふるっていると店長が腕を組んで俺の背後に立つ。


「いいよねぇ、新井君……」

「えと……何か手順間違えましたか?」

「いいよぉ……続けて……」


 俺は変に勘ぐってしまう。今まで何度も怒られてきただけに褒められると少し不安になる。

 その後も青椒肉絲を完成させ、皿洗いに移っても店長は腕を組んだまま後ろに立っている。暇なら手を動かしてほしいのだが。

 そう思っていると店長の口が動く。


「完璧だよ。包丁さばきに火の通し加減、盛り付け……そして皿洗いまで全て。全てが完璧だよ」

「あ、ありがとうございます……店長の指導があったおかげです」

「その謙虚さも素晴らしい!」


 あくまで声優志望であり、ここのアルバイトは副業というスタンスだが、給与も勤務時間も実力も上になってしまっている。あと褒められる回数もこっちのほうが上になっている気がする。


「ずばり言おう。正社員にならないかい、新井君。君は誰よりも仕事熱心で向上心がある。この店長が保証する。声優なんて安定しない職よりもこっちに来たほうが君のためになると思うんだが」

「あの、ですから、店長。ずっと言ってますけど俺の気持ちはやっぱり変わらないんですよ。こう見えて主演も一回やってますので」

「でもその一回きりなんだろ?」

「それは……そうですけど……でも二期も決まってますし。二期というのは第2シーズンとかそういう意味です」

「聞いてるよ。その二期の続報がなかなか出てこないとか」

「それは…………はい、その通りで……」

「アニメ放送中に原作者が多忙からか休載してしまい、そして連載していた雑誌も廃刊しちゃったんでしょう?」

「やけに事情に詳しいですね!? 店長オタクですか!?」

「ぜんぶ後川君の受け売りだよ。だけどその反応だと本当のようだね」

「後川あのやろう! べらべらと喋りやがって!」


 後川とは中華料理店での俺の後輩だ。年が近いのでたまに飲みに行き、愚痴をこぼせる仲だ。たぶんその時酔った勢いで今の情報を漏らしてしまったのだろう。

 だから、店長の言うことは全て真実だった。

 名前のあるキャラクターを演じたのはそれっきりであり、1クールに2、3本モブキャラに声を当てる生活を続けている。友人からはそれは声優といえるのかと時々からかわれもするが俺はそのたびに声優だと胸を張って言い続けている。

 しかしこの生活に不安を感じているのも嘘ではない。売れずにいるのは俺に才能がないからかもしれない。そう思う時は一日に何度もある。

 足踏みを続ける俺とは逆に米沢米は半年前からブレイクしている。今期も2作品の主演を演じている。一年前からブレイクの兆しに俺は気づいていたがな!

 とまあ彼女にジェラシーとコンプレックスを女々しくも感じまくっている俺ではあるが、やはり声優という夢を諦める理由にはならなかった。

 店長にはお世話になっている。恩を感じているがやはり断らないといけない。しかしきっちり断るのも言いづらいものだ。


「店長、やはり……」

「わかったよ」

「俺、まだ何も言ってないですけど!? いやまあわかってくれたら大助かりですけど!」

「目を見ればわかるよ。君の覚悟は本物だってくらいすぐに」

「店長……」

「なに慌てることはないんだ! 気が変わったらいつでも言ってくれよ!」

「店長……」


 チーン!

 レジからベルの音が聞こえた。これはお客様が会計を呼ぶ合図だ。


「今の時間、ホールに後川いたはずですよね」

「たぶん休憩に入ったのだろう。深夜時間帯は彼一人担当なんだけどね」

「閉店間際だっつーのに、あいつサボりやがったな!」

「それで給料は君とほぼ同じなんだよ? どう納得できる? 納得できないよね? よしじゃあ正社員になろうか!」

「遠回しに勧誘しないでください! 店長、レジお願いします」

「店長だよ? 店長はレジ係はしない」

「店長ならやりたくない仕事も率先してやってくださいよね!」


 仕方なしに俺はレジへと向かう。数字と計算が少し苦手だ。紙に書かれた通りの数字を打ち込むだけでもぎこちなくなってしまう。

 そういえば、ぷ〇〇よのようなパズルゲームは俺よりも米の領分。彼女にいくら挑戦しても未だに勝てたためしがない。


「っと……今は仕事に集中しないと」


 レジにたどり着く。

 レジの前に立っていたのは小柄の……少年か、少女だ。マスクで顔の下半分、サングラスで顔の上半分を隠している為性別がわからなかった。キャスケットの帽子を被っている。

 こんな夜更けにいかにも怪しい。しかしむやみやたらに突っ込むとトラブルの元なのでスルーする。俺はこの後、デートなのだ。これ以上帰りが遅くなるのは御免だ。


「遅くなってしまい申し訳ありません」


 俺がお辞儀をすると、


「……」


 お客さんも合わせてお辞儀をする。

 コイントレーには伝票と、料金の同額のお金が置かれていた。

 するとレシートも受け取らずにお客様は走り去ってしまった。

 伝票を確かめる。餃子にウーロン茶とだいぶ粗食。


「……アルコール頼んでないし怪しまなくてもいいか」


 レジに金をしまうと見計らったかのようなタイミングで後川がホールに戻ってくる。


「あれー! せんぱーい! レジ係なんて珍しいじゃないですかー! 苦手だったんじゃないですかー?」

「……後川、お前がやらないからだよ」

「先輩の苦手克服のためにひと肌ぬいだんすよ」

「そうか……たしかお前掃除苦手だったよな?」

「ええ、まあ、そっすけど……もしかして代わってくれるんすか!?」

「すごいなぁ、後川。どうしてこの流れでそうポジティブに考えられるんだ? どう考えてもお前に後片付けを押し付ける流れだろ?」

「そりゃないっすよー! パワハラだって店長に言いつけてやりますよ!」


 名前を呼ばれて厨房から店長が顔を出す。


「いいや、後川。今日は全部お前がやれ」

「そりゃないっすよー!」

「厨房は全部俺がやっておいたから、フロアだけな」

「それでも重労働じゃないっすか! 店長、手伝ってくれますよね!?」

「店長だよ? 店長は掃除しない」

「じゃああんた何だったらやるんすか!」

「お疲れ様でした。お先に失礼します」


 そう言って俺は更衣室へと下がっていった。

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