駆け出し声優の俺、最近同業の彼女とすれ違っているようでかなり不安です

田村ケンタッキー

第1話 声優という仕事は大変極まりない

 俺の名は新井あらいしん。声優養成所を出て五年、主演を一度だけ頂いたことがあるがまだまだ駆け出しの新人声優だ。

 俺は今日の仕事場に自転車で向かっている。電動でもないのに追い風でもないのにペダルが軽い。運転者でありエンジンである俺が今日という日を楽しみにしているからだ。今日の仕事はアニメの収録ではない。ナレーションでもない。ラジオとは少し違う。

 その仕事とは……、


「ちょっとちょっと素人さん~!!?? いくら体を傾けてもハンドリングはあがりませんよ~~~~~~~~???」

「は~~~? 何こっち見てるんですか~~~~? きもいんですけど~~~~~? ボクに見惚れているとあっという間に抜かれますよ~~~~~」


 そう言うと米沢よねざわまいの操作するキャラが俺の操作するキャラの後ろにピタリとくっつき、


「さ~よ~な~ら~♪」


 ミサイルを飛ばす。

 ラストラップのゴール直前の出来事だ。大事に大事に取っていたアイテムをここぞという絶好のタイミング。


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」


 年甲斐もなく俺はゲームで裏返るほどの絶叫を出す。声が仕事道具なのに喉を傷める本気マジモンの絶叫。

 本来ならご法度だが、仕事を見学していたマネージャーは腕組みながら満足そうにうんうんと頷いていた。

 この仕事は演技ではなく生のリアクションが求められ望まれる。

 誰に求められ、望まれるのか。監督や音響さん、プロデューサーではない。

 ダイレクトに視聴者にだ。

 地面に突っ伏す俺を米沢米は見下しながら、


「雑魚雑魚雑魚~♪ オタク君からゲームの実力を取ったら何が残るんですかね~?」


 このようなメイン視聴者層、客層を大胆にイジるネタもコメントで良い意味で反響を得られる。まあ側で笑うしか反応できないが内心は結構ヒヤヒヤしている。

 鮮やかに見事な勝利を得た米沢米は締めくくる。


「ということで本日のゲーム『マルスカート』はこのボク、米沢米が勝ちました~。みんな応援ありがとうね~! 敗北者の新くんの罰ゲームの無様な様子は後ほどつぶやいたーにアップしますのでぜひチェックしてください。あとよろしければアカウントのフォローもよろしく~。以上、『新米二人がゲームやってみた。』でした。また来週、この時間にお会いしましょう。バイバーイ♪」


 カメラに向かって手を振りながら笑顔を浮かべる。


「ちくしょう……こんなのマグレだ……俺このゲーム子供の頃からやってんねんぞー……」


 俺は地面に横たわりカメラに映ってないがマイクに向かって負け惜しみをこぼす。


「敗北者さんはなんで負けたか来週までに考えてきてくださーい」


 すると米沢米は半笑いながら丁寧に拾ってくれる。おかげで綺麗なオチがついた。

 そしてインターネット番組『新米二人がゲームやってみた。』の収録が終わる。


「お疲れ様でしたー!」

「お疲れ様でーす!」


 スタッフ一同に挨拶を済ませてから俺は米沢米の元へと向かう。


「いやー負けた負けた。これ以上ない負けっぷりだったわ」


 悔しさはあるが同時に爽やかさもあった。こう思えるのは米沢米が上達する姿を横で見守ってきたからだ。


「またまたー。ボクに合わせて手を抜いてたの知ってるんだから。君のおかげで番組も成り立ってるようなもんだし。いつもありがとうね」

「いやーそれほどでも……あるかな」

「あ、こいつ調子に乗ってるぞデュクシデュクシ」


 彼女は手刀で俺の横腹をダイレクトアタック。


「ライフポイントで受ける!」

「ごめんボク、デュ〇マ派だからダイレクトアタックの時点で勝ちなんですわ~」

「また勝てなかった……」


 ツッコミ無用ハイテンションオタクMAXの会話。互いに知らないパロディを振ってもオチが変則的に墜落しても微妙な空気にならないから心底気が楽だ。

 ご覧の通り、俺と米沢米は仲が良い。そして同期であり同い年でもある。過去に見ていたアニメも被るしゲームの趣味までぴったりの気が合う仲だ。ネットでは仲が良すぎるあまり付き合っているんじゃないかと疑われている。

 これだからオタクは……。年が近い男女がちょっと仲がいいからってすぐそういう目で見る。お前らの情緒は小学生で止まっているのか。まったく困ったものである……。


 ま、実際に付き合っているのだが。

 きょうび両片思いなんて流行らねえんだよ!

 ははは! 羨ましかろう! オタクの彼女がいるってのはな最高の気分だぜ!


