第5話 嘘
目を覚ますと保健室で、ベッドサイドには天草緋色がいた。
「柊さん、気付いた?」
「あ……」
「大丈夫? 君、貧血で倒れんだよ」
彼は私の額に手を当てて優しく微笑んだ。
「……あんた本当にあの甲冑の付喪神なの?」
手を振り払い、尋ねた。起き上がろうとすると、まだ少し頭が重かった。
「そうだよ。忍者はまだ気づいていないけどね」
天草は私の背中に手を回すとゆっくりと体を起こした。部屋には二人きりで保健師の姿はない。
「忍者って、次郎丸のこと?」
「そう。後悔の念だけで四百年も取り憑いているなんて、怖い人だよね。僕ね、ずっと彼から逃れたかったんだ。捨ててくれて、君にはとても感謝している」
身体をよじって拒絶すると、彼は両手を小さく上げて微笑んだ。
「……何でキスしたの?」
「ごめんごめん、忍者は居なかったしチャンスだったからね」
天草はくすりと笑った。
「まさか本気で口説いてないよね、本当の狙いは何?」
「口説いてるさ。僕たち協力しない? 君はご両親を捜したい、僕は自由の身になりたい」
彼は白い夏服の胸ポケットから一枚の写真を出した。それは我が家の和室に飾ってあった家族写真だった。
「君の美しさはお母さん譲りだね。お父さんは確か、物書きだったかな」
「聞屋だったけれど独立して、今はフリーランスなの。挙句に借金して蒸発するなんて、酷い父親だよ。捜してくれるの?」
「もちろん。僕は忍者と違って情報を集める手段を持ち合わせているからね」
そういって彼はポケットからスマートフォンを取り出して見せた。天草緋色のアカウントにはフォロワーが四千人とあり、最新投稿には、彼がダークヒーローに扮した写真がアップされている。
「……私は何をしたらいいの?」
「忍者が成仏するよう協力してほしい」
「成仏……?」
「そう、そろそろ楽にしてあげないと、彼自身も可哀そうでしょう」
「でも……」
そうしたら私はまたあの家に一人になってしまう。
「ああ、君は忍者に情があるんだね 望むなら彼を完全体にしてあげても良いよ。僕の自由と引き換えにならね」
「完全体?」
「そう、故人の体を借りるんだ」
「……冗談でしょ」
「本当さ。現に僕も天草四郎の体を借りている。甲冑のままでは何かと不便だからね」
彼は夏服の裾を勢いよく捲って、引き締まった白い肌を見せた。
「わっ、馬鹿。しまってよ」
目を覆うと、天草は残念そうに裾を戻して話を続ける。
「相性の良い身体なら数年間は耐えられる。僕は主君の体を借りたけれど、忍者は自身の体を呼べばいい」
「どういう事、あんたの主君は国松でしょ?」
「始めはね。国松は四郎に甲冑を譲ったのさ」
私の頭はこんがらがって、フリーズ寸前だった。彼はくすっと笑うと、器用に右手の親指と薬指を立てた。
「二人は異母兄弟なんだ。秀頼は薩摩で新たに四人の子供を儲けた。四郎はその三番目なのさ」
天草は立ち上がりカーテンを開けると丁寧にタッセルで束ねた。夕陽が保健室の消毒臭い空気を浄化しているような、不思議な感覚がした。
「僕はね、志半ばで倒れた四郎に平和な世界を見せる約束をしたんだ。だから甲冑に戻るわけにはいかない」
反対側の校舎から、タイトなスカートに白衣を纏った保健師が出てくるのが見える。
「分かった、協力するわ」
私は提案を受入れた。
「良かった。この事はあの忍者には秘密だよ」
「どうして?」
「正体がばれたら2度と離れてはくれないからさ。忍者は甲冑に固執したいから、絶対に僕の自由を許したりしないのさ」
※
その日の晩、縁側で涼風に当たりながら次郎丸に告げた。
「緋色くんとお付き合いする事にしたから、学校では離れてくれる?」
『なんじゃと!?』
「あんたも忙しいんでしょ。昼間、私に黙って出かけたやろ」
『そんなことないぞ』
「嘘。緋色くんと話した時おらんかった」
唇を奪われた時も側にいなかったではないか。
『それは……』
「緋色くんは貧血の私を保健室まで運んでくれたの。あんたにそれが出来る?」
私は意地悪を言った。
『彼を好いておるのか? しかし奴は……』
「何者かは大した問題じゃないし、第一次郎丸だってお化けじゃん。昼間は彼に守ってもらえば、あんたも時間が出来て好都合やろ?」
次郎丸は暫く黙っていたが、釣鐘を小さくしたような風鈴の鈍い音が鳴ると、『承知した』と私の要望を受け入れた。
「本当に?」
『二言はない。確かに某では役に立たぬようじゃ』
「ごめんね」
嘘をついて……でも私は両親を捜したい。
『……もう良い』
それきり彼は話さなかった。入れ替わるように欅の木から、蝉達の求愛が響いた。
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