最終話 愛しの次郎丸様

 夢を見ていた。忍者が着物姿の私をさらいに来る時代劇だ。

 忍者は私を連れ去り、神社の境内に身を潜め、平頭巾を外して私に口づけた。その顔は爽やかな美男子で……


「……ん、柊さん!」

 天草緋色の声がして、私は現代に戻ってきた。

「緋色くん……」

 目を開くと心配そうな顔つきの天草がいた。

「平気かい? さっきまで呼吸が止まっていたんだよ」 

「ありがとう、大丈夫」

 起き上がろうとして知らない男が視界に入った。

「え……」

 恐る恐る右を向くと夢に出てきた青年がいる。男は黒装束を身に纏い、束ねた黒髪からは水が滴り落ちている。


「大事ないか?」

 青年は私の背中に手を添え、体を起こした。

「随分水を吐いたからな」

 その声には聞き覚えがあった。

「大丈夫です……あの、あなたは」

「柊さん、彼は忍者殿だよ」

 国松くん似て男前だよねと、天草が微笑む。

「ええっ?!」

 私は青年の顔を二度見して、天草の顔を見て、また青年の顔をまじまじと見てから呟いた。

「だってオッサンじゃないよ?」


「僕は下戸で金槌なんだ」

 天草は栗色の頭を掻いて罰が悪そうに笑った。

「天草殿、下戸は余分じゃ」

 青年は爽やかに微笑むと私の手を引く。

「立てるか?」

「……ハイ」

 立ち上がり、濡れた夏服から下着が透けている事に気づいて、慌てて天草の背中に隠れる。

「柊さん、どうしたの?」

「な、なんで次郎丸が蘇ってるん?」

 それに爽やかな青年だなんて聞いていない。

「ごめんね、君を助ける為に彼の身体を呼んだ。緊急事態だったから」


 天草はカーディガンを脱いで私に羽織らせると、青年の前に押し出した。

「さ、早く帰って着替えないと風邪をひくよ」

「かたじけない。この礼はまた」

 青年は天草に頭を下げると斜面をシュタッと駆け上り、落ちていた私の鞄からタオルを取り出した。

「あんた……本当に次郎丸なん?」

 青年は私の髪をゴシゴシ拭きながら頷くと、ついで私の身体を拭き始めた。

「じ、自分で拭くから!」

 慌ててタオルを奪い取ると、彼は首を傾げて言った。

「なぜじゃ、おなごの体なぞ触りなれておる……」

「前言撤回やわ、この助平忍者!」

 やはり次郎丸だと確信して、弁慶の泣き所にローキックをお見舞いした。



 帰宅すると百枝が風呂の湯を沸かして待っていた。

「あら、あなたは……素敵な方だと思ったら柊の彼だったのね。着替えを用意しますから、お風呂に入ってくださいな」

「いや、拙者は柊さんの後で」

 その受け答えに百枝は微笑み、

「それならお茶とさくらんぼ最中を召し上がって」

と彼を木椅子に座らせ、自分もお茶を飲み始めた。


 カラスの行水で風呂を出ると、リビングから笑い声が聞こえてくる。

「まあ鍛えてらっしゃるのね。その黒装束とてもお似合いよ。和室にお布団を敷きますから、我が家だと思ってずっといてくださいね」

 いつもの予感が働いたのか百枝は、「次郎丸さんの食器と歯ブラシが必要ね」と明るい声を出した。

「恥ずかしながら某は文無しの浮浪人。居候は心苦しく、軒下をお借りしたくば……」

「駄目よ。それならいっそ就職されてはいかが? 忍者パークのアクション俳優でしたら、主人が口利きできますの」

「母さん!」

 体にバスタオルを巻きつけたま会話を遮ると、百枝は目を細めて、

「ささ、次郎丸さんも服をお脱ぎになって」

と彼を風呂場へ案内した。



 和室の布団にシーツを掛けると、リリリ……と縁側から鈴虫の音が聞こえる。見上げると、先刻の空模様が嘘のように星が瞬いている。片付け忘れていた釣鐘型の風鈴を外すと、くしゃみが出た。

「いつの世も虫の音は同じ。忍びが縁の下に潜むとき、虫達に親近感を覚えたものじゃ。閉めるぞ、風邪を引く」

 いつの間にか横に次郎丸が居た。背が高く、継男の寝間着から手足がはみ出している。

「国松様は45歳まで生きたけど、あんたは違ったんやな。その外見は……そういう事やろ?」

「一揆の直後に崖から転落した。あの時懐に忍ばせていた簪がそのまま入っていたから、どうやら拙者はあの日の続きを生きておるようじゃ」

 その穏やかな声はやはり次郎丸である。


「人の生は儚いもの、この泰平の世においてもそれは変わらない」

 次郎丸はゆっくりと障子を閉めるとこちらを向いた。

「されど身体を授かった今、そなたと共に生きてみたいと欲が出た」

 彼は真っ直ぐに私を見つめる。

「あんた否定せえへんかったし、もっとおじ様かと思うたんや……」

 感情の整理がつかなくて、咄嗟に両手で顔を隠した。

「寛永の世では親父じゃ。それに、そなたは嫁に行く歳じゃ」

「よ、よ、嫁だなんて、まずお付き合いとか告白とか……ていうか、簪は?」 

 何を言っているのか自分でもわからない。指の隙間から目が合うと彼はふっと笑い、

「母上の形見じゃ」

と私の手首を掴んで唇を奪った。



「助けてくれて、ありがとう」

 彼の腕の中で、その体温に感動しながら礼を言った。救命措置がなかったら呼吸がとまったまま未練が残って、今頃私が化け出ていたかもしれない。

「あれ?」

 そう考えて私は大変な事に気づいた。

「あの時救命措置をしてくれたのって……」

 次郎丸はいたずらに笑うと、私の耳元で囁いた。

「天草に譲るわけなかろう? そなた、胸はまな板では無くなったな」

 私のローキックがまたさく裂したのは言うまでもない。












  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いとしの次郎丸様 翔鵜 @honyawan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