 付き合い始めてからそろそろ一年になる。告白したのは俺からだった。俺が主演させていただいたアニメの打ち上げの後のことだ。二期制作決定の発表もあり、調子づいていた俺はその勢いのままに共演していた彼女に告白した。あの時は本当に緊張した。初めてオーディションを受けた時よりも緊張した。

 返事は二つ返事でOKだった。

 今も仲は健在良好で持続している、と俺は思う。

 新型感染症の拡大のせいもあり、二人でどこかに手をつないでデートとか一度もないのだが順調なのだ。誰が何と言おうと順調なのだ。

 順調なのだが、そろそろ少しくらい進展すべきではと断じて焦りではないが駆け引き的な意味合いでデートとまでは行かなくても食事に誘おうと思っていた。

 スタジオ近くの飲食店はリサーチ済みだ。この時間帯なら予約せずとも待たずに座れる店も覚えてきた。

 俺は深呼吸してから、勇気を出して行動に移す。


「あ、あのさ、このあと一緒に」

「おつかれ~~二人とも~~~良い感じに仕上がってたよ~~~」

「お疲れ様です! 光浦社長!」


 オタクだが体育会系の血が混じっている俺は即座に上司に頭を下げた。


「相変わらず元気な挨拶だね、新井くん。でもちょっと固いんじゃないかな~」

「いえ光浦社長の前ではこれぐらいが普通です」


 俺に声をかけてきたのは光浦みつうらひかる社長だ。現役の声優でありながら長く務めた事務所から独立し社長となり、俺を声優として育て上げてくれたコーチでもある。さらに声優業に留まらず、インターネット番組のプロデューサーとしてもその多才さを発揮している。

 憧れている声優は? と問われれば真っ先に名前を挙げるほど俺は光浦社長を尊敬している。好きなアニメに彼が出ていればすごく嬉しいし、微妙に興味のないアニメでも彼が出演していればとにかく観るほどに。


「どれどれ肩もんであげようか~?」


 是非を聞く前に社長が俺の肩を揉む。


「そんな! そんな! 恐縮です!」

「ほら、こんなにカチカチだよ~リラックスリラックス」


 光浦光社長に肩を揉まれてリラックスできる人間なんてそうそういるはずがない。俺は緊張で体中がカチコチに固まった。


「お疲れ様です。光浦社長」


 米沢米も朗らかに挨拶をする。


「よー! 米ちゃん! 社長さん元気してる!」


 光浦社長は米沢米にも手を伸ばすがすんなりと避ける。


「はい元気してますよ。それと光浦社長の心配もされてましたよ。ちゃんと所属声優に飯を食わせてるかって」

「私の心配じゃないじゃん、それ! うける!」

「あ、そろそろ次の仕事がありますのですみませんがお先に失礼します」


 米沢米は彼氏を目の前にして集中はすでに次の仕事に移っていた。その高いプロ意識に尊敬すると同時に少しの寂寥感。


「あ、あぁ……気を付けて」


 俺はその場で見送ることしかできなかったが、


「ちょっと待ちなよ。どうせだし私の車に乗っていきなさい。行き先は同じだろ」

「え、そうなんですか!?」

「言ってなかったっけ? 今度兄と妹役で共演するんだよ」

「あ、兄……」


 まだ、まだ正気を保っていられるラインだ。これが彼氏、恋人役となると俺は嫉妬で悶えて社長と彼女を目の前にして奇声を上げるところだった。

 あとどうでもいい話だけどちょっとオタクが混じってると兄妹でも安心できないんだよ、これが。


「そんなとんでもないです。マネージャーを待たせているので……ねえ、薄谷マネージャー」


 米の背後で待機してた幸薄そうな痩せ気味の中年男子。薄谷うすやすすき。彼が彼女のマネージャーなのだが、


「いえ、ぶっちゃけ助かります。別の現場があるので送迎めっちゃ楽になりますわ」


 親指を立てて快諾する。


「ちょっと! 自分の事務所の子を放っておけないとかそういう責任感じないわけ?!」

「米沢さん、くれぐれも光浦社長に失礼のないようにね」


 そう言うと薄谷マネージャーは声優を置いてとっとと立ち去ってしまった。


「こらー! 給料泥棒ー! 社長に言いつけてやるからなー!」


 米は憤慨する。怒った姿も可愛い。


「じゃあ決まりだね。善は急げ。さあ行こう」


 光浦社長は米の肩に手を乗せてぐいぐいと押していく。

 正直俺が送りたい。そりゃ彼氏だし。しかし俺は自動車免許MTを所持しながらも車を持っていない。ここまで来たのは自転車だし。それに天気予報だとこれから雨が降るらしい。彼氏ならば自分のつまらぬポリシーより彼女の体調を優先すべきなのだ。

 スタジオから出る間際、米は俺に手を振る。


「新くん、またね!」

「うん、また!」


 これで充分。俺はこれだけで頑張れるんだ。


「あ、新井くん。罰ゲームのせんぶり茶用意しましたので早く飲んでください」

「……はい」


 余韻に浸っている暇もない。

 まったく、声優という仕事は大変極まりない。

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